けっこうな年齢(?)の音楽ファンにしかピンとこない話になっちゃいますが、1970年代から80年代にかけて、ジャズ、ファンク、R&B、ロックなどの要素を合わせたインストを”クロスオーバー”とか”フュージョン"というジャンル名で呼んでいました。
で、”クロスオーバー”と”フュージョン"この二つ、全く同じなのか、どこか違うのか、曖昧なまま、二つ連れ添うように、そのあたりの音楽をふわっと包むようにして今も存在しています。僕も深く考えずにずっとざっくりとした理解のままでした。
だいたい、ジャンル名なんて主観的なものなので、人それぞれ解釈が違うので、厳密な線引きはできないものなんですけどね。
で、”クロスオーバー”と”フュージョン”という言葉がなぜ今頃気になり出したかというと、
僕がA&Rとしてご一緒させていただいているPYRAMID(鳥山雄司さん、神保彰さん)の音楽をジャンルで言い表す場合、”フュージョン”じゃなくて”クロスオーバー”かな、という話になったんですね。
僕の感覚では”フュージョン”というと日本ではカシオペア、T-Squareのイメージが強いですし、クロスオーバーは洋楽っぽいがあったので、PYRAMIDの音楽性は確かに洋楽っぽいからその通りだな、と思いました。
それに、カシオペアでは多点のドラムセットを自在に操り”千手観音”とも呼ばれた神保さんがPYRAMIDではミニマムなセットでグルーヴ・ドラマーに徹していて、カシオペアのスタイルとははっきり違いを打ち出しています。
その後、しばらくして、そもそも”クロスオーバー”と”フュージョン”ってどんな経緯でつけられた名前なの?と気になってきました。
英単語としてCross Overは「垣根を越える→異なるジャンルや要素が境界を越えて混ざり合うこと」Fusionは「融合、融解」。
音楽についてGeminiに聞いてみると
「クロスオーバーは現象やブームの名前」「フュージョンはその結果定着したジャンルの名前」と捉えるのが一番わかりやすいでしょう。
との答え。なるほど。
検索してみたらアメリカでは”クロスオーバー”という音楽ジャンルはないんですよね。
クロスオーバーは「異なるタイプの聴衆に訴求する音楽作品やアーティストを指す」言葉ということで、黒人のロックンロールを白人シンガーがポップスとしてカバーする際などにも使われていたようです。
そして、1970年代前半にマイルス・デイヴィスがジャズに電気楽器を持ち込んだ『Bitches Brew』以降、そういう”まだ名前のない新たな試み”のことをクロスオーバーと呼び、そういう音楽のスタイルが確立されていくとともに「フュージョン(ジャズ・フュージョン)」というジャンル名が生まれたらしいんです。
1970年代に日本でバンドをやっていた人のブログを見ると「フュージョン」という呼び名が生まれる前はみんな「クロスオーバー」と呼んでいたという記述がありました。
アメリカでは”音楽のジャンル”じゃなく”新たな現象”として便宜的に「クロスオーバー」と呼んでいたものを、日本ではそういう音楽のジャンルのことだと理解してしまったのかもしれません。
そして、その音楽のスタイルが明確に隔離され人気になっていくとともに、アメリカで「フュージョン」という呼び名が生まれ、日本でも「クロスオーバー」から「フュージョン」にとってかわったわけです。そういう経緯なら、アメリカでは呼称は「フュージョン」しかないのに日本では「クロスオーバー」「フュージョン」の二通りあることも納得できます。
ちなみに、僕の「クロスオーバー」観を固定させてしまったものが、NHKラジオの「クロスオーバー・イレブン」で、クロスオーバーというと反射的に番組テーマに使われていたAZYMUTH(アジムス)の「Fly Over The Horizon」を思い出してしまうんです(PYRAMIDもカバーしています)。
でも番組自体はそういう音楽だけじゃなく、普通のポップ、ロック、R&Bもオンエアされてました。まさに”クロスオーバー”だったんですよね。
で、PYRAMIDに話を戻すと、最近はOvall、Jairo、Gaku Kanoなどジャンルも世代も全然違う若いアーティストたちとコラボしています。一つのスタイルに固執せず、軽やかに垣根を越える彼らを言い表すには、やっぱりフュージョンじゃなくて、クロスオーバーがふさわしいかなと思いました。
*PYRAMIDの最新曲は1976年リリースのブラザーズ・ジョンソン(クインシー・ジョーンズ・プロデュース)のカバー。現役藝大生、Gaku Kanoがヴォコーダー/シンセ/キーボードで参加
アメリカのヒットチャート(ビルボード)では、毎年12月の1週目あたりからたくさんのクリスマスソングがチャートに蘇ってきます。
