期待することに疲れてしまった日本国民。

岸田首相就任当初の未知数は、当然ながら未知数のまゝというわけにはいかない。

現在の政権支持率が大幅に落ちこんでいる状況は、ある意味、国民の冷静な判断によるものだと思う。

 当初、評価された岸田総理の「聞く力」も、実はただ「聞こえている」だけで、責任を伴う決断実行には程遠く、またまた熟慮が必要だとして決断が先延ばしになる。ただ、例外中の例外として、国葬と自身の御子息の就活について即決だったように思う。しかしこれも肝心の説明が曖昧で国民の納得感からは程遠いものとなった。

国民の期待が冷めるのも当たり前である。

 

今まで、岸田首相がはっきりとした言葉で語ったのは、ロシアのウクライナ侵攻に対する批判声明が最初だったように記憶している。この場合は米国をはじめ、NATO諸国も一様に批判声明を出している。熟慮する必要がないもの、善悪がはっきりしているものについては、特に米国が反対の立場を取っている場合は主張することにためらいがない。

 

しかし、翻って国内の政治決断についてはどうであろうか?

国葬判断の素早さは語り草レベルであるが、もっと上を行くのは岸田氏の御長男、翔太郎氏の政務秘書官としての採用である。代々政治家の世襲を支えてきたともいわれるこのポスト、自身の後継者として御子息をためらいもなく要職につける。これほど不公平な決めかたはない。普通に考えれば、キャリアと専門性に秀でた人材を選ぶほうが国益にもかなっていると思うが、世襲の継続をこのまゝ続けることに何のメリットがあるのだろうか。現在のような不安定な国際状況において、加えてパンデミックの終息も見通せない中で、岸田氏のお家の事情を優先させる。この政治的センスに失望する。党内でこの件に関し疑問すら感じず、旧態然のまゝズルズルと不合理な世襲を認める限り、防衛ばかりでなくまず国としての政治的自立に問題がある。

 

17日から衆議院予算委員会質疑が始まる。

‟盛った話”ではなく国会の場に相応しい正直な議論を聴きたいと思う。

国会議員としてまともな議論を忘れていなければ、、、の話だが。