人生と社会を生き抜くには「守破離」だという文章を読んだ。低学歴が敬遠されるのは 学びが不十分の上 学力が疎かになっていることだということを知る。人は 生きるために「守り」を身に着けなくてはならない。守り方を学ばねば その先に進めない。初めての体験の時に 学べる人と 基礎がなくて 飛び級しようとする人とは 潜在能力も何も 表面的な力量として 育つ過程において 目覚めないという。この一文の中には 山川の感想も 含まれているが 自分の人生のなかで 型のなかった山川が とても 苦労していたのは 土地勘もなく 土地に染まらず 生きる当てを 見つけられなかったために 二十歳までは メンタルも 恐ろしいほど 不安定で 目的もないまま ナマコのような グレーの瞳で 暮らしていたのだ。今考えれば 精神病院に逃げ込んでからの 人生だから 人との出会いは 全くと言って ご縁がないのも 当たり前のことである。学生時代のご縁の記憶もないし 人と接した記憶もないし。記憶を消したわけでもなく 家のなかにも外にも 存在を明らかにするような 人との出会いの形はなかったのだ。無縁仏のなかで 山川は 生きていたから 怖いぐらい虚しいし とても寂しい思いをしていた。気分を改めるのに 薬物療法は 恐ろしいぐらい メンタルと体力を 消耗し蝕みつづけていた。筋肉は つけ続けていたけれど 急性心不全の症状が ずっと続いていた。最低限の力で ずっと 生きながら得ていたのは事実で もしかしたら 今いる仲間の多くは そういう同じ不良因子を 持っているのかもしれない。今から 出会う人たちの多くは 未だ 力を出し切っていない人たちで これから会う人たちは 今すでに とても大きな人たち。みんな 明るくて優しかった記憶が出てきました。同じくらいの性格の良さで 道を進んでいた人々の多くは 大学時代からの仲間で 才能も見た目も良さげなのに 未だ 力を出してきてない 温存している人達。潰されては 力を育てていた 山川には 助っ人らしい人達が 現在 いる気がする。当てにすることがなかった 周りの人達とは 格段に違う 親近関係者である。早くというよりも そのうち また会えるのだと 今は理解できる。絵の世界に 旅立ってから 全てを 遮り頓挫させた今回の事件は 山川に 挫折というより 失墜した大きな面持ちと 帰ることのできない 我が家の遠さを 身に染みて考えさせられた。去年一年間 とても熟慮し 出るべき手段を 持たずにいたから 結果 地元にある 我が家へ帰ることを望み 今は また 新しい未来の扉が開くのを待つ。身体が思いの外 酷い状態にいて 好き嫌いなく 取捨選択なしで 食べれば 身体に それなりの筋肉が つくことも知って、今 食べられるものを 口にするしかないという 現実のなかで もとに戻す時間は 今年で十分かどうかは 予測できないが 余りある時間の中で 休養を取りたいと思った。今現在「守破離」の中で やっと「人生の守り」の型に 至ったから これから先 突破できる力を 温存しているようなものだ。すべての力が纏まって現れた時 家という繭玉から 解き放たれる時期が来るのだろうなあ。還暦に そんな大事に 参加できるタア思いもよらなかった。山川にも 生きる必要な 「守破離」のちからは やはり機能し始めたのだと識った。

山川令瑚