マライア・キャリー「恋人たちのクリスマス」ワム!「ラスト・クリスマス」など日本でお馴染みの曲もありますが、かなり古い曲も多いんですよね。
アメリカにASCAP(米国作曲家作詞家出版者協会)という団体があって、毎年ホリデー・ソング(クリスマス・シーズンの歌)の、サブスクの再生回数、ラジオのオンエア回数、コンサートの演奏回数などを集計したランキングを発表しているのですが、昨年(2024)の結果は以下の通りでした。
<THE TOP 25 ASCAP HOLIDAY SONGS OF 2024>
1. “It's Beginning to Look a Lot Like Christmas” (1951)
2. “Sleigh Ride”(そりすべり) (1948)
3. “Jingle Bell Rock” (1958)
4. “A Holly Jolly Christmas” (1962)
5. “Rockin’ Around the Christmas Tree” (1958)
6. “Let It Snow, Let It Snow, Let It Snow” (1945)
7. “Santa Claus Is Comin’ to Town” (サンタが街にやってくる)(1934)
8. “All I Want for Christmas Is You”(恋人たちのクリスマス) (1994)
9. “Winter Wonderland” (1934)
10. “It’s the Most Wonderful Time of the Year” (1963)
1位、2位の曲の人気ヴァージョンはこんな感じです。
マライアですらもう30年以上前ですが、他はもっともっと前に作られたものばかりです。しかもみんな軽快な曲です。アメリカのヒットチャートというと、いつもはダークな曲調や歌詞の歌ばかりなのに、クリスマスになると突然、古き良きクリスマス・ソングが溢れ出すわけです。
アメリカは日本と違ってキリスト教徒が圧倒的に多いからなあ、とあっさり納得しそうになりますけど、それだけじゃない気がするんですよね。
「ホワイト・クリスマス」「クリスマス・ソング」、「赤鼻のトナカイ」などクリスマスのスタンダードのかなり多くを、ユダヤ系の作詞作曲家が書いています。ユダヤ教にはクリスマスはないそうです。なのになぜ、クリスマス・ソングを?と思いますよね。
20世紀初め、アメリカに移民として渡ったユダヤ人は、差別もあって主幹産業に進むことができなかったので、まだ黎明期だった放送業界や、映画やミュージカルといったエンタテイメント・ビジネスに活路を見出して開拓していったそうです。なので、従事する人にユダヤ人は多かったんですね。
映画やラジオ、テレビのエンタテインメントがアメリカという国の活力源である”アメリカン・ドリーム”、誰もが豊かな暮らしを営むチャンスがある、というビジョンを広める大きな役割を果たしました。
祖国も人種もまったく違う人々が、広大な国土の環境も気候も違う土地に散らばって暮らしている訳ですから、そんな国を一つにまとめるビジョンとして”アメリカン・ドリーム”はとても大切だった訳です。
アメリカの有名なクリスマス・ソングの多くは、「ホワイト・クリスマス」が映画のために書かれた曲だったように、あくまでもエンタテインメントとして作られています。宗教的なものは背景としてはもちろんありますが、メイン・テーマではない。もっぱら、エンタテインメントとして国民に”精神的にも物質的にも豊かなクリスマス”を夢見させるものだったと言える気がします。
日本の場合、僕が思い出すのはバブル期を中心に”クリスマス・イヴは恋人とおしゃれなデートをしないと恥ずかしい”という世の中の”圧”が凄かったというトラウマしかありません(苦笑。クリスマス・ソングというより、クリスマスを舞台にしたラブ・ソングがたくさん作られましたよね。
当時も、日本のクリスマスは宗教的な背景が全然ないのに異常に盛り上がっているのはおかしい、なんていう意見もありましたが、クリスマス・ソングについてだけ言えば、本国アメリカもエンタテイメントとして書かれたものなので、大差ない(?)という見方もできる気もします。
特に1980年代はアメリカがアピールしてきた資本主義の”リッチな夢”を必死に追いかけて真似していた時代でしたから、日本人がクリスマスで盛り上がるのは当然の流れだったのかもしれません。ただ、日本の場合は、宗教的な背景とはあまりにも切り離されて、市場の中での盛り上がりだったので、それがあのバブル期の訳のわからない強引な圧(”クリスマス・ハラスメント”と呼ぶ人もいるようですけど)へと暴走していったのかなと思います。
ともかく、アメリカでスタンダードなクリスマス・ソングが今でも盛り上がるのは、アメリカという国の特異性というか普遍的なビジョン(アメリカン・ドリーム)が反映されていて、国民感情を同じ方向にまとめるという大切な役割を今も持っているからかもな、と僕は思ったわけです。
