2024年1月5日。朝日新聞。

宝島社からのいつものメッセージが届く。

「失われた30年じゃない。天才たちが生まれた30年だ。」・・・紙面2面を使って大きな文字。

今回は、ト書きの説明文に正直全面的に共鳴できないところがあった。ト書き後半で「若者は好きなだけ自信を持ち、いつも自分を楽しんで、行けるところまで駆け抜けてくれ」の文章。確かに自由を満喫して、キラキラと大きく羽ばたく子供たちを見るのは本当に幸せな気分になる。

 しかし、どうしても戦争の惨禍に巻き込まれ可能性を潰される若者たち、子供たちのことを考えずにはいられない。人間として大地に足跡も残さず殺された大勢の子供たち。そして若者は殺されるか人殺しに駆り出されるかという現実。

幸せを謳歌している若者も大いに現在に至る過去を嘆いてほしい。そして、最も大事なのは人間とは何かを考え続け模索してほしい。大人も若者も。

そして、最も気づいてほしいこと。戦争、殺し合いによって人間という可能性を潰し地球の未来も殺していることを気づいてほしい。

 

ここに、2022年1月9日に書いたブログを再々発信したいと思う。自分の気持ちに向き合うためにも。。。

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「いつまでも成長しないメディア」 2022年1月9日のブログより

 

2022年1月6日。いつもの宝島社からの便りが届く。朝日新聞見開き2面に渡るあの広告。

「男でも首相になれるの?」の見出し・・・ドイツでは子供たちからこんな質問が出るらしい。16年間女性が首相を務めた結果だ~と文章が続いていく。このページをはじめに見た夫。珍しく「いいね」とつぶやいた。

 我が家では、相変わらず年頭に届く宝島の新聞をソファー上の壁に画びょうで止めている。

時の政権の空気を読むことに専念するメディアもあれば、この宝島社のように鋭い嗅覚で時代を切り取るメディアもある。

長い文章になるが、2019年も含め2020年1月のブログを再発信したいと思う。

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「いつまでも成長しないメディア」 2020年1月9日のブログより。

 

昨年、1月9日付で「いつまでも成長しないメディア」というブログを書いた。昨年1月7日に届いた、朝日新聞の見開き両面を使った宝島社の鮮烈な広告は他のメディアの生ぬるさとは大きく違って見えた。

「嘘つきは戦争の始まり」。現在も我が家の居間のソファー上に貼られたその広告は未だに鮮烈さを失わず、むしろリアリティーを増している。

 そして、今年1月7日に宝島社からのメッセージが届いた。相変わらず新聞2面を使い、左右両端にメッセージが書かれている。右端には、「ハンマーを持て」、そして左端には「バカがまた壁を作っている」。中央にベルリンの壁と思しき壁にFREEDOM の文字。「バカの壁」の著者、養老猛司氏のことが思い浮かぶ。この広告にある、人を指して「バカ」と言う事には違和感を持つが、この‟バカ”というのは自身のことを言っているのではないかと思う。バカである自分は自身の思考力の限界に思い至らず、常に他人がアホなのだと思っている。自分以外をバカだと思う事は、ある意味、自己防衛本能からではないかと思う。そして、「ハンマーを持て」というメッセージは、自身の偏見を打ち砕くためのハンマーである。

 

これからの一年、この広告も壁に貼ろうと思っている。昨年のブログ「いつまでも成長しないメディア」の再発信と共に。

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「いつまで成長しないメディア」 2019年1月9日のブログから

 

1月7日。正月の屠蘇気分が残る中、新聞の折り込み広告が目に飛び込む。新聞の左右両面を使い「嘘つきは、戦争の始まり」という文字。藍色を帯びた紙面にはあの有名な油まみれの鳥、下方に小さく広告主の宝島社の名前。冷気を含んだ鋭い大刀が、一瞬に温い空気を祓うかのようなメッセージだった。

 

この油まみれの鳥はわたし達の姿そのものに見える。油(嘘)にまみれ、翼にまとわりつく油は飛び立とうにも飛び立つことができない。

この広告はフエイクを許さない年になる予感を与えてくれるが、国民次第である。私たちは考えられないような、様々な嘘を目にしてもすぐに慣れて、いつもながらテレビ番組から得たような知識で満足してしまう。政権からしたら本当に素直な御しやすい国民と言う事になる。

 

