今回の、立憲・小西参院議員の発言は、オフレコであろうがなかろうが、程度の低さにあ然とする。立憲・泉代表が31日の記者会見で小西氏を参院憲法審査会の野党筆頭幹事のポストから外し、更迭したと伝えている(31日産経新聞配信)。

当然だと思う。

 

放送法にかかる総務省行政文書に関する高市氏への追及でかなりテンションが上がり、いわゆる詰んでいる状態で冷静さを失っていたのではとも思うが、政治家は言葉が命でもある。

小西氏はこれまで様々な問題提起と国会論戦も優れ、であるからこそこのような低俗な比喩を発したことにことばがない。さらに、残念なのは、今回の「サル発言」に続く謝罪として、「不快な思いをした方には、お詫びしたい」という言葉。普段の小西氏から見て一番似つかわしくない言葉ではないか。

 「不快な思いをした人にお詫びする」、いかにも政治家がよく使う常套句にしか見えない。ことの本質は、野蛮な言葉でしか表現できない「人間としての未熟さ」にある。人は、詫びる言葉にその人本来の姿が表われる。国会で勇ましく疑惑を追及する時より、むしろ何かの失態を犯した時にこそその人間の本質が表われる。

今回の事は2重三重に残念に思う。

 

そして、

今回の小西氏の子供じみた言葉で思い出したのは、日頃40代50代の国会議員の発言の傾向と気質についてで、長年国会審議を見続けていく中で気付かされたことでもある。まさに中堅と言われる年代でもあり勢いがあるのは当然としても、小西氏も51才。彼らは「第二次ベビーブーム」で生まれ「団塊ジュニアの世代」でもある。

 以前より、与野党関係なく、若さ故なのかこの世代は威勢は良いが物の考え方が単純すぎる傾向がある。安全保障についても、まるで漫画の世界のように‟殺られる前に殺らなくてどうする”といったようなヒーローを求め、それこそ核保有も辞さずといった単純思考に簡単にシフトする。国家間の安全保障問題をヤクザの出入りのような…確かにヤクザの出入りのような側面があるとしても、自国の状況、政治的現実に目をやらず、敗けることなど信じてもいないようなノー天気な側面がある。幼い頃ゲームソフトで遊んだ闘いの影響があるのかもしれない。

 また、一様に気にくわない人間に対しては容赦なく彼等流の言葉でバッシングする。特徴的なのは相手が見せる弱みは自身のチャンスとして利用することにためらいがない。彼らは、第二次ベビーブーマーとも呼ばれ、進学、就職において、いつも激しい競争にさらされた世代でもあることから当然なのかもしれない。

 

日頃、国会議員だけに限らず、SNSなどで話題になっている識者?のコメントも、4、50代の発言が驚くほど似通っている。世代の背景に影響されるのは当然としてもいつもウケを狙うような傾向がある。

政治の世界でいえば、維新、国民民主も同様である。党の利益につながることであれば立憲に対するバッシングに精を出す。(立憲が憲法審査会への出席を見送れば、"さぼり癖”が始まったとする維新の馬場氏のことばなど)。また、立憲・泉代表(48歳)も時おり下手なダジャレでヒンシュクを買っている。

これら、野党の党首を見るとほとんどが40代後半から50代である。

彼らは、それなりに学歴が有り、激しい競争を勝ち抜いてきた人々で、どちらかと言えば、現実的で、保守的…保守という安全弁で立場の脆さを補強しているのかもしれないが。。。

 

4,50代は団塊の世代からすれば子供に当たる世代である。団塊ジュニア世代は親の世代が作りあげてきた日本社会の歪みを引き継ぎ、これからは彼らがメインとなって日本を牽引していく。

 彼らについて不安に思うのは、過度な競争意識。ゴリゴリと仲間内での競争を余儀なくさせられたことで現実的でドライな側面がある。注目されたいという思いが強く実力が伴わない。

政治家としての哲学、人間に対する深い理解と大きな視点が欠けているように思う。

ドライでちゃっかりとしたこの世代が求めるものは権力。

❝権力を手に入れることが先だよ❞、というゲンジツテキ思考が彼らのモチベーションとなり、一方政治家として人間の器がどんどん小さくなる・・・器が大きい人というのは、様々な寄り道を経てきた人でもある。

 

立憲の小西氏も大きな誤算で横道にそれることになりそうだが、この機会を心身を磨くリ・スキリングの期間として学び直してほしいと思う。