2023年12月26日の朝日新聞3面。「沖縄『辺野古工事承認せず』」の見出し。

10年近くたった今も沖縄は苦しんでいる。

「辺野古への移設計画で、新たな区域の埋め立てのため防衛省が申請した移設変更を承認するよう県に命じた福岡高裁那覇支部判決に対し玉城知事は25日、承認しないと表明。国は、県に代わって承認する「代執行」の手続きを28日までに行う方針で、来年1月にも県が認めていない区域で工事が始まる」・・・との記事。

 

いまだに苦しみ続けている沖縄。

ここに2018年12月27日に書いたブログ、「沖縄のこと(2014年、2015年のブログから)」を再発信したいと思う。本土?の国民としてどれだけ沖縄の人々の状況を理解し、特に安全保障に関する問題としても共有しているのか、、、を考えると本当にこの国は政治家ばかりか国民も含めて「無責任」だと思わざるを得ない。

 特に、記事にあるように、「国が地方自治体の事務を代執行する初めてケースとなり、国と地方の対等な関係をゆがめかねないとの批判がある」・・・については全く同感である。

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「沖縄のこと(2014年、2015年の4ブログから)」…2018年12月27日のブログより…

2014年1月23日、2015年4月6日に沖縄についてのブログを書いた。
平成が終わろうとしている今、沖縄への理不尽な扱いは変わらず、かえって政権の剥き出しの力の行使がエスカレートしている。
改憲に傾注している現政権。沖縄の存在を無視して、口当たりの言い改憲論など語れないはずである。残されたままになっている沖縄の疑問を整理し見つめ直す意味でこれらの古いブログを再発信したいと思う。

「沖縄」 2014年1月23日

胸が痛む。

もし、あなたが農家の長男に生まれ、職業の選択はおろか農家を引き継ぐことを強制され嫁まで決められ自分の意志など入り込む余地なく生きなければならないとしたら・・・少し前までは農家の長男に生まれた宿命として受け入れ、このようなことはそんなに珍しいことではなかったのかもしれない。

しかし、今はそのようなことを息子や娘に強制する親はいない。居たとしても息子や娘には少なくとも選択の自由がある。

今、沖縄は基地以外の生き方を選択する自由があるのだろうか。

本来なら基本的人権の侵害ではないのか?

怒りと悲しみで胸が痛くなる。そしてム・カ・ツ・ク!

 

1月20日、朝日新聞一面トップ「辺野古反対の現職再選」の記事。

地元にとっては、普天間の危険性の除去を切り札に辺野古への移転を容認しなければない義理も合理性もないはずだ。米軍普天間飛行場を利用し続けたのはアメリカであり、容認し続けたのは日本政府である。

あれか、これかという2者択一ならまだしも、一つの選択だけを提示し危険を回避したければあきらめろ、と言うのであれば、人はそれを恫喝と言うのではないのだろうか?

仲井真沖縄知事の承認は、多くの沖縄の人々に、「お上には逆らえない」という深いあきらめと悲しみをもたらしたように見える。

そして、1月20日の辺野古移設に反対する稲嶺現職市長の再選は、沖縄の人々の最後の踏ん張りでもあった。

新聞の論調も気になる。

沖縄県名護市の稲嶺氏に対して「国、政府はどう対応するのか」、という新聞の論調は本土にいる国民がまるで観客席にいるかのような気持ちにさせる。稲嶺氏を孤立させてはならない。沖縄の問題は私たちの問題として考えさせる紙面であってほしい。そして本気で安全保障に向き合い冷静な議論をまきおこすことが必要だ。

 

18年もの年数をかけた辺野古への移設案だと自民党は胸を張る。そしてこれが最も最善なのだとも。

この間、わたしたちは本気で沖縄における基地の問題と基地化を正当化する根拠としての安全保障の議論をやってきたのだろうか?

マスコミも政府も最終的には沖縄基地ありきの議論で堂々巡りしていたように思う。

「基地・沖縄」の名前は半世紀たっても基地の名は消えず基地として固定化されてしまうように見える。

普天間から辺野古への移設は米国にとっても基地設備のリニュウアルといった面で使いやすさの向上に向けて渡りに船だったはずだ。

 

またひとつ、国を守るための防波堤で自然が犠牲になる。

不条理、という言葉が浮かぶ。

「沖縄」その2  2015年4月6日

古くなるが、昨年2014年1月23日付で、1月19日の名護市長選で稲峰氏が辺野古移設の反対を掲げ再選したというニュースをうけ「沖縄」というタイトルでブログを書いた。当時の朝日新聞の論調が気になり、また集団的自衛権をめぐる日本の安全保障の問題においても、防衛の最前線にある沖縄の民意を忖度もされず,沖縄の基地が当然のように安全保障にくみ込まれたまま〝粛々”と議論が進んでいることに何だかわからないままにずうっと釈然としないものを感じていた。

おそらく多くの国民、特に政治家は、今更「沖縄の基地は必要ですか?」などとは聞けない暗黙の了解があって日本の安全保障において、何故、沖縄なのか?ということすら議論されてこなかったように思う。

