首相秘書官の荒井氏、総務政務官の杉田水脈氏もLGBTにからむ様々な差別発言で共通している。荒井氏は早い時期での更迭、杉田氏は野党の追及があっても岸田首相は最後まで庇い続け、辞表(事実的更迭)に至るまでかなり時間がかかった。
危機管理という点で考えると決断までの時間の長短は重要なポイントでその後の評価につながる。しかし、さすが自民党。野党、メディアからの批判にさらされても、あまりに多すぎる自民党案件はすぐ忘れ去られる。このような問題が繰り返される原因は、自民党が本質的に持っている差別的要素が無自覚に引き継がれているためで危機管理上の扱いとは別次元なのかも知れない。
一方、
小西発言が様々なメディアで取り上げられくすぶり続けている現状は、立憲の危機管理上の問題として熟慮が必要のように思う。
4月7日の泉代表の会見で、記者から今回の小西発言について、「不祥事として反省すべきだ」「まず不祥事と感じているのか」「立憲の態度が社会的信頼を失わせている」「立憲民主党として反省が必要」等々という提言を含めた質問、また他の記者からは「小西氏を処分すべきだ」という声も上がっていた。これまでも一貫した泉代表の対応は変わらず、記者への返答として「(謝罪する気持ちがあるからこそ)先週の会見の場でお詫びをし、本人の更迭まで決断した」「現在、この件については党内の手順を踏んで岡田幹事長に精査をお願いしている」・・・記者(二人)にとっては納得のいく回答とはならず立憲の対応については不満を残したままの会見だった。
それだけ小西発言に対する違和感(小西ショック)が強烈だったせいだと思われる。
この小西発言は、前回のブログ「うっせいわ」で、同じ野党である国民・玉木氏の立憲批判のなかで取り上げた。
記者の場合はより国民感情を意識した報道になるが、政治家はより根本的、かつ大局的な視点が必要になる。放送法の「政治的公平性」という民主主義の根幹部分を外し、メディアに追随するばかりではそれこそ政治家としての政治的中立性、公平性が問われる。
維新のように単に憲法審査会での面子を潰された、あるいは国民民主と同じく統一選挙を見据え選挙活動の一環としての立憲批判であっても、感情的な応酬はいい結果を生まない。
冒頭で挙げた杉田氏への岸田首相の対応の遅さは、時間的ロスに加えて差別に対する反応の鈍さを印象付けたが首相秘書官・荒井氏の対応が早かったことで何とか体面を持ち直した感がある。
不明瞭な部分が長引けば長引くほど、党の立場を不利にする。「不祥事」と名指しされたこの小西発言を危機管理上の問題として冷静に対処する必要がある。逆に「不祥事」がチャンスでもある。日頃あまり関心を払われず何を考えているのか分からない党の姿勢を分かりやすい言葉で印象付けられればの話だが。
避けなければならないのは、小西発言に対する党内部の様々な意見を調整する必要があってもそれぞれの意見に引っ張られることになってはますます事態を混乱させる。きっちりと党幹部での話し合いを基に党の態度を明らかにすることで対外的な終止符を打てる。岸田首相の杉田氏対応のように曖昧なままズルズルと時間を空費することは危機管理として一番に避けなければならない事ではないかと思う。
加えて、
予想していたことであるが、今回の維新の反応にはがっかりさせられている。
8日のJIJI.COM配信。「『サル』発信、共闘に亀裂 維新が謝罪要求、立民苦慮」の記事。維新の態度は今に始まった事ではなく、いたるところで維新の機嫌を損じれば「共闘しない」発言が飛び出す。
このように機嫌次第で申し入れを撤回する維新。少なくとも政党としての合意事項をディールとして使う発想が理解できない。きちんとした政党であれば、体面を汚されたとしても党の責任追及まで至るには相当のプロセスが必要になる。
小西発言で維新の存在を否定され、貶められた感があったとしても党全体の信頼にまで言及し党の取り決め全てをなかったことに、、、というのはあまりにも幼稚すぎる。取り決めの重要さよりも自党の面子の方が上だというのであれば、たとえ権力側に立ったとしても、これからの国際間での高度なテクニックを要する取り決めには向かないのではないかと思う。
事ある度に、維新の機嫌次第で共闘関係という政治マターが揺らぐというのもたとえは悪いが、な~んか不安定な男女関係を想定してしまう。
信頼関係は一朝一夕には作れない。いちいち機嫌を悪くして政党間の手間暇、努力をチャラにするのでは本当の果実を手に入れることなどできない。機嫌を悪くする要素は、それこそ議員の数だけある。
この先、政治的つながりを結べる相手なのか・・・今一度吟味する必要がありそうだ。