「マジックディスク」http://www.magicdisk.jp/

アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)のNEWアルバムのキャンペーンサイトなのだけれども、それを遥かに超えて物凄く面白い。
前にmixiのマイミクやその先の繋がりを表示する同じ様なFLASHがあったのだけれども、コンセプトを変えるだけでこんなに楽しくなるとはね。

キャンペーンサイトなのでいずれ消滅してしまうと思うのだけれども、とても楽しいし、アフェリエイトを管理側で取って(もう取ってるかな?)音楽系広告とか取ってそのまま存続してくれないだろうか。(その際はユーザーページの表示とユーザー検索が出来る様になるといいな+視聴が出来たり、itunes連動も欲しいなどと要望は膨らむのだが。あと、ユニクロの流出騒動があったから?だと思うのだけれども、サイトに接続する度にクッキー食わせないで毎度OAuth認証しないといけないのは若干面倒。)

私が音楽を知る切欠は1枚のアルバムからそのアーティストが好きなアルバムを掘り下げたり、同じ曲を好きな友達から聞いて知ったり、レコ屋のレコメンドや雑誌のレビューや記事やラジオや対バンで知ったりしていった訳だけれども、このマジックディスクはこんなアルバムを好きな人はこんなアルバムも好きですという事が綺麗に可視化されて、そのアルバムを好きな人と繋がり、その人が…とどんどん連鎖されていく。アルバムに対するコメントも一気に表示されるし、そのアルバムをマジックディスクに追加したいと思えば簡単に追加出来る。その上、twitterと連動されているから、その人がどんな人か覗いてみる事も出来る。いい仕組みだな。サーバー激重で繋がらない時がしばしばなので、キツそうだけど、ユーザーがもっと増えればもっと楽しくなる。(6月18日現在ユーザー9000人強)
飽きる?かも知れない。けれども、アルバムの更新も簡単なので、好きな一枚を随時更新してその繋がりをまた…という楽しみ方も出来るのではないかな。

「マジックディスク」=「人生に影響を与えた1枚、自分自身にとって魔法のような1枚」は何枚も登録は出来るのだけれども、8枚しか表示出来ない。人のを見ると面白い。この人絶対若いな!!とか年食ってんな(←私)とか、ユニオン等行きまくってるんだろうなーとか、見た瞬間女だな!とか窺い知れる。そしてtwitter飛んで見て正解じゃ!と思ったり意外な印象を持ったりと、きちんとソーシャリアプリとして機能しているのです。

世の中に選択するものが多くなると同時に、音楽をもう聞いている人いないんじゃないか?とか、CD買っている人なんかいるの?とまで聞くのだけれども、このマジックディスクのコンセプトにもあるように、音楽はこの先も回転し続ける。CDが無くなっても、ハードディスクだけになったとしても、そのハードディスクが無くなったとしても音楽は回転し続ける。音楽が持つ魔法のようなちからを私も徹底的に信じるのです。なので、誰かが、そういった「マジックディスク」になる音楽を知る切欠になるかも知れないこの様なコンテンツはとても嬉しい。

という事で、最近一押しのLIVEはMO'SOME TONEBENDERLOSTAGE
MO'SOME TONEBENDERの百々さんにはここでも書いたけれども、オルフェの事を「音楽と人」に書いてもらったりして、とても面白い人でええやっちゃねん。同期というのもあり、それからも仲良くさせてもらっているのだけれども、この間、代官山UNITでの四人編成のライブに行ったらむちゃくちゃ格好良かったでやんす。
ド爆発で突き抜けていて、ドカンと楽し過ぎる。
この間まで、オフィシャルトップに上がっていた「hang song」も物凄く格好良かったのだけれども、保存をし忘れて上げられず。
「LOVE」が今度は上がっていたので、すかさず、つべにアップしてしまった。
勿論、未許可である!ダメであればきっと削除されるであろう。
オフィシャルまで見にいった人のインセンティブだとは解りつつも、この間の「hang song」がつかの間だったので、見たい人に見れなかった状況であったら勿体無い!という思いで強行してしもうた。
MO'SOME TONEBENDERのLIVEは貴重で、物凄く良いので興味のある人は行っていただきたい。
次回、発表されているのは東京では以下のみ。逃すな。逃すなよ!映像なんかよりLIVEが凄いんだから!!!!

