マルチタスクじゃなくていい | いい気分でいよう

いい気分でいよう

いい気分は、いい気分を連れて来る
いい気分でいるために、いい気分になりましょう

『いい気分はすべてを凌駕する』

わたしは風呂上がりに必ず

 

鼻をかみ

 

そして

 

キレーーーイに「ほじる」(笑)

 

 

 

 

 

ある日、

いつものように鼻をほじろうとしたとき

 

 

勢い余って指がティッシュを突き破り、

鼻の奥を思いっきり突っついてしまいました。

 

 

とっても痛くて

 

涙が出て

 

少し血も出ました。

 

 

自分でやったこととはいえ

あまりの痛さと腹立たしさから

 

 

最近のティッシュは

全般的に薄くて弱い!!(気がする)

 

昔より柔らかくなったのはいいけど

ちょっとの水気にも弱すぎる!!(気がする)

 

 

とティッシュに怒りの矛先を向けていたら

 

 

 

「もっとゆっくりして」

 

 

と響きました。

 

 

 

声の主は

 

鼻の細胞さん。

 

 

 

今度は身体全体から

 

 

「もっと所作をゆっくりしてほしい」

 


とも。

 

 

「なんにも急ぐ必要ないでしょう?

あらゆる動作のテンポを見直して

それだけだょ(ティッシュのせいじゃないよ)

 

 

どうやら

わたしの身体細胞たち

満場一致のご意見らしい(苦笑)

 

 

 

 

確かにわたしは何を急いでいるのだろう?

今は何も急ぐ必要性などないというのに...

 

 

単なる習慣...

というより

かつての習慣の惰性。

 

 

思い返せば

サラリーマン時代のわたしは

いつも先へ先へと急いでいました。

 

 

何かを手掛けながら、次やるべきことを考えて

何かを手掛けながら、別な何かも同時に手掛けて

 

先へ先へと思考を飛ばし

外へ外へと意識を向けながら

自分の限られたリソースを可能な限り分散して同時進行させる

 

それによって

たまっているタスクを

少しでも早く、一つでも多く終わらせる。

 

 

それが ”デキる人” だと思っていました。


 

 

わたしはかつて30年近くITの仕事をしていました。

昔のパソコンは、一度に一つのアプリしか起動できませんでしたが、

Windowsの登場によって、同時に複数のアプリを動かせるのが当たり前になりました。

その辺りから、

”マルチタスク”という概念も世の中に浸透していき、

人の動きもマルチタスクを求められるようになったと感じています。

 

少なくともわたしは、その頃からマルチタスクを意識するようになり、

シングルタスクではダメ、旧式のポンコツだ(厳しい^^;)

と思うようになっていきました。

 

そして

他人にも自分にも ”マルチ” を求めるようになり、

「自分はゼッタイ旧式のポンコツであってはならない!」と

マルチタスクのスキルを鍛えることに注力しました。

(今は随分寛容になりました^^)

 

 

 

 

今回の鼻ほじり、

明らかにその頃の名残りです。

 

 

ティッシュに手を伸ばしながら、もう鼻に入れることを考えていましたし、

鼻にティッシュを入れながら、もう奥の方までほじることを考えていましたし、

何なら鼻ほじった後、髪を乾かすか?水を飲むか?とも考えていました。

 

 

こんな具合に

”身体(=細胞)”はイマココの動作を体感しているのに

”思考”は先取りのために未来へ飛んでいき

そして肝心の”意識”が、(イマココにいない)思考に焦点を合わせている。

これではいつまで経っても ”イマココ” に居られません(泣)

 

 

 

 

 

 

細胞たちの声を聴き入れて

ゆっくり、丁寧に、所作のペースを見直そう。

 

 

習慣はいつからでも変えられる。

気づいたときから変えられる。

 

 

もうマルチタスクじゃなくていい

シングルタスクでいいから

 

イマココを丁寧に味わえる人になる。