ピラティスで いつもの自律神経のバランスのデーターを見ながら 講師と 談話していた。それを見ながら 説明をしてもらううちに 山川 初めて 自律神経失調症の姿を 識ることができた。山川は 中学生時代から おなかの脂肪が 取れなくて いつも 腹筋をつけるために 非常に気にして 家でも 努力を し続けていたが 一向に お腹周りが 収まることもなく 便秘は ひどいから 便秘腹と言っては いつも パンパンの腹を 撫でていたりとか 苦しんでいた。とにかく 生理痛は 酷いし コーラックを 常時 飲んでいたし その時には 既に 自律神経失調症に なっているのだ と思う。生理痛と頭痛、片頭痛ではなくて 頭痛がひどく バッファリンも 常備していて ある日から イブに替えて 学生鞄のなかに 忍ばせていた。体育の床運動は 変わらず好きで 腹の筋肉を 伸ばすために 側転や倒立前転とかを いつも 練習しているような娘で とにかく ストレッチが 大好きだった。バスケットボールの部活は 嫌で 辞めたかったが 担当の先生に 退部について 伝えに行くと 話が うまいらしく ちゃんとしたすじの通った悩み事のため 先生なりに理解されて 結局 部活は 3年間通しで 入っていた。自律神経失調症のことは 母は全く 気がつかず 精神不安定なのは 成長期なので 当たり前のことなんだけど 親に言うと ものすごく心配する から 全く話すことは なかった。彼女は ホントに 鬱病ぽくて 家で 内職をしていたが 今思えば 引きこもりに なっていたんだ と感じる。彼女は 上の二人の行動で メンタルのバランスを崩し 理解力もすべて 不安定になっており 山川には 手に負えない環境に いた。父親は 銀行の仕事で 深夜に帰り 早朝に出ていく 銀行一色の 生活をしていたし 山川も 家を早く出て 夜の七時に 家に戻り その後は 部屋に籠もって 受験勉強を していた。上の二人は 存在知らずで 何をやっていたかは 見当もつかないほど 山川も母も 気忙しい日々を 送っていた。人形作りのために 内職をしていた母親は いつの間にか 上の二人の学費のために 月八万円の収入を 全部吸い取られる状態で 生かされていた。そのために 人形作りを 四十代で 捨てることになった。二人に対して 精神的に 追い詰められ 心中 どす黒くなっていくその姿を 人形を制作していくうちに 現れる 自分の心の凄まじさに 起きる 作り手の息苦しさを いつも 感じていたに 違いない。呪いは そのまま 彼女の人形の中に 出てくるように なっていた。山川の姿は 彼女の目には 全く 映らなくなっていたために 医者に行くのも すべて 山川一人で 行くように なっていた。中学生時代には 既に 山川には キーパーソンになるべき人が 周りには 存在していなかった。成長期の山川の自立神経のアンバランスを 母親は 全く 気づかなかったのだ。山川に対する 酷い思い込みが すごくて 上と比較され 嫌味を 言われ始めたのも この頃、肩こりは 酷いし 皮膚病も出ていた。視力も 落ちてきていたし イライラするし 勉強への集中力が 欠け始めていて 深夜しか 勉強は 不可能になっていた。学生としては この家は 悪夢に等しく、母親と上の二人との罵声 のやりとりを 耳にしながらの毎日で 一人 苦悩していた。山川の記憶には そういうものしか 残されていない。今回の交感神経と副交感神経のデーターで その時から 脳幹からの 腹部あたりの筋肉とか内臓への 指令がうまくできていなかったことを 知った。脳幹は 人の体のなかの司令部で 機能が ちゃんと正常に動くように 本人を日々見ていたのである。山川の身体は 小学生4年の時には 既に バランスを崩していた。上の2人に 押しつぶされていた母親は その苛立ちを 山川に ぶつけてくるようになっていた。山川の中の司令部は 異変を キャッチしたものの 遂行することは 不可能なほど 山川のメンタルもやられていたのだ。大腸に ガスもたまっていて ニオイが強く 上にからかわれて 恥ずかしいし 生理不順で パンツは 月の半分は 真っ赤。そのニオイが強く 人のなかに はいることを 避けるようになった。青春時代は無かったが 成長期は 感受性も強いから そういうものが 気になるようになった。母親は それを見て 気にしすぎだからと 山川を 叱っていたのだ。何の解決も 見いだせず 仕方ないから 鎮痛剤を 常備するようになった。その時に 漢方医のところに 連れて行ってくれれば やりようが あったのだと思う。そのくらい 山川には 無頓着な家だった。中学生時代から 自分のことは 自分で 処理するように なっていたから 悩みを 親に話すことは 一切 なかったのだ。ピラティスに もっと早い時期に 出会っていて 通っていれば ヤングケアラーで 悩むことも アダルトチルドレンの感覚に 怯えることもなかったのだ。山川の不幸は その時から 母親の存在そのものを 憎むことになっていたことだった。家でも 親子の会話はなく 趣味の話も することはなかった。彼女のお小遣いのための 内職を手伝いながら 母親は それに 満足しているようで 彼女に 付き合わないといけない 環境に陥っていたのだ。たぶん 山川が いなくては アンバランスになっているようだったから、母親のメンタルの安定を 促すために 一役買っていたのだと思う。自律神経失調症という症状は 山川に取り 昔からあったのだと思う。身体全域に 脳幹からの指令が 生き渡っていなかったために起きた リンパの滞りからくる 目の渇きも 酷い浮腫みを解消することも できなかった事実は 上の二人発祥で 二親が二親とも苦しんだ そんな恐ろしい家だった。自己責任のつよい 山川家では 誰もが それぞれの仕事から 逃げ出すことは なかったから そういう意味では この身の不幸という言葉は 必要なのだろうと思う。それでも 必至に 命がけで 人生を引きずるように 走り続けていた 山川家への呪縛を 斜め読みの山川は 冷たいが 諦めの目で いつも 見守っていたのだ。家の中の焦燥と憔悴 誰の悪口も 言ってはならないと 自分の心の在り方を 伝え続けた 母親の姿を 何が正しくて 何が正しくないか 問い続けてきた 山川に取り 父親と同じ リベラルな感覚を 育て続けるきっかけというか 人生の底辺の思考力に 位置づけたものになったのだ。珍しいほど リベラルな思考を 持っているとかで 驚かれるが 酷い生き方をしていた 毒親である母親の姿を 無視できなかった故に 育った感覚なのだと思う。自己犠牲をしいられ 生きていた2人の親から 何を一番受け継いだのだろうかと思うが、哲学的な絵を描きたがる 自分の趣向の根底は 彼ら2人から 発していたのやもしれぬ。ですが 自律神経失調症の原因である 脳幹の不作動ということで起きた事実は この先治るであろう 可能性を残して ピラティスの今日一日は 無事に終わる。寝る前に 書こうと始めたが 自分の人生を書くことになってしまった。いかんなあ、そろそろ 辞めんとあかん。

山川令瑚