立憲・泉代表。14日の定例会見で「自民党の議席が維新に変わったとしても路線的にには変わらない」と述べ、野党第一党を目指す日本維新の会をけん制した…というニュース(ABEMA TIMES)配信。

 加えて、「今の自民党政治と本気で戦っている政党がどこで、また選択肢がどこなのか。仮に自民党から維新に議席が変わったとしても路線的にはあんまり変わらない」・・・この泉氏の指摘。本当にど真ん中をついている。

 

立憲・小沢氏の泉執行部に対するいら立ちは理解しつつも、今、自民党の利権政治ときっぱりと決別し政権交代を目指すような殊勝な野党が存在しているのだろうか?もともと維新は別としても国民民主は万年野党といわれる立場に嫌気をさし与党に取り入ることで活路を見出す。むしろ同じ野党を揶揄し貶めることで浮上する。本当に情けない存在になりつつある。

 

たびたび過去のブログを再発信することに抵抗を感じつつも、5年前のブログがそのままの形で現在につながっていることに我ながら驚く。長い文章になるが、ここに再発信したいと思う。

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「国会のルールも守れない政党に『立憲』を名乗ってほしくない」2018年7月15日のブログより

 

7月13日付産経配信ニュースで「立憲民主党、着々と労組支援獲得・・・一方で『先鋭化』に拒否感」のネット記事。

13日、情報労連の定期大会取材記事の中で、労組側に最近の立憲民主党の国会対応での「先鋭化」に拒否感を抱き始めており、「何にでも噛みつく政党になってしまった」、あるいは支持を決めた産別からも「この党は大丈夫なのか」と言う声が出ている、、、との記事。

そして

極め付きは、連合関係者の言葉として「国会のルールも守れない政党に『立憲』を名のってほしくない」との記事。いささか担当記者の個人的感情が入っている気もするが。

 もし、これが本当だとするならこの労組側の人物が現在の国会の内情をどれだけ理解しているのか極めて疑わしい。そもそも立憲に値するような国会運営がなされているのかを問われなければならない。対決ではなく話し合いで解決できるような良識ある国会であれば野党がわざわざ「先鋭化」して無駄なエネルギーを浪費せずに済むはずである。現在の立法府は良識など通用せず与党の私物化が顕在化している。ブレーキ役の野党がいくら踏み込んでも与党の暴走はブレーキを振り切り暴走しているのが現状ではないか。「立憲」を名のってほしくない、、、などと評論家的発言は現在の立憲民主党にとって何の役にも立たない。

しかし、

闘い方は戦略的に、しかも野党がひと固まりになる必要はある。「対決より解決」と国民民主が訴えても野党の足並みを乱す方向に利用される。国会の私物化と言う病は予想以上に深部まで及んでいる。

 

7月14日の朝日新聞「憲法季評」で蟻川恒正氏(日本大学大学院法務研究科教授)が国会は「国権の最高機関」-質問権許されぬ軽視と題して寄稿されている。ここで氏は議員の質問権に焦点を当てて論じており、現政権を構成する人々は、自分たちが議員の質問権を軽視している自覚さえ持ち合わせていないのでは、と指摘している。また、『国権の最高機関』に相応しい政治に言及し、まず直接的・間接的な事実関係を議院の国政調査権(憲法62条)を行使して明らかにし議場での質問を通じて掘り下げ、関係のある政治家に政治責任と言う「法的」な責任を取るよりほかなくさせることである、、、と結論づけている。

 

現政権において野党の質問権が軽視され、現政権を構成する議員が国会は「国権の最高機関」(憲法41条)と言う命題さえ理解されていないとなればもはや政治はカオスである。。

 このような混沌の中では立憲民主党を含め野党そのものが「先鋭化」するのはやむを得ないとしてもより高度で緻密な連携の上に「先鋭化」する必要がある。表面的で稚拙な駆け引きは与党に水を与えぶよぶよと膨らませるだけである。党首討論では国民民主のようにモリカケだけに拘泥していない事が歓迎されているかの舞台装置(安倍首相の握手)も含め与党はかなりしたたかである。本来なら野党への質疑を徹底的に軽視し続け、まともな答弁さえしていない与党の責任が面に表れるべきであるがここでは逆転する。国民はしっかりと見届ける事が必要である。

 

正直言って、

立憲、国民民主と連合との関係性が今一つよくわからない。民主党、民進党、立憲民主、国民民主の支持母体であり続けた事だけは理解していても同じ野党であっても党によって支持母体も分かれ国民にとって分かりにくい要因となっている。

 そろそろ連合として将来の日本の暮らし全体を見渡すような大きな未来絵図を描く必要があるのではないか?人口減少に伴う生産人口の減少、社会保障の問題も重要ではあるがこの度の西日本広域豪雨による被害の大きさに言葉を失う。あの3、11津波に伴う原発事故も〝災害はいつも想定外によってもたらされる″という言葉と共に私たちの脳裏に刻まれた。今月5日の夜に集まった首相はじめ政府の危機管理のエキスパートたちは酒の品評会を楽しみすぎて災害のイロハも思い出す余地がなかったのは非常に残念である。

 原発の問題は経済、防衛にダイレクトに関わる問題で近視眼的な支持母体の利益優先だけでは済まない。政府に先駆け議論だけでもテーブルに乗せることはできるはずだ。

 

***余録として

このところ気になるニュースとして全国紙の中で朝日新聞の信頼度が最下位だとの報道があった。信頼度が何によるものかがはっきりしないのもこの記事を漠然としたものしている。ただ朝日新聞を購読する者にとって、時折他紙に替えてみて思うのは、英語で言うところのinspire に当たるのかもしれないが知的探求心の入り口として他紙にはない魅力を持っている。今回引用させてもらった「憲法季評」のページ、オピニオン&フォーラムのページは特に好きなページである。一面の「折々のことば」の小さな囲み記事は透明な雫のように、時にオアシスになり、時に透明なガラスの破片となって心に突き刺さる。森友問題を追及し続け公文書の改ざんを掘り起こした功績はどの新聞社も為しえなかったことである。「知への入り口」と言う要素をしっかりと満たしている点において御用新聞にはない要素だと思う。新聞を丸ごと信じ簡単に誘導されるほど朝日の読者はヤワではないはずだ。