それを端的に言い放ったのが、菅官房長官の「粛々と」あるいは、「この期に及んで」という言葉であったのだと思う。

辺野古にこだわる最大の理由として、中国の海洋進出、尖閣の問題を挙げている。つまり沖縄の地理的要件での沖縄選択としか頭に浮かばない。地理的要件だけで沖縄に基地が集中する根拠となるというのも説得性に欠ける。万里の長城のように絶えず攻めてくる敵に対し歩哨を立て日長見張っている時代ならともかく今や北朝鮮の核設備まで映し出す時代である。

 

民主党の鳩山首相の,「少なくとも県外移設を進める」という、言ってみれば、「思い先行型」の安請け合い(似たようなことが現政権でも見られるが)で沖縄問題の本質的な議論が葬り去られてしまったのではないかと思う。

 

いま、沖縄の人々が再び辺野古移設に反対する翁長知事を選び沖縄の民意を表明したことで、普天間の危険除去などという限られた地域の問題ではなく、日本の安全保障の包括的な問題として沖縄を考える、という問題提起をしたのではないかと思う。

初めから沖縄ありきの中で、他の選択肢を示せず思考停止ともいえる無責任さは、本来国が責められるべきもので、普天間の危険除去のために辺野古以外の代替案があるのか、と沖縄に詰め寄ることではない。翁長氏の「政治の堕落」という言葉は重い。

4月6日の朝日新聞社説。

相も変わらず、沖縄の苦しみ、痛みに触れても日本の安全保障における沖縄の立場という視点を欠いた論説になっている。

政府の翁長氏に対する処遇は、誰が見ても恥ずかしいくらい未熟な対応であることは明らかで、統一選挙を前に政権のイメージづくりだの、安倍政権の訪米を控えてのアリバイづくりだの、菅氏の弁を借りて、これから国と沖縄県が話し合いを進めていく第一歩になった・・・などなど。隣国の中韓に対するコメントじゃあるまいし、どうしてこうも空々しく稚拙な解説なのだろうか。
いわゆる、この論調が本土に住む人間の限界なのかもしれない。

 

社説が述べているように、「辺野古で進める作業を中止すること。それが話し合いに臨む最低限のルールでないか」などという手続き論よりも、集団的自衛権を容認することにより日米同盟の役割分担が画期的に変わることが予想される中で沖縄がどのような負担を強いられるのか、補助金でお茶を濁すことなく具体的に現実的に話し合われるべきだと思う。

そのうえで、辺野古での作業が現実に珊瑚を破壊している現状は建設以前の問題として政府は沖縄に陳謝すべきである。

 

安全保障の問題となると必ず枕詞のように使われる言葉として、
〝日本を取り巻く安全保障環境は劇的に変化している中で”、というのがある。環境の変化に伴い絶えず沖縄がその受け皿としてその変化を受け止めなければならないとしたら、こんな不条理はない。
昨年、石破氏をはじめ、自民党の政治家が18年もかけてこの沖縄の基地問題に取り組んだ結果、辺野古以外の選択肢はないと断定していたが、18年も歳月をかけた結果が現在の沖縄なのであればその手法というより根本的な問題が見過ごされてきたとみるべきではないか?
特に近年の安全保障環境の変化は特筆すべきことなのかもしれない。そのなかで、日本が様々な紛争に至るまでの新たな問題と質的変化への対応ができているとは思えない。武力だけで抑止できないことも現実に起こり、一方で武器の画期的進歩に絡み軍隊の形態さえも大きく変化していると思われる中で、安全保障に対する政権の認識が賞味期限切れになってはいないのだろうか?
朝日新聞の社説にあるような手だてとも言えないような手だてでやり過ごすことは、従来型の政治的手法、すなわち沖縄の人々の感情に訴え問題を先送りするだけではないのか?

 

そして、もうひとつ

安倍首相は、米国にあるがままの日本の現状と、日本の安全保障にかかわる十分な国会論議を経た後に結果を説明すべきであって日米安保の信頼関係を維持するためにも「思い先行型」による発信はすべきではない。生煮えのまま外に出すことは、鳩山前首相と同じく信頼を著しく損ねることは立証済みである。

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今や米国はトランプ氏によってどこで地雷が爆発するのか分からない状況になっている。この不安定な状況においては、日本側の判断として沖縄を犠牲にしても下手に波風を立てず死んだふりするのが得策だと言う判断が働いているのかもしれない。

 

しかし

沖縄の問題は日本の防衛に関わる本質的な問題として、また地方自治と国との関係性においてもあらゆる面から総合的に話し合われるべき問題である。

 

武器を買うだけの間柄では今後の日米同盟がゆがめられてしまう。日本は、このまま風(米国次第)に吹かれ民主主義国家としての国の体裁さえ維持できない国になるのか?

沖縄の問題に政権がどう向き合うかで、民主主義の成熟度が試されると思っている。

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