2022年3月4日付で書いた一回目のブログ。
ロシアのウクライナ侵攻が現実のものとなりリアルな戦争に直面した当時、故・安倍総理、高市早苗氏による核武装論が浮上し、前のめりな防衛問題が自民党議員の間でも議論され始めていた。これに呼応して浮足立つ維新の姿が思い出される。この時、思ったことは、ケンカに弱い人間ほど負けん気が強く口達者な人間が多い、という事。
このところ、立憲の政策方針が、かっては維新の十八番だった「是々非々」という政策方針に代わり維新との政策共闘においてそれなりの実績を上げている。
しかし、反面よく理解されぬまゝ支持者、あるいは外部からも憶測を呼び疑心暗鬼にさせ無駄な軋轢を生んでいるように見える。このような状態は決していい状態でないことは明らかで、むしろこのような時こそ党内党外へ向けて丁寧な説明が必要だと思われる。こうしたマネジメントができないようであれば、国の外交などおよそ無理だと思われる。
24日の読売新聞、産経新聞配信の記事・・・憲法に関する共産党との行き違いについては、誤解は誤解としてきちんと説明する必要がある。
それにしても維新との関係は十分すぎるほど注意が必要で、ここで、2022年3月4日付「プーチン化する日本の政治家」というブログを再発信したいと思う。
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「プーチン化する日本の政治家」2022,3/4のブログから
安倍元首相、時の風に吹かれ風見鶏のような維新と国民民主。維新の御意見番でもあるコメンテーター。加えて、自民党内部からも湧き出るように“目(核)には目(核)を”というムーブメントが国防という名で、こちらはいかにも正当な議論をしているという形をとっている。
彼らは実戦でのウクライナのゼレンスキー大統領の戦い方を見ながら、スポーツ観戦のようにジャッジする。ジャッジに飽きると、今度は日本の防衛についてウンチクを述べ出す。
日本の防衛について、「憲法9条だけで国は守れない。思考停止だ」。維新の松井一郎代表は非核三原則を「昭和の価値観」と述べているくらいだ。彼らにとっては、非核三原則に至るまで、広島、長崎でどれほどの犠牲が払われたのか、平和を願う国民の思い、また歴代の政治家の努力などはすっかり忘れ、目前の核の脅威に簡単にひれ伏してしまう。
<ちなみに、被爆から75年近く経っていても相当数の死亡者が特定できていない。死傷者合計・・・長崎(145,000人)・広島(223,000人)合計368,000人>
この現実を忘れることなどできない。彼らの死を無駄には出来ない。
目(核)には目(核)をという発想は一度踏み出すと際限が無くなる、いわゆる核のジレンマである。自衛のためという幻想で成り立っている核シェアリング。
つまるところ、「核」という共通項でプーチンとつながり、これまで積み上げられた人類の叡智としての非核は水泡に帰す。地球温暖化の前に核の熱腺と放射能汚染で地球温度は上昇しウイルスもそれに合わせて進化する。
「人類の叡智」に目覚めてほしい。
今日のウクライナからのニュース。
二つの小学校への攻撃。画面には粉々に破壊された小学校が映し出される。
先月、25日には北東部オフティルカの幼稚園が爆撃され、7歳女児6人の死亡が伝えられている。
3月4日の朝日新聞、夕刊。ロシア、ウクライナ南東部にある最大級の原発を攻撃。
小学校低学年の頃、社会科見学で映画を見せられた。題名は「原爆の子」。音羽信子さんのえくぼが忘れられない。映画が終わった時、あちこちでゲッーゲッーと吐き出す子の中に私がいた。音羽さんの映画は二度と見られなくなった。
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*10月24日記*
読売、産経新聞の記事にある通り、共産党・志位和夫氏の懸念も分かる。これまでの憲法審での維新の態度を見る限り、ことごとく立憲とは対立していた。絶えず他党、特に立憲を踏み台に与党に賛同する姿勢を見ているとおいそれとは信用が置けない。
しかし、それはそれ。互いにメリットとなる政策共闘は可能であったとしても、現在問題となっているのは、憲法、すなわち安全保障に焦点が当てられているのは明らかである。核保有をもって安全保障環境を完成させようとする党とは相いれないことは確かだ。