忘れないうちにメモ
※読み返してはちょこちょこ追加修正しています
2025年7月1日(もう少し前だったかも)
自宅で猫と一緒に仰向けに寝転がっていて、たまたま自身の腹部に触れたときに何か硬いものがあることに気付いた
気のせいかな?程度に思いしばらく放置
1週間ほどして再度触ってみると、やはり硬い何かがある
とりあえず診てもらおうと思い地元の小さな内科医院を受診
触診のみですぐに総合病院へ行くよう言われた
その足ですぐに総合病院を受診、CTなど各種検査
結果、その時点では、「GIST(消化管間質腫瘍)」という診断ですぐに手術日程が組まれ入院日が決定した
数日後、麻酔科だか放射線科だかの他の医師からの指摘により、診断が間違いである可能性が出てきた
その病院では対応が困難なため紹介状が出され大学病院へ転院
再び CT や MRI などの検査を経て、「後腹膜腫瘍」との診断結果となった
この時点では腫瘍が悪性なのかは不明だった
腫瘍の位置的に事前の細胞診は不可
他の臓器を刺してしまう危険や、仮に悪性の場合散らしてしまう可能性があるため
病理検査は摘出手術後におこなう
大学病院でも同様の症例が少なく執刀できる医師があまりいない(医師の数が足りていないのか、技術的な面で切れる医師がいないのか不明)
同じ大学病院系列の国際医療センターでの手術となる可能性もでてきたが、結局はその大学病院での手術となった
手術前、最悪の場合として以下の可能性があるとの説明を受けた
小腸の一部切除
尿管の一部切除
脚の筋肉の一部切除による後遺症(脚が上がらなくなる等)
一時的な人口肛門
お盆休みに合わせて会社を休職
2025年8月20日入院、翌日手術
摘出手術は成功
他の臓器を切除することなく腫瘍を摘出できた
手術翌日、立ち上がろうとして右足がうまく動かないことに気付く
脚の違和感は数日後に60%程度解消したが、右太もも前面の皮膚の感覚があまり無く、その後も完全には戻らないまま現在に至る
術後の回復は順調で6日で退院
まだ縫合部などに痛みがある状態で帰宅し自宅療養、順調に回復したが、何故か右睾丸に腫れと痛みが…
自宅療養ということで、仕事をしない自由な毎日をのほほんと過ごす
こんな日がずっと続くと思っていた
2025年9月19日
摘出した腫瘍の病理検査の結果が出た
悪性
この時点で病名が「平滑筋肉腫」に変わった
今後は数ヶ月毎にCTや血液検査をして、再発や転移が無いか経過観察することになる
睾丸の痛みについては同医大の泌尿器科で診てもらった
おそらく入院中にカテーテルからの逆流などによる炎症ではないか、とのことで薬も特に出なかった
現在(12月)も痛みは消えていないが、生活にはそれほど支障はないので放置
自転車に乗るときなどにサドルの当たり方によっては痛い。セッ〇スのときもね。
2025年11月21日 運命の日
手術3か月後の検診日で CT、血液検査などを行う
担当医から検査結果とは別に、健康保険組合に申請している傷病手当金申請書(医師に記入してもらう分)について、これ以上出せないと言われる
通常このような手術の場合、術後1ヶ月間程度の期間については労務不能と認める旨の申請書を出すが、それ以上の期間になると健保側から調査が入った場合に労務不能とする確たる理由を提示できないため、との説明。
元々傷病手当金など貰うつもりもなかったので特に問題無し。
そんな話しの直後、先程受けたCTの結果を見ながら現在の状況の確認
どうせ何も無いはず…
が、肺と肝臓に複数の影が見つかる
医師も意外といった表情でしばらく固まる
画像を何度も見返す
そして次の瞬間、サラッと以下のように言われた
がん細胞が転移している
ステージ4です
余命半年~1年
5年生存率は10%
「お金に余裕があるなら仕事を辞めて好きなことをして暮らすことをおすすめします」
まさに青天の霹靂
他人事のように聞こえてしまい、この時は何も感じなかった
これ以上は出せないと言われた傷病手当金申請書についても一転、引き続き書いてくれることになった。
このときの話の展開が可笑しくて、つい声を出して笑ってしまった。
同日、同系列の国際医療センターへの紹介状をもらいまたしても転院
2025年12月8日 国際医療センターの包括がんセンターを初受診。
大学病院での診断通り、既にがん細胞が血流にのって他の臓器に散らばっている状態とのこと。
悪性の中でも特に悪い顔をしたやつです、と説明されて、ばいきんまんしか思い浮かばなかった笑
十数箇所に転移しているため、身体への負担が大きく手術はできない。切ってもモグラ叩き状態になる。選択肢は抗がん剤治療のみ。
抗がん剤治療を行っても、使用する薬剤がマッチしがん細胞を抑え込める可能性は低い。5年生存率10%は変わらない。
完治は無く延命的な治療になる。
といった説明(だったと思う。記憶が曖昧)
その日のうちに入院日が12月19日に設定され各種説明を受ける
翌日12月9日、ぼーっと特にあてもなく街を彷徨ってしまった。
気力もなく何も考えられないまま一日を過ごす。何をしたらいいのか分からない。
その日の晩、フォローしている方のアドバイスにより他院でセカンドオピニオンを受けることを決心。
12月10日
セカンドオピニオンを受けるために活動開始。
先のことは変わらないだろうけど、いまを生きる気力は取り戻した。
12月22日 がんセンターから有明病院宛の紹介状が出たので取りに行く
紹介状、DVDデータ、病理標本を受け取る
12月23日 がん硏有明病院へ紹介状一式を届けに行く
こんなもの病院間でやってくれればいいのに、と思う。病理標本は仕方ないとしてもデータや紹介状はオンラインで共有すればいいじゃないか
12月24日 クリスマスイブ
最後の転院先となった、がん硏有明病院の受診日
おそらく今日行けば治療方針や入院日などが決まるはず
インフルが流行ってるようで、公共交通機関での移動は気を使う
なんと通院での抗がん剤治療となった。
年明け後の1月9日から治療スタート。
転院前の大学病院では選択の余地もなく2週間程度の入院が必須だったが、有明病院では基本的に通院治療とのこと。
となると自宅で猫の世話もできて助かるのだが、普通に生活できるのか、通えるのか不安。片道2時間掛かるので。
副作用がきつくて身体が弱っているときに、ひとりで生活できるのだろうか。
2026年1月9日 受診
心電図、心臓超音波検査、血液検査、造影剤CT など。
特に問題なかったので1週間後の1月16日、抗がん剤治療開始が決定。