2022年7月15日、「民主主義国家の外と内側の落差」という題でブログを書いた。

日本人の体裁を重んじる性格は、政治家に特に顕著に表れている。海外に向けては何とか民主主義国家としての対面を保つことに腐心し、国内においては〝こんなことが”というような事が平然とまかり通る・・・すべて国民のせい?!!

 

昨年銃撃され亡くなられた安倍晋三元首相の一周忌法要を終え、改めて感じたのは、この国の政治家は、いつもながらわが身(党)の保身が優先し、民主主義制度はいつまでたっても成熟することなく、国民を前にしてまともな議論さえできない。

「聞く耳」は単なる集音器に過ぎず、ただ彼らが生き延びているのは国民が忘れっぽいことで延命している・・・すべて国民のせい?!!

 

ここに、昨年㋆15日のブログ「民主主義国家の外と内側の落差」を再発信したいと思う。

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「民主主義国家の外と内側の落差」 2022年㋆15日のブログより

わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜くという決意を示していく。合わせて、活力にあふれた日本を受け継ぎ未来を切り開いていくという気持ちを世界に示していきたい」・・・14日、岸田総理宣言の一部。7月15日、FLASH配信。

 

選挙活動中、政治家(元首相)が背後から凶弾に倒れるという現実を前にして、多くの国民は立ちすくみ、合掌せずにはいられなかった。

 犯行の事実が明らかにされていく中で、少しづつ人々の間の冷静さが戻りつつある今、これからの日本のためにも安倍政権の功罪も含めて検証されることが必要である。冒頭の岸田総理宣言にもある様に「活力溢れた日本を受け継ぎ未来を切り開いていく」ためには、アベノミクスそのままを引き継ぐことではないはずだ。

 

安倍氏の政治姿勢は、総じて世界を俯瞰することに力点が置かれ、国内政治を見る限り決して法の支配や民主主義政治に力点が置かれたものではなかった、というのが率直な感想である。

亡き人の批判は極力避けるのが礼儀であるにしても、今回の岸田首相が国葬決定した理由として8年8カ月にわたる安倍総理大臣の任期において東日本大震災からの復興までも安倍総理の功績として加えてしまう事には違和感がある。

 現在の日本は安倍景気のまゝ推移しているわけではなく、少子高齢化、低賃金、格差も含め、特に民主主義の成熟度において稚拙としか言いようがなく、女性議員の数の少なさに端的に表れている。

 

特に、どうしても忘れることができない、許せないことは、やはり森友問題である。

2017年2月17日の国会で安倍総理答弁「私や妻が関係したという事になれば首相も国会議員も辞める」に端を発した森友問題。結果、赤木さんを見殺しにしても、政府一丸となって公文書改ざん。民主主義そのものにたいする背任行為という結果を生んだことは忘れられない。当時、菅前総理、現在の岸田首相にしても、与党国会議員の誰一人として批判の声を挙げずだんまりを決め込んだ。

 もし仮に戦争のような事態になっても彼らは平気で国民に嘘をつくのではないか・・・以来、国民の一人として、政治を政治家だけのものにしては駄目だと身に染みて感じている。民主主義の鉄則として。

 

また、

国葬にするか否か、、、の問題であるが、

岸田首相は、国葬が閣内決議であったにせよ、なぜ宣言前に国葬に至る趣旨説明を野党のトップだけでも伝えることをしなかったのだろうか?国葬が支持されるには与野党の合意があっての事だと普通の国民であれば考える。

 

いずれにしても、忘れることができない安倍(前)総理。個性豊かな人柄であったことは間違いがなさそうだ。

あらためてご冥福をお祈りいたします。