VOZlog(ボズログ)

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VOZ Records(ボズレコード)の主宰者堀克巳がふと思ったことなど。

 アメリカのヒットチャート(ビルボード)では、毎年12月の1週目あたりからたくさんのクリスマスソングがチャートに蘇ってきます。
 マライア・キャリー「恋人たちのクリスマス」ワム!「ラスト・クリスマス」など日本でお馴染みの曲もありますが、かなり古い曲も多いんですよね。
 
 アメリカにASCAP(米国作曲家作詞家出版者協会)という団体があって、毎年ホリデー・ソング(クリスマス・シーズンの歌)の、サブスクの再生回数、ラジオのオンエア回数、コンサートの演奏回数などを集計したランキングを発表しているのですが、昨年(2024)の結果は以下の通りでした。

<THE TOP 25 ASCAP HOLIDAY SONGS OF 2024>
1. “It's Beginning to Look a Lot Like Christmas” (1951)
2. “Sleigh Ride”(そりすべり) (1948)
3. “Jingle Bell Rock” (1958)
4. “A Holly Jolly Christmas” (1962)
5. “Rockin’ Around the Christmas Tree” (1958)
6. “Let It Snow, Let It Snow, Let It Snow” (1945)
7. “Santa Claus Is Comin’ to Town” (サンタが街にやってくる)(1934)
8. “All I Want for Christmas Is You”(恋人たちのクリスマス) (1994)
9. “Winter Wonderland” (1934)
10. “It’s the Most Wonderful Time of the Year” (1963)

1位、2位の曲の人気ヴァージョンはこんな感じです。
 




 マライアですらもう30年以上前ですが、他はもっともっと前に作られたものばかりです。しかもみんな軽快な曲です。アメリカのヒットチャートというと、いつもはダークな曲調や歌詞の歌ばかりなのに、クリスマスになると突然、古き良きクリスマス・ソングが溢れ出すわけです。
 アメリカは日本と違ってキリスト教徒が圧倒的に多いからなあ、とあっさり納得しそうになりますけど、それだけじゃない気がするんですよね。

 「ホワイト・クリスマス」「クリスマス・ソング」、「赤鼻のトナカイ」などクリスマスのスタンダードのかなり多くを、ユダヤ系の作詞作曲家が書いています。ユダヤ教にはクリスマスはないそうです。なのになぜ、クリスマス・ソングを?と思いますよね。
 20世紀初め、アメリカに移民として渡ったユダヤ人は、差別もあって主幹産業に進むことができなかったので、まだ黎明期だった放送業界や、映画やミュージカルといったエンタテイメント・ビジネスに活路を見出して開拓していったそうです。なので、従事する人にユダヤ人は多かったんですね。

 映画やラジオ、テレビのエンタテインメントがアメリカという国の活力源である”アメリカン・ドリーム”、誰もが豊かな暮らしを営むチャンスがある、というビジョンを広める大きな役割を果たしました。
 祖国も人種もまったく違う人々が、広大な国土の環境も気候も違う土地に散らばって暮らしている訳ですから、そんな国を一つにまとめるビジョンとして”アメリカン・ドリーム”はとても大切だった訳です。

 アメリカの有名なクリスマス・ソングの多くは、「ホワイト・クリスマス」が映画のために書かれた曲だったように、あくまでもエンタテインメントとして作られています。宗教的なものは背景としてはもちろんありますが、メイン・テーマではない。もっぱら、エンタテインメントとして国民に”精神的にも物質的にも豊かなクリスマス”を夢見させるものだったと言える気がします。

 日本の場合、僕が思い出すのはバブル期を中心に”クリスマス・イヴは恋人とおしゃれなデートをしないと恥ずかしい”という世の中の”圧”が凄かったというトラウマしかありません(苦笑。クリスマス・ソングというより、クリスマスを舞台にしたラブ・ソングがたくさん作られましたよね。

 当時も、日本のクリスマスは宗教的な背景が全然ないのに異常に盛り上がっているのはおかしい、なんていう意見もありましたが、クリスマス・ソングについてだけ言えば、本国アメリカもエンタテイメントとして書かれたものなので、大差ない(?)という見方もできる気もします。

 特に1980年代はアメリカがアピールしてきた資本主義の”リッチな夢”を必死に追いかけて真似していた時代でしたから、日本人がクリスマスで盛り上がるのは当然の流れだったのかもしれません。ただ、日本の場合は、宗教的な背景とはあまりにも切り離されて、市場の中での盛り上がりだったので、それがあのバブル期の訳のわからない強引な圧(”クリスマス・ハラスメント”と呼ぶ人もいるようですけど)へと暴走していったのかなと思います。