それに対して日本の場合は、多くのクリスマス・ソングはバブル期の狂騒を甘くほろ苦く思い出すものだなんて思ってしまいますが。先日、あるDJの方がシティポップ系の日本のクリスマス・ソングをプレイするのを聴きながらそう思ったんですけど、同時にバブリーなクリスマス・ソングというのは、当時の日本をよく表しているすごく特殊な音楽で、それはそれで不思議な個性はあるかも、とも思いました。
マライア・キャリー「恋人たちのクリスマス」ワム!「ラスト・クリスマス」など日本でお馴染みの曲もありますが、かなり古い曲も多いんですよね。
アメリカにASCAP(米国作曲家作詞家出版者協会)という団体があって、毎年ホリデー・ソング(クリスマス・シーズンの歌)の、サブスクの再生回数、ラジオのオンエア回数、コンサートの演奏回数などを集計したランキングを発表しているのですが、昨年(2024)の結果は以下の通りでした。
<THE TOP 25 ASCAP HOLIDAY SONGS OF 2024>
1. “It's Beginning to Look a Lot Like Christmas” (1951)
2. “Sleigh Ride”(そりすべり) (1948)
3. “Jingle Bell Rock” (1958)
4. “A Holly Jolly Christmas” (1962)
5. “Rockin’ Around the Christmas Tree” (1958)
6. “Let It Snow, Let It Snow, Let It Snow” (1945)
7. “Santa Claus Is Comin’ to Town” (サンタが街にやってくる)(1934)
8. “All I Want for Christmas Is You”(恋人たちのクリスマス) (1994)
9. “Winter Wonderland” (1934)
10. “It’s the Most Wonderful Time of the Year” (1963)
1位、2位の曲の人気ヴァージョンはこんな感じです。
マライアですらもう30年以上前ですが、他はもっともっと前に作られたものばかりです。しかもみんな軽快な曲です。アメリカのヒットチャートというと、いつもはダークな曲調や歌詞の歌ばかりなのに、クリスマスになると突然、古き良きクリスマス・ソングが溢れ出すわけです。
アメリカは日本と違ってキリスト教徒が圧倒的に多いからなあ、とあっさり納得しそうになりますけど、それだけじゃない気がするんですよね。
「ホワイト・クリスマス」「クリスマス・ソング」、「赤鼻のトナカイ」などクリスマスのスタンダードのかなり多くを、ユダヤ系の作詞作曲家が書いています。ユダヤ教にはクリスマスはないそうです。なのになぜ、クリスマス・ソングを?と思いますよね。
20世紀初め、アメリカに移民として渡ったユダヤ人は、差別もあって主幹産業に進むことができなかったので、まだ黎明期だった放送業界や、映画やミュージカルといったエンタテイメント・ビジネスに活路を見出して開拓していったそうです。なので、従事する人にユダヤ人は多かったんですね。
映画やラジオ、テレビのエンタテインメントがアメリカという国の活力源である”アメリカン・ドリーム”、誰もが豊かな暮らしを営むチャンスがある、というビジョンを広める大きな役割を果たしました。
祖国も人種もまったく違う人々が、広大な国土の環境も気候も違う土地に散らばって暮らしている訳ですから、そんな国を一つにまとめるビジョンとして”アメリカン・ドリーム”はとても大切だった訳です。
アメリカの有名なクリスマス・ソングの多くは、「ホワイト・クリスマス」が映画のために書かれた曲だったように、あくまでもエンタテインメントとして作られています。宗教的なものは背景としてはもちろんありますが、メイン・テーマではない。もっぱら、エンタテインメントとして国民に”精神的にも物質的にも豊かなクリスマス”を夢見させるものだったと言える気がします。
日本の場合、僕が思い出すのはバブル期を中心に”クリスマス・イヴは恋人とおしゃれなデートをしないと恥ずかしい”という世の中の”圧”が凄かったというトラウマしかありません(苦笑。クリスマス・ソングというより、クリスマスを舞台にしたラブ・ソングがたくさん作られましたよね。
当時も、日本のクリスマスは宗教的な背景が全然ないのに異常に盛り上がっているのはおかしい、なんていう意見もありましたが、クリスマス・ソングについてだけ言えば、本国アメリカもエンタテイメントとして書かれたものなので、大差ない(?)という見方もできる気もします。
