笑わせる笑い 笑われる笑い | VOZlog(ボズログ)

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VOZ Records(ボズレコード)の主宰者堀克巳がふと思ったことなど。

 
 この何日か、お笑いのことばかり考えている。全然畑違いなんだけど(苦笑。
きっかけはもちろん、松本人志さんに提言した中田敦彦さんの動画の起こした騒動がすごく興味深かったからだ

 側(はた)から見ると、絶対無敵の神に、トリックスター(神や自然の秩序を破って物語を展開する人)が反乱を仕掛けた、という図式が、何だか神話っぽく(表面に出てるコメントだけを見ると、結構下世話な感じはするけど)見えたのが興味のとっかかりだ。

 この件について、どっちがいい悪いなんてもちろんないし、お笑いの世界のあり方、芸人としてのあり方、みたいなことは、お二人とも他人にはとても想像もつかないほど考え抜かれていることだろうから、外野がああだこうだ言っても仕方ない。

 僕か感じたのは、あらゆる世界、業種で、例外なく、今までになかった大きさの変化がとんでもないスピードで起きていて、そんな時に、いろんな立場にあるそれぞれの個人が”どう考え、どう行動するのか”というのがすごく問われているんじゃないかということだ。

 そんな中で、中田さんのとった動きは賛否両論あったけれど、かえって賛否両方ある議論の方が、リアルな感情が滲み出るような提案を投げる方が、より大きな波紋を作って、今のような時代には効果的なんだな、と気づかされた。いろんな立場の人がいっせいに反応し、現在のお笑いのシーンとその未来、松本さんの影響をあらためて考えてみる契機になったわけだから。そのアクションも、発言だけじゃなく芸人仲間のネタ動画も含めて、その人の立場やキャラで全然違って面白かったし。

 ”お笑い界の新時代を一緒に作りましょう”みたいなキレイごとや、何も破綻のない正論っぽいことだけを言っていたら話題にはならなかったのだろうし。

 SNS社会では、<よくまとまったバランスのとれた意見>を発信しても効果がなくて(ただただ埋もれてしまう)、欠陥だらけでもその人にとって<1番リアルな気持ち>がこもっている意見というのがやはり響くんだろうな、と思った。

 


 ちなみに、僕はどういうものが面白いのかという価値基準は、BIG3(タモリ、たけし、さんま)と、自分と同年代であるダウンタウンに、圧倒的に影響を受けたことを今回あらためて確認した。

 四人に共通しているのは、面白いけど、実は凄い、と感じさせる、ということで、お笑い芸人のステイタスを引き上げた、芸人はかっこいい、という価値観を作って広めた人たちだと思う。

 それは、ビートたけしさんの師匠である深見千三郎さんが言ったという「笑われるんじゃなくて笑わせる」というスタイルなんだろう。
(そう言いながらBIG3も松本さんも、若い頃は自ら”笑われる芸”もたくみにやっていたところがすごいわけだけど)

 今回、ホリエモンさんが、松本人志さんよりハンバーグ師匠や小島よしおさんの方がおもしろいという意見を言ったけど、そんなの一昔前だったら、センスない!と一刀両断され嘲笑されるだけで終わったはず。でも、このタイミングで言われると、なんかすごく芯を食った意見に思えてしまった。
 
 大衆の間ではもうとっくに”笑われる芸”の支持がどんどん上がってる気がするのだ。ホリエモンさんはただそれを代弁している、だけのように僕には響いた。

 すごく大きかったのは、志村けんさんと上島竜兵さんが亡くなったことで、「笑われる芸」、客が頭を使う必要がなく「コイツほんとにバカだなあ」と大衆に思わせてしまう笑いというのが、いかに人の心を和らげてくれる、ありがたいものなのか、あらためて気づいた人も多かったはずだ(そのありがたみに、僕たち多くの大衆は生前にちゃんと気づくべきだったけど)。


 そんなことを思いながら、ネットをいろいろ見ていくと西野亮廣さんが5年前にすでにこんなことを書いていた。

「基本的にSNS時代(国民総発信者時代)は、「笑わせる人」より「笑われる人」の方が取り分が大きくなるのは明白で、お笑い偏差値の低い人にイジられなくなったら終わりだと思っています」
(2018.11.30 投稿  西野亮廣エンタメ研究所)

 
 う〜ん。見事な先見の明。
 SNS時代という”どでかい時代背景”がすでに、お笑いの新たな”ものさし”を作っている、のだ。YouTuberのお笑いはお笑い偏差値は高くない、でも大衆、特に若い人たちから人気を集めている。1番悪い例は、食べ物屋でお店の迷惑行為を動画に撮ってアップすることだけど。


 ただ、芸人さんが磨き上げた”笑われる芸”と、素人のインスタントな”笑われる笑い”との違いを、しっかり見極められる受け手ではありたいな、と思う。表向きはただガハガハ笑うだけにしても。

 これからの、あらゆるジャンルのエンタメの未来にとって、受け手の楽しみ方、スタンス、レベルというのはそのエンタメが発展するかどうかのものすごく重要な鍵を握っているはずだと思う。



 僕みたいな音楽業界の片隅にいる人間にとっても、いま何か大きなシフトチェンジを迫らている気がしてしょうがない。
 SNS時代の”音楽偏差値”についてもあらためて良く考えてみるべきなんだろうか。
 かといって、闇雲に”音楽偏差値を下げる”のではなく、何か違うアプローチがあるはず。そこが僕なりの課題だ。そのために、まずは、最近、送り手側の立場を離れて、受け手側に戻って動いてみたりもしている。

 音楽で食べていくのがどんどん難しくなっている、という業界としての切実な問題はあるが、まずは作り手も受け手も関係なく、音楽は本当に楽しいんだよなあ、むちゃくちゃ感動した、とかいう発信がSNSで溢れていることが大切だと思う。



 さて、松本さんと中田さんという、とんでもなく”頭のいい”二人の対立構造が日本で盛り上がっている中、イギリスの世界的大人気オーディション番組で、こんな奇跡が起こっているのを目撃すると、なんか、凄い爽快な気分になると同時に目がうるうるしてしまった。”裸芸”を見ながら思うことじゃないかもしれないけど、今まで経験したことのないような面白い未来も、間違いな来るのだと思ってしまったのだ。

 松本派か中田派か、なんて盛り上がっている間に、”笑われる芸”の芸人さんたちとスタッフさんたちが、海外に向けていろんなゲリラ行動を仕込み始めていたらすごく楽しいなと思った。