今日の衆議院の憲法審査会。

立憲・階猛氏の初めのコメントがこの審査会の性格を物語っている。

 階氏が冒頭に述べたのは、「今日はここまで9名の方がご発言されましたが、我が党の中川筆頭幹事を除いては全て9条に関連する議論でした。そもそも自由討議ですから何を発言されるかは自由ですが何か示し合わせて各党が9条の話をされているような気もします」

続けて、階氏はこれまでの議論を踏まえて、国民投票法の改正に関する議論、議員の任期延長について建設的に議論したい、と述べ懸案とされる議論に移った。

 

うがった見方かもしれないが、2022年12月16日に安全保障関連3文書が閣議決定され、国会で議論されることによっていつの間にか当然のことであるかのように既成事実化している。

 先週までの審査会での議論はどうなったのだろうか?

全て自民党・新藤幹事のシナリオ通りのように見える(協力する野党の存在あってのことだが)。国会でも安全保障関連3文書について議論を詰めていけば詰めるほどぼろが出ている。現実、戦争の現実を知らない政治家によって国が亡びるのではないかと不安に駆られる。「専守防衛に徹した自己防衛」・・・専守防衛の範囲内で上品に戦う?事が可能なのか、、、無言しかない。

 

ここに、2022年、4月20日のブログを再発信したいと思う。

         -*-*-*-*-*-

「憲法9条の意味」2022年4月20日のブログより

憲法9条で国は守れない。いつまでお花畑なんだ」

このところまた国防についてのいわゆる‟現実的な”議論が盛んになっている。殺戮の歴史から学んだはずの人としての知恵と法の支配が大国の独断で脆くも崩れ去るのを目の当たりにしたとき、人は今まで依って立つところの理想、理念を疑い、簡単に手放そうとする。

 ‟現実的”議論とは、核を中心とする、効率的かつ強力な武器をちらつかせることで相手がビビり、もしかしたら抑止にもつながるのではないかという希望的楽観論で、最強とされる核兵器に依存しひと時の安心感を得る。つまり、第二第三の無頼が仕切る世界、野蛮極まりない世界へ舞い戻ることを意味する。

 本当の日本の現実とは、75年間もの間、戦争をしていないということにつきる。米国の核の傘に依存していようがなかろうがこの現実は動かしようがない。

1946年11月3日、日本国憲法を公布・・・第一次吉田内閣。翌1947年、5月3日に日本国憲法を施行)

 

4月19日の朝日新聞。「『抑止力』とはもっと論じる場に」というタイトルで、たかむら・かおる氏の寄稿文が載っていた。

 寄稿文の中で、氏は安全保障担当の佐藤武嗣編集委員の国防を巡る言論についての言葉を引用しつつ、氏の見解を述べている。佐藤編集委員によれば、「右に『核共有]』まで持ち出す自民党タカ派、左に自衛隊は違憲という一点から動かない左派リベラルがいて、真ん中がすっぽり抜けている国防を巡る言論空間の現状を指摘。真ん中が真空なので国民的議論が生まれにくい」

故に、まともな国防に対する人々の議論が育ちにくい、というのがたかむら氏の見解のようである。

 

このような国防に関する論調はよく聞く論調だが、佐藤編集委員が分析するところのタカ派(概ね改憲論者)と自衛隊は違憲という一点に‟固執する”?左派リベラル(改憲反対派)という色分けは根本のところでの理解が不十分であるように思う。

 この国の有りようを考えてみると、安保法制にかかる議論も真正面から議論らしき議論もせず、その都度ごまかしながらの議論は、国防も含め憲法9条への国民全体の理解が深まらなかったように思う。そのうえ党派を離れて議論できる場でもあるはずの憲法審査会ではそれぞれの党の党利党略が透けて見える。

憲法の理念がしっかりとした現実的な議論に裏付けされ共有されていれば、タカ派であろうが、護憲に固執?する国民であろうがこれほどの深い溝にはならないはずだ。両者に欠けているのは、憲法とは何か?憲法9条の理念とは何か?という基本的な理解が共有されていない事だけではないか。

 

ここで強調したいのは、憲法9条は平和の理念を謳ったもので国防の手段ではない。

しかし、理念、哲学無き国防ほど怖い物は無い。

人の行動は行動のよりどころとしての理念があって行動が喚起される。人が迷った時の指標ともなる。特に戦争を経て培った理念は貴重である。戦争とは、邪魔な相手をいかに効率的に撲滅するかという武器レベルの戦いであり、確実に言えるのは「人殺し」である。

 

繰り返すが、憲法9条はあくまでも戦争を経てきた国民の指標、理念であって、それ以下でもそれ以上のものではない。

左派リベラル、タカ派との間の言論空間、佐藤編集委員が言うところの真ん中がすっぽり抜けている、、、とされるこの空間とは、憲法とは何か?という根本的な問いが欠けている事を意味する。

 

そして、9条の理念を見失うという事は、無頼の時代に逆戻りする事を意味する。

          -*-*-*-*-*-