特に1980年代はアメリカがアピールしてきた資本主義の”リッチな夢”を必死に追いかけて真似していた時代でしたから、日本人がクリスマスで盛り上がるのは当然の流れだったのかもしれません。ただ、日本の場合は、宗教的な背景とはあまりにも切り離されて、市場の中での盛り上がりだったので、それがあのバブル期の訳のわからない強引な圧(”クリスマス・ハラスメント”と呼ぶ人もいるようですけど)へと暴走していったのかなと思います。
ともかく、アメリカでスタンダードなクリスマス・ソングが今でも盛り上がるのは、アメリカという国の特異性というか普遍的なビジョン(アメリカン・ドリーム)が反映されていて、国民感情を同じ方向にまとめるという大切な役割を今も持っているからかもな、と僕は思ったわけです。
それに対して日本の場合は、多くのクリスマス・ソングはバブル期の狂騒を甘くほろ苦く思い出すものだなんて思ってしまいますが。先日、あるDJの方がシティポップ系の日本のクリスマス・ソングをプレイするのを聴きながらそう思ったんですけど、同時にバブリーなクリスマス・ソングというのは、当時の日本をよく表しているすごく特殊な音楽で、それはそれで不思議な個性はあるかも、とも思いました。
前回、「音育(おといく)」、”音だけの想像力”について書きましたが、それで思い出すのがレコーディングエンジニアの鈴木智雄さんから伺った話です。
智雄さんはCBSソニー(懐かしい!)を代表するエンジニアだった方で、「青い珊瑚礁」から「ハートのイヤリング」(大瀧詠一作品は除く)という全盛期の松田聖子、そして山口百恵「いい日旅立ち」、久保田早紀「異邦人」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」などの数々の大ヒット曲、洋楽ではボブ・ディラン「武道館」チープトリック「at武道館」やシカゴ、サンタナなどの伝説的な日本公演やマイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコックなどのジャズのレジェンドたちの録音もされてます。
僕は作曲家/ピアニストの松本俊明さんのサブマネージャー件制作ディレクターという立場で仕事をやらせていただいていたことがあって、松本さんが作詞作曲して手嶌葵さんが歌った「エレファン」という曲のエンジニアを智雄さんにお願いした時のことでした。
エンジニアの方が行う、音源制作のとても大切な工程として「ミックス・ダウン」というものがあります。
録音された音源(ボーカル、ギター、ドラムなど)を、音量やバランス、音質、定位(それぞれの音の配置)などを調整しながら一つの楽曲にまとめる作業です。エンジニアさんによって決して大げさじゃなく”別の曲”になってしまうこともあるんですよね。
智雄さんが「エレファン」のミックス・ダウンの仕上げをされている後ろの席で、僕は目を閉じて聴き入っていたのですが、ボーカルとさまざまな楽器の「構図」がはっきり見えてきて、声や楽器の存在感や輪郭、遠近感などを、まるで、太さの違う絵筆を持ち替えながら、絵の具で濃淡や色の鮮やかさで調整している、まさに「絵を描いてる」ような感じがしたんです。
それで、思わず「絵を描いてるみたいですね」と声をかけると、智雄さんはにっこり笑って興味深いエピソードを話してくださいました。
フィル・ラモーンというアメリカのポップス史上屈指の名プロデューサーがいます。僕が中学一年で洋楽にハマるきっかけになったビリー・ジョエルの「ストレンジャー」をはじめとするビリーの代表作の数々や、ポール・サイモンの「時の流れに」など素晴らしい作品を手がけた人で、元々はエンジニアでした。
日本ではプロデューサーというと、アレンジャー、作詞作曲家、プレイヤー出身という印象が強いですが、アメリカでは特に1960年代から80年代はプロデューサーというとエンジニア出身の人が多かったんです。
智雄さんはフィル・ラモーンをリスペクトしていて、アメリカで彼に直接会う機会があって、そこでエンジニアとしてのアドバイスを求めたところ
「エンジニアはたくさん絵画を観なくてはいけない」
と言ったのだそうです。
絵画からインプットした構図、色彩、タッチ、遠近法などを、音作りに反映させる、ということなのでしょう。そして、目から生まれた想像力を耳に転換する、ということでもあるのかもしれません。耳の想像力を映像に転換する、というのは当たり前にありますけど、逆があるんだなあ、音楽の世界って本当に深いなあ、とその時僕はすごく感動したんですよね。
今あらためてそのことを考えると、音でいい絵を描くためには、生身の人間が卓越した技量で演奏した”いい音”は必須で、今の時代のような、すでにPCにある音源を組み合わせて作る音楽作りは、絵を描くというのとは違っているのかなと思います。かえって、コンピューターグラフィックを作るのに近いのかもとも。
