日本共産党京都南地区委員会常任委員会、日本共産党京都府委員会常任委員会と連名でこのほど党員の松竹伸幸氏を除名処分とした記事・・・6日の産経新聞報道。

 

記事では、党員のジャーナリスト・松竹伸幸氏が除名処分とされた理由が4項目に渡って取材されている。主な理由は、党首公選を訴えたことが主な理由だという。

特に、4項目の最後の内容が処分理由の要となる部分ではないかと思う。

 引用すると、共産党の規約は自由に意見を述べる権利を保障しており、異論があればそれを保留する権利も保障しているが、松竹氏はこれらの権利を行使せず、突然の党規約および党綱領に反する攻撃を開始した、、、さらに「党内に派閥・分派は作らない」「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」という規定を踏みにじった、、、というもの。

 

かなり激しい口調に驚かされる。このように断定的で狭量ともいえる物言いは日頃の志位氏、小池氏の物腰の柔らかさからは想像がつかない。

党の規約、綱領は党の根幹に当たり、これまで外部から様々な批判にさらされても揺らぐことなく共産党としての根幹を守り抜いたことを思えば、今回の松竹氏の行為は許されるものでないとするのも内側の論理から見ると当然なのかもしれない。

しかし、

あくまでも内輪の論理。共産党の支持率が下降線をたどりつつある現状を考えればより広く理解を得るために内側から声を挙げた松竹氏の試みは、むしろ党を思えばこそであり貴重な意見ともいえる。

 

ともすれば、野党として長く政権と対峙していくなかで寛容さを失い独善的になり周りの空気が読めなくなる傾向がある様に思う。あるいは、周りの空気を読み過ぎる野党もどきの野党。自民党の政策は我が党の政策提案によるものだと自慢げに話し、政府予算案にも全面賛成となる。彼らの意識は得か損かの座標軸で動く。

 

共産党の強みは、支持者以外からも、普遍的な善悪を軸に平和を祈願し続けている党として理解されている事ではないかと思う。

時代は変わる。

しかし、変わらないもの・・・普遍的な価値としての民主主義。少なくとも独善、あるいは党方針に対する違反者を追放するようなことは民主主義精神として似つかわしくない。