今日、18日の憲法審査会。

良かった。久しぶりに思わず拍手してしまった。

 

*論点がよりクリアになり良かった点として、

立憲の本庄知史氏が、先週11日の憲法審査会で中谷筆頭理事がこれまでの到達点としてまとめた3点(①緊急事態条項-国会機能維持、②憲法における自衛隊明記 ③教育の充実)の立法事実についての説明を求めた。

議論の到達点(コンセンサス)となればそれぞれの立場で正確に共有されていなければ次のステップには進めない。単なる個人的感想だけでは議論の方向性を見失う。

 ***審査会の後半で中谷氏が①の緊急事態条項の立法事実として述べた内容であるが、よく分からなかった。

中谷氏が冒頭に述べたのは、昨日の愛媛県の地震を取り上げ、「災害は忘れたころにやってくる」と述べ、次いで東日本大震災に触れ、原子力事故による帰還困難者は一年も2年も帰れない状況で被害が広範囲にわたっていて選挙ができなかった、、、と説明。非常にトリッキーな回答に思わず肯くところだったが、中谷氏の発言は自然災害と人災としての原発過酷事故を同一視している。原発再稼働に踏み切った国の方針をお忘れか?国は過酷事故を想定せず原発再稼働に舵を切り替えたのであれば、人命よりエネルギーを優先したことになる。選挙どころの話ではない。自然災害と人災。両者を混同してしまっては立法事実としての定義が成り立たない。

 

良かった点の二つ目として、

久しぶりに聴く自民党・石破茂氏の憲法論議。古くて新しい議論、政治家として憲法論議に参加する上での基本的な姿勢について述べていて石破氏らしい哲学を語っていた。「自分の考えを実現するためにここにいるのではなく、国民の気持ちを代弁する立場としてここにいる」あるいは「我々は個人としてここにいるのではなく、国民の権利の体現者としてここにいる」といった言葉は、日頃の憲法審査会で感じていたチグハグ感をすっきりと代弁してくれたような気がした。

 

これまで憲法審査会の議論を聴いていていつも感じていたのは、”我田引水”。早く議論をまとめ形にすることにこだわり(成果主義)、スムーズに同意しない立憲にあからさまに苛立ちをぶつける。この間、国会では内閣のみで戦後の平和主義を塗り替えるような大転換が行われ敵基地攻撃能力だのと浮足立っていた時である。そして、現在は殺傷能力の高い武器の輸出が解禁され、ちなみに5年間で43兆円の予算が組まれる。国民はまるでATM扱いである。今や国会は裏金問題と共にブラックボックス化し、民主主義国家?いったいどこの国のことだろうか、と思う。

すでに憲法の精神は破綻している。安倍政権より巧妙に。

 

日頃、憲法審査会で常態化している気に食わない党には罵詈雑言をあびせるような振る舞いにがっかりさせられていた時だけに、石破氏の「政治家としてこの審査会にいるのは個人としてではなく国民の権利の体現者としてこの場にいるのだ」という言葉には本当に納得する。

雑感として・・・

毎度おなじみの自民党譲りの古~いヤジ(立憲共産党)を飛ばす大人げない維新を見ていると気の毒になる。

トランプのように一時的に下品さが受けても所詮それは実を結ばないことに早く気付いてほしい。