2010年8月11日(水) 東京都 六本木SUPER DELUXE
<出演>
・割礼
・MO'SOME TONEBENDER
ナタリーの詳細




これは2005年の「hang song」だけど2010はもっと進化してるぜ!!かっこええぞ!
オレらの年代パワーあんじゃね?←その物言いヤンキーか!



そして、LOSTAGE
年末、4人編成が脱退で3人編成になったLOSTAGE これもLIVEが素晴らしい。
箱の限界までだす爆音。何故か3人でやった方が爆音。
五味兄、五味弟のアコーステックライブ←(これ好きな曲「海の果実」)もやっていますが、それはまた別の趣で五味兄の声の素敵さと、メロディの良さが際立つという。爆音なのにモーサムのように弾けて踊れない雰囲気が会場にあるのだけが残念だけれども、気が付けばもう今年3度もLIVEに行っておりました。

YOUTUBEでオフィシャルPVが流れているのだけれども、これはNew Audiogramでドラムの岩城くんだけの「ひとり」バージョンの「ひとり」(通常版のPVはこちら)見比べると面白い。
これも時期がきたら消えるんだろうなと思って急いで保存。
そして、ここまでドラムがフューチャーされたPVなんか見た事ないし、岩城くんのドラムが好きなもんですから、アップしました。えぇこれも勝手ですよ。




ああ、そして追加だけれども、またOK Goが素敵PVを発表した。一泊二日のコマ送りじゃ。
古くて新しい。OK Goは音楽も大好き。これも貼っちゃうよ。



久しぶりに書くと、阿呆かいう程長文である。

毎日毎日毎日あんなものに
常にあんなものに腹這いになった
甚だしきにいたっては
幸福のなかに腹這いになった
それはなんか知らん音を
聞きたいと感じていたから

なぜ私はあれを聞きたいと考えたのだろう
そのために穢い私はいつも嗤われた
でも私はあれを聞きたかった
だから私は我慢して
あなたを送別したのだ

そのうえで私は甚だしく聞きたい
とうとうあなたに到達したあなたの
貨物車に入れられる太陽の音
毎日毎日のあんなものの音
あなたの向こう側にあった音
その音を私は聞きたい

新潮5月号P204 町田康「そこ、溝あんで」中「穢い私は」

甚だしく聞きたい
甚だしく聞きたい
甚だしく聞きたい事ばかりだ。後も先も。そして今も。

詩などを読むと、そしてこれは(上記の詩は新潮に朗読CDが付いていた)読むだけれでは無く朗読も入っていると、
あんまりにもパンチが効いていて、一日どうしようもない位のダメージを受ける事がある。
パンチのあるCDなので、新潮が手に入れる事が出来るのならば、町田康を少しでも好きな人は手に入れた方が良い(断言)


おまえシンナー吸うてるやろ?
いや、ハイボールに止めてるで。
「おれに関するかぎり、時にどう感じまた他人が何と言って聞かせようが、この孤独感こそ世の中で唯一の誠実さであり現実であり、けっして変わることがないという実感とともに。」(長距離走者の孤独 P58)

アラン・シリトーの訃報。
実は、初めて中高生の時に読んだ時も「古典」と思っていたし、その時の日本の恵まれた経済状況の中では物語の背景が乖離しすぎていて、もう既に死んでいる作家だと思っていたので、今回の訃報には正直「まだ生きてたのか!」という大変失礼な思いだった。

中高生の時にこの本に出会って、小学生からライブハウスに行ってみたり、初恋の人は町田町蔵だったりしていたわたくしめ。「KEEP ON ロケンロー!KEEP ON 馬鹿!」という恥ずかしすぎる昭和なフレーズをステッカーなんぞにしてギターケースに貼っていた気がする。ああ、赤面よ。赤面なのよ!

