8月23日、毎日新聞配信。

「立憲、新たに7人が旧統一教会と接点 会合に秘書出席、パー券購入」の記事。

これまで立憲民主党の独自の調査で旧統一教会関連の会合に祝電を送るなどの接点を持った7人の他に、記事によると新たに議員7人加わり合計14人となったことを伝えている。

 

判明した7人は大串博志衆院議員の2015年~19年の間に地元で開かれた旧統一教会関連団体の会合に秘書が3回代理出席し、祝電も送った。他、田嶋要衆院議員は関連団体にパーティ券を購入してもらう、あるいは古賀之士氏は関連団体への会合に祝電など、様々な接点が挙げられている。

 また、岡田克也元外相、枝野幸男前代表、安住淳元財務相、福田昭夫衆院議員の4人は旧統一教会との関係が深いとされる「世界日報」にインタビューが掲載された。

23日の西村幹事長の記者会見では「全ての人が旧統一教会との関係(がある団体)だと認識していなかった。今後はしっかりと注意し、一切関係を持たぬように徹底していく」と述べたと記事では伝えている。

 

これまで自民党議員と教会とのかかわりにおいても接点の濃淡はあっても、そのおおくは「旧統一教会と関係ある団体だとは知らなかった」という反応に違和感を持つ。

 

政治家の多忙な日常を想像することはできないにしても、政治家であればなおさら、オウムのような歴史に残る事件は勿論、今回の安倍前首相の事件についても、その時々においてその背景についての把握と政治家なりの分析は必要である。何故なら多くの事件、特に異常とも思える事件はその時代の歪みが密接にかかわっていて、政治家はその歪み、人々の苦しみに敏感でなければならないはずだ。

犯罪集団ともいえるこの統一教会については、すぐ忘れてしまうほど記憶に残らなかったとするなら、今一度しっかりと分析する必要がある。

 

今回かかわった政治家には、当時、教会のアプローチはどのようなものだったのか?

旧統一教会とは知らなかった、、、とするなら何故そう思い込んだのか?

政治家ばかりでなく未来ある多くの若者、資金源だけのために利用される国民のためにも明らかにする必要がある。

 

知らずに相手の術中にはまる。そもそも洗脳とはそういうものではないのか?

特に権力の中枢が教会の思想に共鳴し依存し、もしくは利用しているつもりがいつの間にか取り込まれている、というのが洗脳の恐ろしさである。忙しさのあまり、自分の頭で考えるゆとりもない政治家にとっては何となくいいことをやっている風な教会が政治活動上でのアピール(票集め)として手っ取り早いのかもしれない。

 

 

このところ、新興宗教の事が話題になるにつれ、母の事が思い出される。

家族に何か不幸があると必ず寄ってくる人がいるが、決して家には入れない事、というのが母の口癖で、今にして思えば本当にそうだなと思う。
 母は樺太からの引き揚げ直前に夫を亡くし、一番上の姉が高校生、乳飲み子の私を含め5人の子供と共に密航船で親戚縁者もない北海道に渡った。後に再婚したが再婚相手がギャンブルにはまり夜逃げ同然に弟を連れ離婚。母は6人の子持ちとなった。
 
母から教えられた言葉はその都度さまざまな場面で思い出され救ってくれたように思う。戒めとして言われ続けてきた言葉として思い出すのは、「お天道様が見ている」「天知る、地知る、我知る」という言葉。ぱちぱちと燃えるストーブの前で編み物をしながら聞かせてくれた民話、色々な物語はおどろおどろしいものもあったが、人間の善悪について分かりやすい教えだったように思う。後に成長するにつれ様々な本に出合った。私にとってはニーチェとの出会いは全ての始まりで、特に「神は死んだ」という言葉は自分の軸「個」に目覚めた貴重なことばだった。

 

何より、
わが国の憲法は、この「個」に価値を置いている。

憲法第三章 国民の権利及び義務

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民へ与へられる。

 

「個」という重み。誰からも侵害されず隷従することもない命。

母の生き方そのもののような気がする。

政治家共々、この国は統一教会とは決別すべきだと心から思う・・・憲法の精神に照らしても。