これまでの日本の政治は、3年間の民主党による政権交代を除いてほとんど自民党政権が日本の政治を繋いできた。若い世代にとっては自民党政治が日本の政治であって、よくも悪くも自民党政治を受け入れ、主権者というより傍観者?のような存在になっているように見える。

 若い世代に限らず多くの国民にとっても政治は遠い存在で、今回の旧統一教会の様に自民党政権に対する怒りがあっても政治そのものについて考えようとする機運になかなか結び付かない。

 

余りにも長い間、政治に期待するよりあきらめが先に立ってしまった結果だと思う。政治と国民を結びつけるには、政治への期待値(信頼指数)を高めることではないかと思う。この期待値、表せるものなら各国の政治への期待値と実現指数を合わせて比較してみたいと思う。日本は格段に低いのではないかと思う。

 期待値が高ければ政治への関心も高まる。長年続いた自助努力という国民性が政治の貧困を温存させ、甘やかし、結果的に国としての発展を遅らせてしまった一面があるのではないかと思う。

 

このような深刻な状況にある中でも冬眠しているかのような自民党。自身の票を集めることに関心が向き、政党の延命に奔走した挙句、宗教に名を借りた犯罪集団の力まで借りる。国会論戦どころではなかったのかもしれない。国会より自分の票集め、政権の維持に関心が向き、岸田首相さえ国会論戦を避けているような状況が続いている。

 

今、

国内外の厳しい局面で与野党共々沈むわけにはいかない。

 

今回、立憲民主党新執行部の発足においてベテラン(実践と経験が豊富)を起用することは当然の流れだと思う。先行きが不透明な中で、あちこちに気を使い、新味のある執行部に刷新するような冒険は出来るはずがない。

現段階では、泉代表の持ち味でもある"透明でニュートラルな決断力”が求められる。

 

厳しい冬の季節。堅い雪に覆われていても雪が融けだすと一気に豊かな黒い土が表われる。もし、自分が現時点でベテランの政治家という設定ならば、この難局、政治家冥利に尽きると思う・・・起死回生を!期待しないで待つことにしようと思う口笛ポーン