その時は、ラストの大きい裏切りシーンでパンクな物語だなぁ!なんて浅はかにも考えて、いつも鞄に忍ばせていたりしたもんだ。いつも持っている事で「反抗心」みたいなものを自分で身に付けているとでも思っていたんだろう。

でも、今回ざっと読み返してみたら、ああ、私のなんだろう「孤独」に対する「諦観」みたいなものはこの本の影響が強かったのだなあと改めて吃驚した。
誠実さを説く大人が一番誠実では無いじゃねぇかという事や、自分にとっての誠実とは何かという事、欺瞞や偽善とは、孤独ってどんな事か、そんなものを考えるきっかけになった本だった。
思春期に出会うものというのは後の人生に随分と影響を与えるものなのね。

もう随分と中年になってしまったので、「反抗心」イエイ!イエイ!と思っていないし、偽善もまた善でいいんじゃねぇの(誠実ではないけど)、欺瞞でも踊らせてくれればOKだ!踊れない欺瞞はつまらないだけ!と思っていたり、随分と変化はありますけれども、根本の「孤独」のどうしようも無さ、例えば、愛する2人が対になれば孤独から解放される論とかには、心底は同意出来ていない。
慰めや癒しにはなるだろうな。でも、解放はされない。
うーん。解放されるんじゃないかと思っていた時期もあったのかも知れないけど、忘れてしまった。

各個人がどうしようもなく「孤独」である。どんなに周囲の愛に恵まれていようとも。
周りの愛の欠落が「孤独」を生む訳ではなく、はなから人間の1人、1人は「孤独」であるという事。
私は当たり前だと思っているのだけれども、そうじゃなく思っている人も多くいる気がしている。

それが解った上で、コミュニティを作る(小さい例では家族)孤独を解った上で助け合う、愛し合うという、周囲に浸透しているようなラブ幻想を超えた関係性が難しくともあってよいんじゃないかと思っているのですけど、
まぁ実現出来ない人にそんな理想を説かれてもさーって感じだよね!!うへえ!
山田くーん。私の座布団全部持っていって!!!

では最後にまた引用。

「音楽と人 5月号 P79 町田康×ヒダカトオル」

--私が思う両者の共通点は、自己否定というか自己愛のなさですね。

町田「でもパンクっていうのはそういうことで。「お前は家族も友達もなく、その上貧乏で不細工で服装のセンス変で足が臭い、低学歴の無職者で、社会の底辺を這いつくばった挙げ句、孤独死する。やったじゃん」って言うのと「君は独りぼっちなんかじゃない」っていうのは、同じことですからね。これ」

町田「独りぼっちなんかじゃない、って言うことは、独りぼっちだという認識を持ってるってことで。それは同じことですよね。それをストレートに励ますか、ストレートに励まさんかっていうだけの違いで」

ヒダカ「我々はストレートに励ましたくない派、ですよね」

町田「ていうか励ましてないですよ、もとから。励ますっていうのは要するに「この壺こうたら幸せになれますよ」って言うようなもので。言えます?」

ヒダカ「言えないですよね。」

町田「だから真面目なんですよね。言えないっていうことは。ちょっと見ただけで絶対ダメなのがわかってる奴に「絶対大丈夫」って言うのと同じことですから。ダメなのは見たらわかるやろ、っていうような奴、っていうか、実はそれは自分に他ならないんだけど」
こんばんは。
1Q84 BOOK3 を一気読みして脳みそが1Q84に犯されて寝れませんので、
クールダウンにブログなど書いてみまする。

1Q84 BOOK1-2 の感想

今回は、牛河の物語と言っていいでしょう!私は牛河のどうしようもない現実感が好きだったので、もう少し物語に回収されないで現実を見せて欲しかった。でも現実感があるとはいえ、実は牛河は外見から齎された厳しい環境下故に培われた観察眼と用心深さと執念ともいえる執拗さを生かし、人より仕事で秀でている才能があった。この作品に出てくる人はごく普通の人はあまり出てこない。何かしら人より秀でている才能があり、それを研ぎ澄ましてきた人たちが中心になっている。
それはある意味ファンタジーだよね。時々それが鼻につくなーとは思いながらもファンタジーとして浸かりちゃんと楽しみました。

