つい先日、7月15日に「今こそ求められる立憲の存在」というブログを書いた。「疑似自民党の野党」としてではなく、本物の野党の存在が求められているように思う。

 

無作為にカネの工面さえつけば理屈は後回しでやすやすと歴史的大転換を受け入れてしまう。周囲の安全保障環境が悪化しているといわれ続けてきた中で起こったロシアのウクライナ侵攻。こういう時だからこそ政府には落ち着いて、歴史的背景を含めた冷静な現状分析、また、我が国の地政学的環境を踏まえた現実的な抑止力(一発の敵基地攻撃が戦争抑止力になるのか)が求められる。そして最も重要な経済的背景も。国民から絞ればいいと考えている限りこの国は沈む。たとえ戦争がなくとも。

 この先、歴史を振り返る時、納得できる理屈を語れる政治家が果たして岸田政権にいるのだろうか?

この政権には理由を語れるほどの知性と創造力など期待はできない。

 

今、野党の存在意義が語られる時、必ず言われるのが政権交代可能な野党としての存在である。

今まで、反対ばかりの野党として大きくクローズアップされ、それが政治の停滞を招いているかのようなメディア誘導の悪評で野党の存在意義がゆがめられてきたように思う。政権交代可能な野党の存在が権力闘争に特化されていては、それこそ文句ばかりの野党のイメージからは抜けだせない。

 合理的な野党と与党の関係性とは、船でいう「右舷」と「左舷」のような関係性だと思っている。船は右舷と左舷があってまともな走行ができる。左舷の役割は、今まで公明党がささやかながら担ってきた部分があったのかもしれないが、この歴史的大転換においてはその存在は風前の灯となっている。与党案に寄り添いすぎて野党の存在意味を失えば、政権交代以前に自滅する。今こそ、野党の存在意義が問われるときではないかと思っている。

 

2019年㋆28日、「溶け行く野党」というブログを書いた。すでにこの頃から野党の存在意義が問われていたように思う。改めて再発信したいと思う。

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「溶け行く野党」 2019年㋆28日のブログより

7月26日、Jcastニュース配信。

玉木氏は本当に「変節」したのか?発言波紋も。。。参院選前から「憲法の議論を進める」主張・・・の記事。

 記事では、国民民主の玉木代表が、ネット番組で憲法改正に前向きな発言を繰り返し発言したとされる事について述べている。

この玉木氏の憲法に関する私見は、「従来の考え方を述べたまで」と言うことであって「変節」ではないと言う自身の釈明は理解できる。しかし参院選後の安倍首相の憲法改正についての発言内容を把握しているなら、責任ある党首としての発言は慎重であるべきだと思う。23日、選挙結果を受けての安倍首相の会見で、「少なくとも議論すべきだと言う国民の審判は下った~」と言う安倍首相発言は、おそらく初めから用意された発言でこの言葉を言う事が安倍首相の今回の参院選の目的だったのではと思うほどの入れ込みようである。公明党でさえ「少し強引だ」と言う反応を見せている。

こうした経緯の中で当然、国民民主の党首発言はより戦略的に慎重でなければならないはずだ。ちっちゃなお坊ちゃまのように感じたままをストレートに言う事で周囲に与える影響も考えられないとしたら党首としての政治的センスはない。

 

今回の玉木代表の発言の中で、特にこれは本当にダメだと思ったことは、

参院選後の反省という言葉から始まった「『モリカケ』に時間使い過ぎて『本当にお詫び申し上げたい』」と言う謝罪は、誰に対し何を詫びているのか?

国民に詫びなければならないのは国会を軽視し続けた安倍政権であって野党ではない。

 

この発言は本当に見過ごせない。

モリカケは国会、あるいは民主主義の根幹を揺さぶり、閣僚、国会議員までもが官僚と結託し国民を欺いた行為である。

 

あなたは誰に何を謝罪しているのか???

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