散りゆく花から無言の遺言 | いい気分でいよう

いい気分でいよう

いい気分は、いい気分を連れて来る
いい気分でいるために、いい気分になりましょう

『いい気分はすべてを凌駕する』

父の日に子どもたちからプレゼントしてもらった芍薬(しゃくやく)の花の

最後の一輪が満開を過ぎたある日。

 

 

 

 

今日でお別れになりそう...。

 

 

前日の寝る前にそう感じたときから、すでに寂しい気持ちが出始めていた。

 

ペットなら、なお辛いだろうな...、と容易に推察できる。

 

 

 

ふと

サラリーマン時代のことを思い出した。

 

 

ペットが亡くなって、悲しみのあまり会社を休んだ社員に

 

 

表面的には

「家族同然だろうから辛いよね...」

と同情の顔を見せつつ

 

(とはいえ、それで会社を休むなんて…)

と非難する気持ちも少なからず抱いていたことを。

 

 

あの頃の自分の厳しさに怖さを感じると同時に

(自分のことも同じように縛り上げて頑張っていたな...)

と、泣きたくなるような、たまらない気持ちになった。

 

 

 

そうだ、いつだって

 

仕事優先

会社優先

ルール優先

 

と、旗を掲げて先頭を歩いていたから。

 

 

それでも

表だっては"いい人"でいたいから

辛さをわかったような顔をして、優しい言葉を掛ける。

 

 

でも腹の底では

”甘いな”と見下しながら、非難したい気持ちが疼(うず)いている。

 

だから、非難発言をしてくれる人を探して、そのエピソードを話す。

まんまと非難してくれたら、その人の言葉を聞くことで、自分の中の非難の声が緩和されていく。

 

 

そうなったらまた"いい人"の顔をして

「まぁ、そうは言っても本人にとっては辛いことだよね…」と肩を持つフリをする。

 

 

こうして、わたしの中の

"いい人" と "非難する人" がバランスされていた。

 

 

わたしはいつも、正面切って非難しづらいことは、代わりに非難してくれる"冷徹な人"や"厳しい人"を登場させて、その人に相槌を打つか、その人をなだめるというやり方で、自分を収めていたように思う。

 

 

こんな風に

自分だけじゃなく、他人の行動や言動も動員しながら

 

自分の信じていることや思い込んでいること(=信念)

ものの見方や考え方や感じ方(=観念)

 

を、忠実に反映した

 ”自分だけの世界” を目の前に展開する。

 

 

これが

現実創造の仕組みだ。

 

 


当時は本当に厳しい世界を創っていたな。

 

 

そんな厳しい世界の住人だったわたしが

生き方をガラリと変えた。

 

 

それまでの常識や思い込みを次々に見直して

 

 

自分にとっての真実は

 

”心が軽く” なること

”いい気分” になること

 

だと知り、そう決めた。

 

 

反対に

気が重くなること

気分がわるくなること

は、自分にとっての真実ではない!

 

そう決めた。

 

 

結局は

頭の中を変えただけ。

 

 

”頭の中を変えるだけ” とはいえ

一朝一夕に変えられたワケではなく

地味で地道な "抵抗外し" を積み重ねてきた成果だ。

 

生まれてから

段々と纏い(まとい)重ねてきた抵抗の波動を

徐々に外しながら

どんな自分も仲間はずれにしないで

責めず、許し、優しく受け容れることを続けた。

 

 

そうしたら

目の前の世界がどんどん優しくなった。

 

 

自分に優しくしていたら


人からも

自然からも

見えない世界からも

 

優しくされる世界になった。

 

 

頭の中を変えただけ。

 

 

あの頃の厳しい世界も

今味わっている優しい世界も

 

どちらも同じ法則性の現れ。

 

 

宇宙の法則は

いつでも、どこでも、誰にでも、例外なく同等に働いている。

 

 

自分の信念、観念を

忠実に反映して、目の前に投影する。

 

 

シンプルにそれだけだと

改めて確信する。

 

 

 

その大事なことに気づかせてくれて

芍薬の花は、花びらを落とし始めた。

 

 

 

 

愛おしくて、美しい散りざま。

 

真っ直ぐな立ち姿を凛と保ったまま

淡く艶やかな美しい色合いのまま

 

 

 

 

 

次々と纏っているものを大胆に脱ぎ捨てて行くかのように

儚げのない、悠々と散りゆく美しさ

 

 

『この世界の美しさを存分に堪能してね』

 

 

そう優しく語りかけているよう。

 

 

 

ありがとう

出会えてよかった。