泉氏の定例会見。定例会見はある意味、泉代表の本音が聞ける場として見ている。特に記者からの質問に対する泉代表の受け答えは泉氏の人柄が表れ興味深い。
21日の定例会見。このところ急に増えた維新がらみの質問。メディアの意図は、支持率も含め対立する立憲の反応を拾うことによって記事を面白おかしくすることにある。立憲の定例会見の場において記者の取材対象は立憲ではなく維新の面白発言(罵詈雑言)にあり、まるで立憲の定例会見が維新の宣伝の場に使われている気分になる。何によらずメディアに載ることが党の宣伝効果と考えているような党とは関わらないことが第一だが、事実と違うことを平気で喧伝する場合は訂正する必要があり、その行為がまたまた彼らの目論見通りメディアへの露出度を上げ彼らの目的は達せられる。ホントに厄介な党であることには間違いない。
さて、本題として、21日の定例会見での疑問に戻ると、正直言うと疑問というより違和感に近い。
中盤で泉代表が強調したのは、「立憲についての印象、イメージが正しく伝えられていない。安全保障政策、防衛政策は、防衛費増額そのものを否定するものではなく現実的な防衛政策、自衛隊員の待遇改善についても、むしろ与党以上に言及している。また海底ケーブルの安全確保とかより重層的な安全保障政策について言っているのも立憲民主党であって現実的な路線の政党であることを強調。またエネルギー政策については、立憲は今ある火力発電所、原子力発電所を安定供給なしに全部止めろとは言ってはいない。安定供給を大前提にしてエネルギーシフトに力を入れるという現実的な政党です」と述べている。
この文面からも読み取れるが、いかに立憲が現実的な党であるか、泉代表は涙ぐましいほどアピールしている。
アピールすればするほど、自信のなさが見えてくる。普通であること、普通に見えるか見えないかいつも気にしていた十代のころの友人を思い出す。高々普通レベルになることにこだわるよりもきっちりとした党の信念、姿勢を打ち出すことのほうがより有効で国民としても何をしたい党なのかわかり易い。
また、わが党は中道左派だの多様性を重んじる党である、、、と政治用語で語るより一つの政策について是なのか非なのか具体的にその理由と今後どのように取り組むつもりなのかも含め説明することのほうが有益だと思われる。メディア側から見てもなんかはっきりしない党のように誤解を与えているのではないかと思う。
ちなみに、
「現実的~」という言葉は昔から政治家が好んで使う言葉ではないかと思っている。政治家が意味ありげに使うときはほとんどが便宜的な薄っぺらな現実であることが多い。また「現実的」とは妥協することでもある。現実をカバーしきれないときに、この「現実的」という言葉は都合がいい。政治は言ってみれば妥協の産物であることから、例えば原発事故当時、代替エネルギーについて真剣に議論されていても12年たった今、再生エネルギーに対する意欲が減退しているように思う。進歩を阻害する様々な要因、しがらみがあることは分かっていてもどうすることもできず現状追認のまま、いわゆる現実的な選択「現状追認」が続いていく。全く同様のことがこの10年以上にわたって続いてきたのが、安倍政権以降続いた低賃金と少子化による生産人口の減少ではないか。
泉代表が、「権力に抑圧されないリベラルを大事にしながら、現実的な政治運営を考えている」。そして自民党については、自民党の外国人労働者政策などの遅れを指し「一言でいえば『惰性保守』だ」(23日、朝日新聞報道)と批判しているが、少なくとも立憲は「惰性保守」、変化を恐れ現状追認のまま現実を肯定し年数を重ねていくような党ではなないことを願う。
そして、一言。
25日の岡田幹事長の定例会見。思わず「さすが」とつぶやいてしまった。
会見の終わりになって記者からの質問につぶやくように答えた岡田幹事長の言葉が現在の疑問の半分に対する回答ではなかったかと思っている。
「原発をすぐ止めろ」という意見は党内にもある。かってはそういう意見も多かった。しかし議論を重ねて聞くうちに、岡田氏が言ったのは、「政権を執ったときにできない政策は言うべきではない」・・・これ以上シンプルな言葉はない・・・政治家の責任を改めて考えさせられる・・・そして、規定路線は続く。