 ともかく、アメリカでスタンダードなクリスマス・ソングが今でも盛り上がるのは、アメリカという国の特異性というか普遍的なビジョン(アメリカン・ドリーム)が反映されていて、国民感情を同じ方向にまとめるという大切な役割を今も持っているからかもな、と僕は思ったわけです。

 それに対して日本の場合は、多くのクリスマス・ソングはバブル期の狂騒を甘くほろ苦く思い出すものだなんて思ってしまいますが。先日、あるDJの方がシティポップ系の日本のクリスマス・ソングをプレイするのを聴きながらそう思ったんですけど、同時にバブリーなクリスマス・ソングというのは、当時の日本をよく表しているすごく特殊な音楽で、それはそれで不思議な個性はあるかも、とも思いました。

 
 
 
 前回、「音育(おといく)」、”音だけの想像力”について書きましたが、それで思い出すのがレコーディングエンジニアの鈴木智雄さんから伺った話です。

 智雄さんはCBSソニー(懐かしい!)を代表するエンジニアだった方で、「青い珊瑚礁」から「ハートのイヤリング」(大瀧詠一作品は除く)という全盛期の松田聖子、そして山口百恵「いい日旅立ち」、久保田早紀「異邦人」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」などの数々の大ヒット曲、洋楽ではボブ・ディラン「武道館」チープトリック「at武道館」やシカゴ、サンタナなどの伝説的な日本公演やマイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコックなどのジャズのレジェンドたちの録音もされてます。

 僕は作曲家/ピアニストの松本俊明さんのサブマネージャー件制作ディレクターという立場で仕事をやらせていただいていたことがあって、松本さんが作詞作曲して手嶌葵さんが歌った「エレファン」という曲のエンジニアを智雄さんにお願いした時のことでした。
 
 エンジニアの方が行う、音源制作のとても大切な工程として「ミックス・ダウン」というものがあります。
 録音された音源(ボーカル、ギター、ドラムなど)を、音量やバランス、音質、定位(それぞれの音の配置)などを調整しながら一つの楽曲にまとめる作業です。エンジニアさんによって決して大げさじゃなく”別の曲”になってしまうこともあるんですよね。

 智雄さんが「エレファン」のミックス・ダウンの仕上げをされている後ろの席で、僕は目を閉じて聴き入っていたのですが、ボーカルとさまざまな楽器の「構図」がはっきり見えてきて、声や楽器の存在感や輪郭、遠近感などを、まるで、太さの違う絵筆を持ち替えながら、絵の具で濃淡や色の鮮やかさで調整している、まさに「絵を描いてる」ような感じがしたんです。
 それで、思わず「絵を描いてるみたいですね」と声をかけると、智雄さんはにっこり笑って興味深いエピソードを話してくださいました。

 フィル・ラモーンというアメリカのポップス史上屈指の名プロデューサーがいます。僕が中学一年で洋楽にハマるきっかけになったビリー・ジョエルの「ストレンジャー」をはじめとするビリーの代表作の数々や、ポール・サイモンの「時の流れに」など素晴らしい作品を手がけた人で、元々はエンジニアでした。
 日本ではプロデューサーというと、アレンジャー、作詞作曲家、プレイヤー出身という印象が強いですが、アメリカでは特に1960年代から80年代はプロデューサーというとエンジニア出身の人が多かったんです。
 智雄さんはフィル・ラモーンをリスペクトしていて、アメリカで彼に直接会う機会があって、そこでエンジニアとしてのアドバイスを求めたところ
 「エンジニアはたくさん絵画を観なくてはいけない」
 と言ったのだそうです。
 絵画からインプットした構図、色彩、タッチ、遠近法などを、音作りに反映させる、ということなのでしょう。そして、目から生まれた想像力を耳に転換する、ということでもあるのかもしれません。耳の想像力を映像に転換する、というのは当たり前にありますけど、逆があるんだなあ、音楽の世界って本当に深いなあ、とその時僕はすごく感動したんですよね。

 今あらためてそのことを考えると、音でいい絵を描くためには、生身の人間が卓越した技量で演奏した”いい音”は必須で、今の時代のような、すでにPCにある音源を組み合わせて作る音楽作りは、絵を描くというのとは違っているのかなと思います。かえって、コンピューターグラフィックを作るのに近いのかもとも。