今、

テレビだけでなく、ネットのニュース、あるいは新聞報道も何やら嘘臭く、センセーションナルでお手軽な報道が目につく。

1月9日の夕刊フジ配信ニュース。いかにもフジらしい記事と言える。フジ、そしてサンケイと言えば多くの人々の固定観念として政権寄りの記事として理解されている。大手の読売もその中に加えられる。2017年5月22日の読売新聞。「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中、平日夜」と題した記事は最悪であった。

社の方針が、読者の嗜好に合わせ売れる新聞を書くことが第一義的な目的ならばそれはそれでそういう新聞として納得するが、ロクすっぽ取材もせず事実を曲げて書くフエイク記事は活字を生業にしているのであれば許される事ではない。

 

1月9日の夕刊フジのニュースに戻るが、タイトルは、「レーダー問題に”沈黙”・・・立民公式ツイッタ―に批判殺到 識者「韓国の矛盾など、きちんと認識していないのでは」

長い表題である。

概ね長い表題は、傾向として表題だけをつまみ食いする読者のためのもので、いわゆる商品のパッケージの役目を果たしている。粗悪になればなるほどこの商品のパッケージはセンセーショナルな文字で飾られ本文をじっくり読み、考える読者など初めから想定していないのかも知れない。この表題からでも粗い記事であることが分かる。批判殺到とあるが同じ人間によるツイートと言う事もあり、いずれにしても殺到の基準があいまいで本文でも触れていない。また、ここでいう識者とは誰を指すのか?自前の識者を想定しているなら別だが。

 

記事の内容は、立憲民主の枝野代表が韓国駆逐艦による海上自衛隊P1哨戒機へのレーダー照射問題にだんまりを決め込んでいる事に対する疑問と言うより批判が主である。

野党批判を主に書いているジャーナリスト(識者)は、「韓国海軍の危険行為や、反論動画の矛盾などを、きちんと認識していないのではないか。隣国の『脅威』への感性がなく、自民党や安倍政権ばかりに『脅威』を感じて批判するのはおかしい国民的視点が分からないのでは、政権を担う資格はない」

 

残念ながら、この夕刊フジの記者もジャーナリストも、1月6日のNHK日曜討論の取材をしていないのではないかと思う。日曜討論で、枝野氏は「韓国側の様々な対応に日本側とすれば色々指摘せざるを得ない点があるのは間違いがない。一方で北朝鮮問題、東アジア全体を考えると日韓関係が悪化することで一番喜ぶのは北朝鮮かも知れない。問題点は問題点としてしっかり厳しく指摘しながら、全体としていかに円満に連携できるかと言う努力を最大限していく必要がある」と述べている。

従って、「だんまり」と言うのはフエイクである。

また、

安倍総理への脅威と隣国への脅威が同列に論じられているのも相当無理がある。我が子への盲目的な愛情が時に我が子をダメにしてしまうようなイメージが浮かぶ。政治家であれば嫌韓嫌中に油をそそぐようなことに慎重になるのは当然である。正当性を主張し相手を打ちのめしても利益につながらない。

 

何より、批判記事を書く前に事実に基ずく取材を基礎にメディアとしての成熟が不可欠である。

どうしよもない国だからこそ外交の力が試されるのであって、単純に怒りをぶつけられれば外交努力など必要が無い。隣国への脅威だけで突っ走る政治家よりもむしろこういう時だからこそ大局的なものの見方が必要なのではないか?政治家の器量に関わることである。感性の問題ではない。

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2022年1月9日。

9日付、産経新聞配信の記事。「敵基地攻撃能力」野党の差鮮明、立共反対、維新賛成の見出し。

 岸田首相が検討課題に挙げている「敵基地攻撃能力の保有」についての取材。今日のNHK日曜討論でもそれぞれの党首の意見が述べられ、立憲民主党と共産党が反対の立場から、維新は賛成の立場、国民民主は概ね賛成の立場で意見が述べられている。

 

勇ましい(血の気が多い)人間ほど火器に手を出しやすい。手を出す決定は政治家が、闘う主体は自衛隊の皆さまという事になるらしい。

米国の後ろに隠れて(いるつもり)の単純なメンタルで人を殺す方法を言い出してほしくはない。敵基地攻撃能力とやらで敵がビビる(抑止力?)ほど彼らはお花畑ではないはずだ。どうもメンタルが単純すぎる

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