茂木幹事長ともなれば、これまでの自民党の負の遺産はチャラに出来るものらしい。

 

自民党の権力の私物化、どさくさに紛れて議論らしい議論もせず混乱の末の安全保障法制。森友における公文書改ざん、身内に優しい加計、自身の選挙活動のために公金を堂々と使った桜、それでも政権の私物化はとどまる事を知らず、未遂に終わったが、安倍内閣の検事総長人事への介入、統計不正問題もあった。国会での118回のウソ等々。

 ここに書ききれないほどの“目も眩むような業績”である。加えて国会ではご飯論法などという言葉が示すように説明責任というような生温いものではなく、国会そのものを軽視していた。憲法53条における臨時国会開催要求もスルーした。

 

12月19日、JIJI、COM 配信。「改憲論議、立民をけん制 「国会の役割果たしているか」自民・茂木氏・・・の記事。

 憲法改正論議に関し、立憲民主党などを念頭に「一部には改正を前提とした審議はしないという意見もある。聞きようによっては、議論のための議論だけだったらやってもいい。何なんですかという話だ」と述ベ、その上で「国会の役割を果たしているかというとノーという事になってしまう」とけん制した、、、そうである。

 

茂木氏は安倍政権に続く菅政権の有りようを都合よく忘れたのだろうか?

菅政権当初から学術会議の人選問題での稚拙な説明、国民のブーイングが起こったコロナ対応。それでも安倍総理よりましだったのは「嘘」らしい嘘をつかなかったことかもしれない。この程度の比較しか考えつかない。

 

これまでの自民党の国会対応について、

何なんですか、、、という話ではないか。

「国会の役割を果たしているかというと、ノーという事になってしまう」・・・まさしく自民党の事である。

政治家とは不都合な現実に目を背け厚顔無聊でなければ務まらないものらしい。

森友裁判の強引な「認諾」終了に心の痛みは感じられないのだろうか?「勝てばいい」という議論を長く続けてきたせいで成熟した議論に相応しい知性、想像力を失ってしまったのではないか?改憲論議の初めから自民党との見解を異にする党に対しての当てこすりは全く生産性の無い議論である。政治家としてノーである。

 

鼻孔を膨らませ改革、改革という政治家にはロクなのがいない・・・とある記事の中で見つけた言葉である。