 そして思うのは、僕が中学生の頃は映像を見る機会などほとんどなく、ただレコード、カセットを聴きながら自分勝手な想像力(妄想?)を膨らませていたわけですが、僕が聴いていた音源そのものも、演奏家やエンジニアの”耳の想像力”によって膨らまされ彩られていたものが多かったのかもしれないということです。

 これは、MTVとかYouTubeとかメディアの変化によって音楽の聴かれ方が大きく変わった、ということだけじゃなくて、音楽そのものにこめられる”想像力の質”も時代とともに変わってきているということなのかもしれない、と僕は思ったわけです。


 
 
 
 NHKで音響デザイナーの仕事を長年勤めて、現在フリーで活躍されている加藤直正さん。番組の音響の仕事をやりながら、ライフワークとして取り組んでいるのが「音育(おといく)」。”音”の授業です。

 音響デザインというのは、例えばテレビドラマを作る際に、音声さん(録音部)が役者のセリフを録音するのですが、そこにセリフ以外の環境音、効果音、そして劇版の音楽家と打ち合わせて音楽をつける、仕事のようです。まさに”音”のプロフェッショナルなんですね。テレビドラマで耳にする”物音”も、現場で実際にした音をそのまま使うだけでなく、全く違う音をいくつか組み合わせて演出することも少なくないそうです。

 中高年の人たちは、テレビで”音効”さんが、大きなザルに小豆を入れて、左右交互にゆっくり傾けていくと「波の音」に聞こえる、とかやっていたのをおぼえてらっしゃると思います。

 加藤さんは専門学校で授業をやった時に、貝殻を擦り合わせて「これ何の音だと思う?」と質問したところ、生徒さんたちがものすごく”食いついてきた”そうです。”音効”さんがカエルの鳴き声を作る時にやっていたことですよね。パソコンで音を作ることに慣れきっている若い子達には”道具を使って擬音を作る”ことがかえってすごく新鮮だったわけです。

 さすがに今のテレビの現場でも、そうやって音を作ることはほぼなくなっているそうですけど、そういう”音作りの原点”に今の時代に失われた何か大切なものがあると考えた加藤さんは小学生を中心に音の授業をボランティアでスタートさせました。

 考えてみたら、物心ついた頃から「音楽」の授業はあっても「音」の授業は経験したことがありません。

 僕は「KAI NEWS LETTER」というインターネット会員誌でたまにインタビュー記事を書かせてもらっているのですが、その取材も兼ねて、加藤さんのアシスタントとして「音育」の授業に参加させてもらったことがあります。成城学園初等学校の2年生のクラスでした。

 子供達の反応はすごく良かったです。貝殻を配ると、いきなりクラス全員が一斉に貝殻を擦り合わせて、先生が止めるまでカエルの大合唱が教室中に響き渡っていました。

 授業は、道具を使った効果音を取り入れながら、クラス全員で劇をやったり、せんべいとポテチなどのお菓子の咀嚼音の違いをクイズにしたり、女の子を撮った映像でもバックで流す音楽でその子の感情が違って見えることを示したり、どれも耳をすますことが必要とされるものでした。

 僕は音楽業界にいる人間ですが、もうかなり長いこと映像とセットになった音楽にばかり慣れてしまっていたことに気づかされました。そして、音楽には関心があっても、音そのものには関心が薄かったことんですね。

 映像と切り離して音楽だけを聴く、いや、まずは日常の音に耳を傾けるところから、やり直した方がいいんじゃないか、そんなふうに感じました。
 
 ”聴覚はまだまだ掘られていない”と加藤さんはおっしゃっています。聴覚には未知の領域、可能性があるということでしょう。

 僕自身、若い頃レコードやカセットを聴きながら、いろいろ想像力を膨らませた繰り返しが、意外に自分の人格形成に大きく影響していたことを、年をとった今になって気づかされています。

 AIがものすごいスピードで進歩していて、人間の顕在意識でやっているものはほぼ取って代わられるようになるので、これからの人間は潜在意識をどのように活用するかがテーマになる、というようなことを佐藤航陽さんがおっしゃっていたのが強く印象に残っています。

 でも、潜在意識ってどうやってアプローチしたらいいかわからないですよね。ただ、音楽に耳だけで接して、映像は自分の想像力に委ねる、という行為には何か可能性がありそうな気が僕にはするんですよね。


加藤直正さんのHP