プレモルは,この学校で二度死んだ。

 

1回目は,現任校への異動。

行く前から嫌だったが

行ったらもっと嫌になった。

怖い職員室の雰囲気。

保育園のお迎えがあるのに,

定時に帰るなんてありえない雰囲気。

誰も得をしない代休なき土曜授業。

せまりくる県大会。

 

さらに,声を失った。

これが,2度目の死。

 

こんな学校

すぐに出てやる!

 

でも多くの同僚の先生に助けられた。

いい方向に変えていくことができた。

 

だから今

「もう少しいてもいいかな?」

と思えるまでになった。

「自分の学校」と思えるようになった。

 

こんな気持ちで,この学校を去ることができることは

幸せなことだと,心から思う。

 

ついに異動が決まった。

今の学校に異動するとき

校長室に呼ばれた瞬間,愕然とした。

 

「私は貝になりたい」の中居正広の気分だった。

人が決めたことなのだから

何か変わるかもしれない・・・

でも,あがいても,無駄なのだ。

 

今年度,卒業生からの手紙を現担任から渡された。

「4,5年のときは,お世話になりました」

という手紙だった。

 

その話をしている最中に,

教頭から声がかかった。

場が凍り付いた。

私は留任半分,異動半分の気持ち。

予想していたので

「あ,きたか・・・」「これで終わりか。」「みなさんさようなら・・・」

そういう気分だった。

 

次の学校を告げられた。

1回目の異動は,意気揚々と異動希望を出したものの

希望していない(名前も知らない)学校への異動だったので

思わず,校長に聞き返した。

自分はこれから,どうなるのだろう・・・不安と期待が半々だった。

 

2回目は,前回の異動。

留任しか頭になかったし

行先も最悪の学校だったので

もう嫌で嫌で仕方なかったので

校長に食い下がった。

「なぜなのですか?」

と。

 

3回目は今回。

穏やかな気持ちで受け入れた。

今は,未来の事よりもこれまでの事ばかりを思い出す。

これから先は,まあなんとかなるだろう,と。

走馬灯のように7年間を振り返るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

高校まで,とにかく社会科(日本史)が好きで

将来の夢は,社会科の教員だ!と信じて疑わなかったのだが

大学に入った途端,急速に興味を失った。

 

なぜだろう?

1 大学に入ると,社会科の免許を取れるせいか

 「社会科好き」が結構いた。

 自分と同じか,それ以上に詳しい人もいる。 

 その中に完全に埋もれて

 高校時代までのアイデンティティが失われた,と感じるようになった。

 

2 しかも,社会科を教えるとなると,地理も,政治経済にも

 詳しくならないといけない。

 途端に面倒に感じるようになってきた。

 

3 大学で学ぶ,東洋史,西洋史,日本史,地理学,倫理学,国際法などが

 概論的だったり,マニアックだったりと

 すごく面倒に見えた。

 

4 「大学で学ぶ」ということよりも

 「大学では遊ぶ」ということに重点が置かれるようになる。

 漫画やドラマで,大学生が堕落した生活をしたり,

 バイト三昧だったり,授業をサボりまくりだったり・・・

 という描写が多かったがが,そういうのに憧れていた。

 

5 そもそも,「学校教育」とりわけ「学校」という場が

 本質的には好きではないのかもしれない。

 大学時代は,かなり懐疑的に学校現場というものを見ていた。

 

結果,高校時代の勉強に対する態度,大学入試前の悲惨な状況を

ここでまた,すっかり忘れてしまって

また同じ過ちを繰り返すのだった。

 

後に苦労することになるのだった。

 

一方で,高校までの教科にないものに興味がわくようになる。

心理学や社会学といった領域。

どうして人は,偏見とか誤った認識をもつのか?とか。

消費社会論とか。

 

後に,卒論を書くテーマとなり

大学院に進学する際の基準になったりしていく。

 

だから,大学時代,院生時代は漠然と「社会科教員になりたい」と思っていたが

実は最も「社会科教育」から遠ざかっていたいた時期でもある。

 

そのツケは

教員になって1年目にも影響を及ぼすとともに

採用試験(中学社会)を受験する際の態度にも大きく影響を

及ぼすことになった。

 

取り返すのに時間がかかった。

 

そう考えると,

将来の職業「社会科教員」という目標なんて

かなり怪しいものだったのだろう。

 

「身近にあるもの」になりたかっただけなのだろう。

中学校時代は,中学校社会科の教員になりたいと思い,

高校時代は,高校日本史の教員になりたいと思い

大学時代は,よく分からなくなり

院生時代は,心理系の仕事・・・をする気にはなれず

中学校教員時代(前半)は,100倍の倍率なんて

                  どうせ受からないだろうと,ろくに勉強せず・・・

 

結果,受かりそうな(といっても当時は氷河期だったので,小学校でさえ10倍!)