そして思うのは、僕が中学生の頃は映像を見る機会などほとんどなく、ただレコード、カセットを聴きながら自分勝手な想像力(妄想?)を膨らませていたわけですが、僕が聴いていた音源そのものも、演奏家やエンジニアの”耳の想像力”によって膨らまされ彩られていたものが多かったのかもしれないということです。
これは、MTVとかYouTubeとかメディアの変化によって音楽の聴かれ方が大きく変わった、ということだけじゃなくて、音楽そのものにこめられる”想像力の質”も時代とともに変わってきているということなのかもしれない、と僕は思ったわけです。
智雄さんはCBSソニー(懐かしい!)を代表するエンジニアだった方で、「青い珊瑚礁」から「ハートのイヤリング」(大瀧詠一作品は除く)という全盛期の松田聖子、そして山口百恵「いい日旅立ち」、久保田早紀「異邦人」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」などの数々の大ヒット曲、洋楽ではボブ・ディラン「武道館」チープトリック「at武道館」やシカゴ、サンタナなどの伝説的な日本公演やマイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコックなどのジャズのレジェンドたちの録音もされてます。
僕は作曲家/ピアニストの松本俊明さんのサブマネージャー件制作ディレクターという立場で仕事をやらせていただいていたことがあって、松本さんが作詞作曲して手嶌葵さんが歌った「エレファン」という曲のエンジニアを智雄さんにお願いした時のことでした。
エンジニアの方が行う、音源制作のとても大切な工程として「ミックス・ダウン」というものがあります。
録音された音源(ボーカル、ギター、ドラムなど)を、音量やバランス、音質、定位(それぞれの音の配置)などを調整しながら一つの楽曲にまとめる作業です。エンジニアさんによって決して大げさじゃなく”別の曲”になってしまうこともあるんですよね。
智雄さんが「エレファン」のミックス・ダウンの仕上げをされている後ろの席で、僕は目を閉じて聴き入っていたのですが、ボーカルとさまざまな楽器の「構図」がはっきり見えてきて、声や楽器の存在感や輪郭、遠近感などを、まるで、太さの違う絵筆を持ち替えながら、絵の具で濃淡や色の鮮やかさで調整している、まさに「絵を描いてる」ような感じがしたんです。
それで、思わず「絵を描いてるみたいですね」と声をかけると、智雄さんはにっこり笑って興味深いエピソードを話してくださいました。
フィル・ラモーンというアメリカのポップス史上屈指の名プロデューサーがいます。僕が中学一年で洋楽にハマるきっかけになったビリー・ジョエルの「ストレンジャー」をはじめとするビリーの代表作の数々や、ポール・サイモンの「時の流れに」など素晴らしい作品を手がけた人で、元々はエンジニアでした。
日本ではプロデューサーというと、アレンジャー、作詞作曲家、プレイヤー出身という印象が強いですが、アメリカでは特に1960年代から80年代はプロデューサーというとエンジニア出身の人が多かったんです。
智雄さんはフィル・ラモーンをリスペクトしていて、アメリカで彼に直接会う機会があって、そこでエンジニアとしてのアドバイスを求めたところ
「エンジニアはたくさん絵画を観なくてはいけない」
と言ったのだそうです。
絵画からインプットした構図、色彩、タッチ、遠近法などを、音作りに反映させる、ということなのでしょう。そして、目から生まれた想像力を耳に転換する、ということでもあるのかもしれません。耳の想像力を映像に転換する、というのは当たり前にありますけど、逆があるんだなあ、音楽の世界って本当に深いなあ、とその時僕はすごく感動したんですよね。
今あらためてそのことを考えると、音でいい絵を描くためには、生身の人間が卓越した技量で演奏した”いい音”は必須で、今の時代のような、すでにPCにある音源を組み合わせて作る音楽作りは、絵を描くというのとは違っているのかなと思います。かえって、コンピューターグラフィックを作るのに近いのかもとも。
そして思うのは、僕が中学生の頃は映像を見る機会などほとんどなく、ただレコード、カセットを聴きながら自分勝手な想像力(妄想?)を膨らませていたわけですが、僕が聴いていた音源そのものも、演奏家やエンジニアの”耳の想像力”によって膨らまされ彩られていたものが多かったのかもしれないということです。
これは、MTVとかYouTubeとかメディアの変化によって音楽の聴かれ方が大きく変わった、ということだけじゃなくて、音楽そのものにこめられる”想像力の質”も時代とともに変わってきているということなのかもしれない、と僕は思ったわけです。