立憲民主党。19日、盛山正仁文部科学相不信任案決議案を衆院に提出・・・19日の産経新聞配信。

 

今や「議論」の場であるはずの「国会」は跡形もない。あるのは精神年齢8歳以下の子供じみた自己弁護のオンパレードである。いずれも自身の情けない姿に気づいていない。どうも人間は年齢に相応して賢くなるものではないらしい。

 

盛山文化相。

「記憶にない」といえば不都合な現実に向き合わずに済む(幼児並み)。つまり事実よりも個人の認識が優先される国会答弁の不思議。議論は初めから期待されてはいない。そして客観的事実より個人の記憶を優先し首相も肯き同調する。両者とも成長が望めない点において甘ったれた親子関係をイメージしてしまう。

 この70歳にもなろうという御仁。これまで何を学び何を得てこられたのだろうか?あまりにも寂しい年の取り方ではないか?

そして、

もう一人。歳に応じた成長から外れてしまったあの無邪気な83歳の御仁。国費を使ってたびたびの海外渡航で何を学んできたのだろうか?今回は、英語に堪能なことを指してそれだけで感服してしまう無邪気さに言葉がない。実際の能力は英語力とは別物である。本人は女性蔑視などとはつゆとも思っていない。今や最後の砦となった派閥に守られ、塀の中でしか通用しない人間(政治家)の支配が続くようであれば日本の未来はない。

 

改めて、盛山氏の答弁。

文部科学相として求められる答弁として果たして適切だったのだろうか?

「文部科学省」は教育、科学技術・学術、スポーツ、文化の振興といった国の基盤を担い、国民が心も体も健康で、豊かな生活ができるよう、様々な法律や計画に基づき仕事をしている…のであれば、政治家のイロハでもある憲法20条の政教分離、国民の健康で豊かな生活のための法律にはより厳しく自身を律するのが当然である。盛山氏の答弁において全くその反省すらなかった。

 

2月20日、KYODO配信のニュース。

*立憲民主党が提出した不信任決議案についての盛山氏のコメント*

「追及が手詰まりになり、予算案の日程闘争もある。与党を批判するちょぅど良い材料に私が使われた」とは・・・とほほ・・・こういう輩には不信任案しかなすすべがない。

 

それにしても、この期に及んでも自民党に不信任すら意思表示できない維新(野党?)とは・・・であるかぎり、自民党政権は今後も続く・・・