小学校教員に転身することになる。

 

要するに,

「社会科は好きだけど,徹底的に追及するほどでもない」

わけで。

 

途中で挫折する性格は,小学校のような多岐に渡る方内容の方が

気分転換になって,よかったのかもしれない。

 

もっというと,アイデンティティを確立できるかどうか,なのかもしれない。

今,小学校教員をしていて「社会科が得意です!」というと

割合的には少ない。

だから,職場では重宝される。

どんどん前のめりで仕事ができる。

 

しかし,社会科の人達の集まり(研究部会とか,そういうオフィシャルな場)で委縮するのは

そういったアイデンティティが示せないからだろう。

 

これは,「私はベーシストである」「タンバリンが上手である」というアイデンティティと同じだ。

どちらも,できる人は限られている。

だから,職場では「珍しい」と認知され

大した技がなくても

なんかできるような気がする。

どう考えても,ピアノが得意な人の方が,音楽センスが高いはずなのだが

それよりも,目立てる。

 

大学時代から院生時代に,学校教育や社会科教育にはあまり関心をもたなかったことは

その後の人生で「負の遺産」となった。

心理学や社会学に興味をもったことは

人生の幅を広げるために役立ったが

学校教育を職業とする者としては

やはり早い段階でふれておくべきだった。

 

大学時代に,現場でボランティアをするとか

院生時代に,心理学を専攻するのではなく

社会科教育を専攻するとかしておけば

ずいぶん違った人生だったことだろう。

 

しかし,それは選ばなかった。

もしかしたら,今

その時代にタイムスリップしても

やはり,「学校教育」から一線を引き

社会学,心理学を研究するという

同じ結果を歩むかもしれない。

 

だって,その方が,楽しそうだから。

こうなると,そもそも,「学校」という場所が好きではないということにも関係があるのかもしれない。

 

大学時代の4年間続けたコンビニバイト。

そこでは,新しい仲間ができた。

 

よく飲みにも行った。

だいぶ,過酷な飲み会だった。

この飲み会で教えてもらって

タンバリンが上手くなった。

 

もちろん,飲み会の席だけでは上手くならないので

家で練習はだいぶした。

今思えば,近所迷惑意外の何物でもない(笑)

 

よく遊びにも行った。

海にも行った。

キャンプもした。

朝9時から,夜1時までの16時間連続勤務という

耐久バイトも経験した。

自分から「やってみたい!」と,

志願したわけだが

いくらバイトとはいえ,

途中で頭がクラクラする時間帯があった。

 

理不尽な客対応もした。

店内で煙草を吸っている常連に注意したら反対に

「謝罪しろ!」

と言われて,バックルームで店長立ち合いのもと

謝罪したこともある。


バイト内恋愛もあった。

付き合って別れるということを,ここで2回経験した。

 

野外活動サークルにも誘われて

柄にもなく一時期,そのサークルにも在籍した。

まあ,それも,当時付き合っていた人と別れた腹いせ?だったのだが。

なんか,自分を変えたいな,と。

後悔させてやりたいな,と。

結果,自分には全く不向きな活動だったので

自分が後悔したわけだが(笑)

 

副業?で家庭教師のバイトもした。

中学生の,主に数学を教えた。

なぜか,女子が2回あった。

 

不登校の小学生の,今でいうメンターみたいなバイトもした。

 

中学生男子で,不登校なのだけど受験をしたいというので

短期集中でしたこともある。

面接の指導もした。

契約時間数よりも,早めに受かったのに,契約通りお金をもらった上に

個人的に謝礼までもらって

あまりにも申し訳なかったので

逆にその謝礼で,焼き肉を食べに連れて行った。

 

中学生で,全く勉強する気持ちがない子を持って

2回でチェンジになったこともあった。

 

今思えば,

自分の都合で,いろいろと迷惑をかけたこともあって

申し訳なくも思っている。

 

不定期で,日雇いバイトもした。

力仕事がメインだった。

パン工場と交通量調査,ポスティングのバイトは記憶に残っている。

パン工場は,夕方5時から朝5時まで。

ひたすら,黙々とパンを作り続ける。

同じ工場内で3か所を回ったが

自分には向いていないと思った。

苦痛以外の,何物でもなかった。

 

交通量調査は,高速道路のサービスエリアで行った。

2人1組で,24時間拘束。

2時間ずつ,12時間ずつの調査。

待機場所は,基本的には車の中かサービスエリア。

途中で,変な時間に弁当が会社から配られる。

2時間ずつ,食べては寝て,食べては寝る。

途中で雨が降った時間もあった。

相方が起きてこないので,

車までお越しに行ったこともあった。

 

ポスティングは,ポストにチラシを配る作業なのだが

よく知らない土地に行って,住宅をめぐるので

楽しかった。

大変なのは集合住宅。

階段がないのに,4階まであって,

それを何棟も巡るのは大変だった。

 

大学時代,腹いせで始めたコンビニバイトを軸に

いろいろなバイトをさせてもらった。