防衛省の主張に基づき、岸田首相が「防衛力の抜本的強化」を打ち出した。
5年間(2023年~2027年度)の防衛費の増額。財源の裏付けがないままに43兆円に膨らむという。(12月7日、朝日新聞報道)
同じく同紙面で、「防衛省の要求に対する主な指摘」あるいは「防衛力整備七つの柱」を読むうちに、これらのキラキラ装備(敵基地攻撃能力含む)で現実の戦争にどれだけ有効なのだろうか、という疑問が膨らむ。
先ず、何を想定しどのような闘いに有効なのかが見えない。
二つ目として、最も懸念されるのは、日本の専守防衛とこれらの打撃力との接点、攻撃開始を決める過程をどのように担保するのかが分からない。
よく言われている敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有目的は、「日本を攻撃するのは割が合わない」と相手が判断する程度の打撃力を持つことで抑止になる、、、というもの。
ホントにこの理屈が現実的に通用するのだろうか?こうなったらいいな、という希望的観測の基に作られているように見える。
物理的に攻撃能力を持つことで、相手国が恐れ思いとどまらせるほどの効果となりうるような打撃力?!一発の打撃でビビる国が日本周辺にあるとも思えない。ことに武器開発にしのぎを削っている周辺国にとってはむしろ我が意を得たりとするような口実を与えてしまう。様々な反撃口実のオンパレード、必要ならばその原因をでっち上げても自国の実践的模擬実験のチャンスととらえ奪えるものは奪っていく。
さらに深刻なのは、
そもそも四方海に囲まれた日本の立地から戦争できる、あるいは戦争状態を続けられるような体力があるのか?一番戦争に向かない国ではないのか?
仮にこの虎の子の一発が戦争開始となりウクライナの様に戦争が長引けば、四方海に囲まれた日本は途端に物資の欠乏に直面する。海に閉ざされた人々の命をどう守るのか?肝である自衛隊員の確保は?そして原発。ウクライナのように隣接する自国の被爆も考えられ抑止が働くが、海で隔てられた原発は自分の国が被ばくする心配もない。
たとえ米国が駆け付けてくれたとしても陸伝いに人々が逃れる道は閉ざされている。
日本の周囲には長年にわたって攻撃能力に特化した国々がひしめいている。彼らのメンタルは紛れもなく19世紀の世界、国力=武力である。この哲学は容易に変えられない。抑止の目的で攻撃力を高めるのだといった日本の立場は周辺国からすれば戯言にしか過ぎず米国に守られ盾と鉾の関係で何とか国家を維持している国としか見てはいないのではなかろうか?
今まで専守防衛に徹してきた国が一夜にして戦争ができる国、戦争を辞さない国だと虚勢を張っても所詮非現実的な防衛論議に思える。
この敵基地攻撃能力が話題になったのは、ウクライナへのロシア侵攻がきっかけになったと思われる。ロシア侵攻が国民の危機感を押し上げたことは事実で、以来、かっての専守防衛をはみ出したような議論が盛んになった。たとえはみ出した議論でも国民を納得させることがなければ単なる防衛省の暴走、もちろんこれらを承認した岸田政権も歴史的転換の当事者としての責任を負う。
ウクライナの様になっては困る、、、といった恐怖を煽ることで防衛を語る。このような内向きともいえる議論は国の防衛を語る上で一番避けなければならないアプローチだと思う。国を守ること、防衛に関する問題であればなおの事、他国を徹底的に分析したうえで冷静な議論が必要になる。ロシアの暴走が明らかであったとしてもロシアとウクライナの歴史的背景と価値観の違いを根本から分析する必要がある。実際の戦争の過程でどのような闘いが繰り広げられたか?経済、人々の暮らしはどのように変化していったかなど。つぶさに見る必要がある。
このようなしっかりとした分析は優れた外交のベースとなる。
日本語しか理解できず多言語は疎か英語も話せない日本の政治家。せめて最前線に立つ政治家は、他国をしっかりとウオッチングする力、メディアに頼るのではなく自身で言語の壁を乗り越え、本物の外交、信頼の人脈作りに精を出してほしい。
キラキラした防衛装備品も大切だが、人々の生活が安定してこそ国力に結びつく。国力無き防衛がいかに無力なものかは歴史を見ても分かる。
それにしても、今の政権、どうしてこうも軽佻浮薄なのだろうか?
財源の問題にしても順序立てて一つ一つ丁寧な議論とはならず、防衛にしても思いつきのようにしか見えない・・・一体何を考えてるのか不安(防衛費)だけが膨らむ・・・