ある観光地でのランチ中、英語表記のない券売機に困惑しているようすの外国人ファミリーを見かけた。
毎日20分程度の英会話アプリを300日継続中のわたし。
「成果を試してみたい!」「役に立てるかも?!」というワクワク、ドキドキする気持ちが湧き上がる。
と同時に「でも通じなかったら...」「自分から声を掛けて結局手に負えなかったら...」と打ち消す気持ちも台頭する。
それに意識を向けた途端、「もっと英語を話せる人が近くにいたら...」「別に困っているわけじゃないかも...」と声を掛けない理由を探しだし、すっかり腰を上げられなくなった...。
程なく男性が通り掛かり、ボタン操作をサポートしてあげて食券購入は無事完了。
そのようすを見て、ホッとする反面、ほんの少しの勇気を出せなかったことにヘコむ。
せっかくのチャンスだったのに...。
機会を失った途端、それまで頭の中でたどたどしく準備していた英文が、次々と流暢に浮かび出す。
なんだよ、結構喋れそうじゃんか?!
なんでこんなに躊躇したんだ?
さっさと声を掛けに行けばよかった...。
ますますヘコむ。
何に引っ掛かってたんだ?
何を恐れてたんだ?
静かに内観してみると、こんな恐れと制限が見えてきた。
◉お節介だと思われたくない
◉大した実力もないのに出しゃばってると思われたくない
◉手助けを申し出るからにはバッチリ解決できなきゃいけない
おー、なんと厳しいビリーフ(思い込み)か。
そんなにハードル上げなくていいのに。
まだまだ自分に厳しくしてるんだなぁ。
まだまだ周りの目を気にしてるんだなぁ。
とはいえ、
人生はいつだって最適に運ばれている。
これが今のわたしにとっての最適な体験だったってことだ。
ランチの後、湖を眺めていたら、わたしのソースが解説してくれた。
自分の価値をみくびらないで。
自分では大したことないと思っていても、必要としている人にとっては大きな価値があるんだよ。
さっきの場面もそうだったでしょ?
あなたが”この程度”と評価した英語力が、実はあの場面を解決するのに十分な力を持っていたよね。
これはすべてにおいて言えること。
あなたはすでにたくさんの価値を持っているよ。
どんな経験も知識も、必要としている人にとっては、とてつもなく価値があるから。
あなたが表現を止めるとき、受け取りたい人の機会も摘むことになる。
過小評価はもう終わりにしよう。
ヘコんでいた気持ちが、このメッセージで晴れた。
自分の価値って、なかなか気づきにくい。
自然に身に付いて、当たり前化していると、なおさらね。
決めた!
もっと自分の価値を認めて生きよう!
わたしは自分で思うより多くの解決策を持っている!(らしい)
Can I help you?
これからはサラリと声に出す。