ほぼ毎年のように、朝日新聞では年初に民主主義についての論考が社説欄に載る。

今年、23年1月3日の見出しは、「民主主義を守り育む」、副題には「多様な価値観 共存を強みに」…

社説の中でロシアのウクライナ侵攻について触れ、この侵攻の原因を「非民主的な体制」にあるとし、トップヘの行き過ぎた権力集中と統治機構の中に抑制や均衡の仕組みがない、また都合のいい報告ばかりが上がり、情報のごまかしや捻じ曲げも生じがちだと指摘している。さらに「民主主義国同士は戦争をしない」。何故なら、「そもそも民主政治は暴力ではなく、話し合いを通じて問題に対処することを旨としている。代議制と権力分立が採用され政治的なプロセスが公開される。人権や少数意見の尊重を範とし、権力は民に目を配らざるをえない」

本当だろうか~

民主主義については新聞を通じて考えさせられ、その都度自分なりの考えをブログにまとめてきた。昨年、そして他の年度のものを含め雑多なまとめ方になるが折々の感想をここに再々発信したいと思う。

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「民主主義について」2022年1月3日のブログより

2022年1月3日の朝日新聞、社説。「岐路に立つ民主主義」を読む。

コロナ禍で、人々は生活困窮者に限らず、夫々一様に傷ついている。コロナ前に屈託なく人との交友関係を持っていた人々も、疲労感と喪失感が心の奥底に影を落としている。寛容だった人もそうでない人も一様にとげとげしくなっているように感じる。寛容なる精神の民主主義は増々しぼんでくる。

 

朝日新聞の社説では、民主主義が先進国から崩れ始めている状況を伝えている。

社説の中で、一部政治家が敵対心を煽って支持拡大を図っている。「異なるアイデンティティーの胎動は脅威と認識される。恐れや憎悪などの感情がもたらす効果は絶大」(米政治学者のフランシス・フクヤマ氏)・・・が引用されている。

 

「民主主義とは何か」2020年1月3日のブログより

このところの安倍政権下での日本の有りようを見て、この問い、「民主主義とは何か」を改めて考えたいと思う。

 

先ず、わたし達は本当に民主主義を理解しているのだろうか?

 

この疑問に答えるような記事が、1月4日の沖縄タイムス配信のニュース、「社説『後退する民主政治』相互抑制の機能高めよ」・・・の記事に取り上げられている。

記事の中で、「形式的に立法・行政・司法の三権分立が確立しているものの、運用実態を見ると、首相官邸に権力が集中し、三権相互のチェック・アンド・バランスが著しく失われてしまった、、、と政治における民主主義の衰退を挙げ、二つ目として、地方自治における民主政治の変調について触れている。記事における問題提起として、「民主主義は『民意に基づく統治』であり、立憲主義は憲法によって権力を縛る考え方である。両者は必ずしも一致しない。両者のバランス上に成立する『立憲民主主義」をどうやって作り直していくか。民主主義を民主主義よって死なせるようなことがあってはならない」、、、と結んでいる。

 

3年前、2017年の1月1日の朝日新聞の一面に「試される民主主義」という記事が載った。この記事に関連したブログとして、1月3日付で「彷徨うマスコミ」というブログを書いた。当時のブログを読んでみて、今や、民主主義の原則論など後かたなく破壊されていると感じる。当時、感じていた「民主主義」は淡い初恋のような民主主義であって現実的な意志を持った民主主義ではなかったように思う。

長くなるので、ブログの中盤からの抜粋をここに再発信したいと思う。

 

「彷徨うマスコミ」 2017年1月3日のブログ中盤からの抜粋
2017年1月1日の朝日新聞一面記事。「試される民主主義」の横見出しにほっとする。

 昨今、国内国外共々「民主主義」が権力者のご都合主義の犠牲になっているように思えてならなかった中で、この見出しに込められた記者の思い、こちらの思い込みかも知れないが分かるような気がしてほっとしたのかもしれない。

 

続く2面で「苦悩する民主主義国家」。かなり掘り下げているものの「民主主義ってなんだ?」と国会前で問いかけたSEALDs創立者の奥田愛基さんの一面記事の疑問に戻っていく。民主主義をより深く知る上で歴史的視点からも検証してみたい気になる。

そして

2面の「『完璧』ではないが代わりもない」の中見出しに帰結する。

 

「完璧ではないが代わりもない民主主義」の考え方は、近代の凶暴な嵐をくぐり抜けまだ間がないと考えるべきで、民主主義の発展途上ともいえる。

第一段階として武力で決着しない事がまず求められ、第二段階として少数意見に耳を傾け妥協点を探る。民主主義はある意味「偽善」の衣をまといながら、じっと、忍耐強く細い糸を手繰り寄せていく過程なのかもしれない。

おそらくこの方法がより現実的な人類の延命方法であり知恵ではなかろうか。

 

しかし

あの巨大な権力を手中にしたトランプは「偽善」を脱ぎ捨てたことで偽善に飽き飽きした人々の心をつかんだともいえる。

これから本当の意味で日本の真価が問われる。

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2019年1月4日

ネット検索で、国務省出版物として、「民主主義の原則―概要:民主主義とは何か」About the USA 出典は英文での‟Principles of Democracy” 日本の仮翻訳の中から、最後の文章をここに書き留めておきたいと思う。
・民主主義社会は、寛容と協力と譲歩といった価値を何よりも重視する。民主主義国家は、全体的な合意に達するには譲歩が必要であること、また合意達成が常に可能だとは限らないことを認識している。
マハトマ・ガンジーはこう述べている。
「不寛容は、それ自体が暴力の一形態であり、真の民主主義精神の成長にとって障害となる。」
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2022年1月3日の朝日新聞社説に戻るが・・・
「30年前に冷戦のくびきから放たれた『自由』と『民主』は、なぜ危機に陥ったのか。立て直す道筋は何か。その答えを探すにはまず、先進国自らが足元を見つめ直さねばなるまい」
 
先進国云々より、日本の政府・政治家に依存しすぎる国民性から脱して国民一人一人が自らの将来へ向けて足元を見つめ直す必要があるのではないか。立憲民主の草の根民主主義に通じる?・・・残念ながら今はイメージでしかないが。
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2023年1月9日
この国に民主主義があるのだろうか?
国会無視のまゝ、あっけらかんと専守防衛などどこ吹く風で、悩み抜いた風でもなく「税」さえ国民の意思とは無関係に暴力的に決められていく。根本的な民主主義政治についての理解ができていない政治家によって統治される悲劇。ロシアの統治機構云々など言えない。
これほど政治家に知性がない国も珍しい。民主主義の肝ともいうべき忍耐強く言葉を通じて理解を深めるという根本を忘れた政治家が時の首相になった時、何が起こるのか?いやが上でも国民は見続けることになる。