昼やっと理解できたことがある。三十年間というか 今もまだ 死神に取り憑かれているということ 死神に取り憑かれていたということ。サイバーストーカーとは リアル体験の 死神騒動なのだと思った。身体の髄までむしゃぶり尽くす、そんな感覚に陥る。三十年前より 山川は 棺桶に片足を突っ込んだまま 生きてきたのだと言っても 過言ではない。自分自ら 人が感じる現世からは逃避し 母を看取り 父を看取り そして 今現在進行形で 自分も 急性心不全に陥る。命からがら 彼らから逃げ去っても なお蝕む現実は やっと 日常の落ち着きを 取り戻しつつあるも 考えるだけで恐ろしい 感覚に陥る。昔 CNNの女性キャスターが やはり末期 心不全で亡くなったし 多くの人間が 家の炬燵に入ったままの状態で 静かに 息を引き取っていく事件を ニュースで見た記憶がある。山川もまた そういう運命が 今現在もたらされているのだと思う。こんな身の不幸は 生まれて初めてだったが 生きたいと思って 薬を求めに行くも すべてのものが狙われたという 自分の培っていた幸運の含んだ たくさんの品物を すべて取り上げられる恐ろしさは 今回 禍が及んだすべてが 山川に反作用し 不幸というか 死の疑似体験をもたらした、救急車で病院に運ばれるたび 考えれば 深夜搬送されるたび 死出の旅路まで到達せず 返される不思議は 完全に窒息死するまで 繰り返し行われるだろう恐怖感。それから 逃れられないぐらい 混迷状態だった。いつまで続くかわからぬ 明日のないトンネルに うんざりしている。未だ 死神の掌のなかに 委ねられているような 身体に感じる サイバーストーカーの振動は もともと 持ってない感覚であり 体の微弱な感覚のなかでしか 感じないものであるから 何も言えず NPOの遠山さんに 連絡を入れるものの 消えては現れる そんな死神のしつこさのなかにいると 思いの外 山川 今も 生き急ぎすぎるのか 時代の流れと 歩調を合わせるように せっつかれている気がする。時代は わたしを 生かさせる方向に 刻が流れているのも 実感するゆえ 疲れても疲れていても 日々 命の重みを 身にしみて感じられる感覚にいる。水の流れは 未だ大きく 大河の上流にいる気がする。ドナウ川の流れのように ゆったりとした波頭の少ない その岸辺に未だ辿り着かない 山川の帆船は 今も変わらず 波間に揉まれながら 揺蕩っている気がする。ここ2日間くらいで ハンモックの中に入れた寝袋の入り方が板につき うえにかけた タオルケットと布団類 ハンモックを横に広げる 器用さも身についてきた。一階のアトリエの隅っこで よく寝るようになり 身体の凝りも 徐々に 癒えてきている。薬も効き始めていて 食べ物も 夕方 久しぶりに コンロで ご飯を炊いた。とても 美味しかった。鍋底についた お焦げが香しい。ほんとに お米は美味しいと思う。父が好きだった とろろ昆布の御吸物を 山川も作って 賞味した。懐かしさで 心が洗われる。50°Cも満たない 熱湯を漆のお椀に注ぎ とろろ昆布と 味の素とお醤油で作った とろろ昆布のお吸い物に 父との 暮らしを思い出した。母もまた 好きだったけれど 懐かしい家族との思い出は 私にもあることが キッチンのコンロの横の テーブルの前に座りながら 涙ぐましく感じる。今ここで 三人家族との団欒の思い出が 蘇るとは考えもしなかった。笑顔があったような気もするし いつも泣いていたような気もするし。とろろ昆布のお吸い物を 口にするたび 心の筋肉が 柔らかくなっているのを 体感する。目元と口元が 緩んでいく。

山川令瑚