9月8日の閉会中審査。
この会議には、テレビ入りで自ら出席のもとに国民に「旧統一教会」及び「国葬」について丁寧に説明すると力強く語っていた岸田首相。
確かに、岸田首相は今まで通り一言一句ブレナイ説明を繰り返した。国民の反応はと言えば、一様にやっぱりね、という反応と安倍政権以来引きずってきた政治不信、政治家に対する期待は初めから無理だと思いながらも何らかの進展ある説明が聞けると期待していたように思う。
日にちを同じくして、自民党は党所属の国会議員と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)及び関連団体とのかかわりについての点検結果を公表した。379人中179人という半数にも上る議員が教会との接点を認めた。
しかし、これはあくまでも自己申告であってこの点検が今後どのように党内において活かされ、党の健全化をもたらすのかは疑問である。もし、安部氏存命中に行われた調査であれば、最も教団と関係が深い人物、時の総理でもあった安倍氏への責任追及は免れない。
閉会中審査、特に衆院議運委の山口委員長による質疑で、委員長が質疑者に国葬と統一教会の問題を分けて質疑するよう何度も質疑を中断し指示していたが、国葬問題と旧統一教会の問題は安倍氏を共通項として表裏する問題でもあり、議会を取り仕切る委員長としてこの問題について理解が足りなかったのではないかと思う。
「国葬」についての審議で、岸田氏が安倍氏の国葬に値する理由として挙げた4点は、安倍首相の在任期間に当たり、この間の安倍氏と教会との関係はビデオメッセージを含めかなりの事実が分かってきている。
国葬理由に挙げた4点について、
①憲政史上最長の8年8カ月に渡って首相を担った
➁実績を様々な分野で残した
③諸外国で弔意が表明されている
④選挙中での非業の死をあげ、暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜くという決意を示していく、と説明している。(9月9日朝日新聞より)
選挙中、非業の死を遂げた安倍元首相については胸が痛む。
しかし岸田氏が掲げるこの4点についてはどれもこれも国葬理由とするには無理がある。ほとんど岸田氏の独自の判定基準にしか過ぎない。安倍前首相就任期間の8年8カ月。安倍氏は長期に渡って票の差配を含め教団との関係を維持し続けたことは様々な方面から明らかにされている。一方この間の教団の資金集めのために多くの被害者(子供も含め)を生み続けてきたことも分かっている。
現在の自民党と旧統一教会との関係を断つそうだが、真に教団との関係を断ち切るのであれば、過去、安倍元総理についてしっかりと検証する必要がある。都合が悪い過去を切り捨てて自民党の健全化、加えて宗教と政治の関係についての新たな問題提起にはならない。
まず、国葬判断の④についての意味が分からない。
「暴力に屈せず民主主義を断固守り抜く」、、、というフレーズ。
これまでの数々の安倍氏の国会軽視に異を唱えたこともなく、自民党内で安倍氏と教団との関係を誰一人疑問すら抱かず、黙認し続けた。その上、安倍氏への責任についても言及しない。
そして、局面が変われば、調子よく民主主義を断固守り抜くという。テロが横行する社会の事を指しているのかもしれないが、事件の背後の問題性を考える時、このような的外れな言葉は、本当に事件の中枢に迫る意思と知恵があるのか、と疑わざるを得ない。
岸田首相は民主主義についてもう少し理解を深める必要があるのではないか。合わせて、「丁寧な説明」の意味も。自民党が変われるか、変われないかの瀬戸際でもある。
このブログの表題。説教好きの人間が選びそうな表題であるが、現在の岸田氏を見ているととっさにこの言葉が浮かびブログのタイトルに選んだ。
良く知られているこの孔子の言葉。意味は、「過失を犯して、そのままにしておくことが本当の過失というものだ。(過失を犯しても、それを改めさえすれば、過失とは言えない)」という事らしい。
まさに国葬の初期対応の拙さを丁寧な説明(言い訳)とやらで事態をどんどん悪くしている岸田首相に重ねてしまう。このままやり過ごす、やり過ごせるような世の中であれば私たちにも未来はない。
また、
これが国葬ではなく戦争の緒になる様な問題だとしたら・・・わが身の保身のために言う理屈にもならない理屈は時に命取りになる。よくも悪くも国のトップの発言は国の未来を左右する。