ラストはBOOK2で、えーーーー!ってなってた人にはスッキリするのかも知れませんけど、私みたいな捻くれモノはですね。ファンタジーにも程があるッ!とか思っちゃうんです。
でも、実はちょっと嬉しかった。
ファンタジーじゃないのは現実で十分なのかも知れません。
いや、私は今も自分のファンタジーの中に生きていますけどね。私には私の物語があるッ(ビシッ)

読んでいない人には何のこっちゃ。ですがネタバレしないと感想も書けない位、BOOK1-2をどうにか3で回収している物語なのですが、また一気に読んでしまったので、面白いと思います。
どうにかネタバレはしてないよね…

物語の筋とずれてはいないのだけれども、時折ガッと刺さる言葉が散りばめられていて、ストーリーとは離れて言葉が立ち上がってくる瞬間があちこちにある。そしてそれは読む人の境遇や想いなどで変化するのではないかしらと思ったりもした。BOOK3は少し希望よりの言葉が多いという印象ではあったけれども。

色々とくすぐったい場面やひっかかる何かは多々あったのだけれども、それでもどっぷり先へ先へと読めてしまうので、読んでない読書が好きな方は読んでみてはと思います。
最後まで何のこっちゃわからん文章である。


「こいつをそのまま受け入れるんだ、と彼は自分に言い聞かせた。なぜこんなことが起り得るのか、説明はつかない。しかし今のところそれは深く追求するべき問題じゃない。この状況にどうやって対応していくか、あくまでそいつが問題なのだ。それにはまずこの光景を丸ごと理屈抜きで受け入れるしかない。話はそこから始まる。」(1Q84 BOOK-3 P456)


ああ、最近思った事。
幸福と「云われる」ことを幸福と思い、不幸を不幸と思い、孤独を孤独と思い、楽を楽に思い、苦を苦と思うのは、人それぞれの感覚なので構わないと思うのだけれども、
「そう云われているモノ」自体を懐疑的に考えたり、そう思わなかったりする人間も世の中にいる。

だから、共感が為されない場合もあるって知る事も良いのじゃないかなって思う。
そして、今その「不幸」や「孤独」や「苦」の真っ只中にいる人は、
もっと感覚的に「辛い」と感じていたとしても、「そう云われているモノ」、一般的に定義されているものだから、そう感じているのでは?と自分を疑ってみたり、一旦何が辛いか細部に渡って検証してみると違った面が見えるかも知れない。
どう考えても辛いっすー(涙)となったら、これまた1Q84の中の言葉なのだけれども、

「どれくらい苦しいものか、こればかりは経験したことのない人間にはわからない。苦痛というのは簡単に一般化できるものじゃないんだ。個々の苦痛には個々の特性がある。トルストイの有名な一節を少し言い換えさせてもらえば、快楽というのはだいたいどれも似たようなものだが、苦痛にはひとつひとつ微妙な差異がある。味わいとまでは言えないだろうがね。そう思わないか?」(1Q84 BOOK-3 P497)

という言葉を噛みしめて、よーしオラ微妙な差異を噛みしめちゃうぞー!と思う方向にするか、
辛い自分の姿を笑ってみたりするといい。
あんまりヒロイックになってしまって撒き散らしても、何も変わらないもの。
それなら鏡に向かって「ツライツライ音頭」とかいってクネクネしてみた方がいいよ。ダイエットにもなるし。

まぁ偉そうに書いてみたけど、既成概念を押しつけられたくないなー既成概念が全ての人に適用されると思ってもらっちゃあ困りますよーって事と、絶望からの第二フェーズに来たらしく、ああ。絶望ね。はいはい。それ食えないよね?とか思ってきているからかも知れない。ははは。
隠し砦の三悪人見ながら寝ようと思ったら、逆に興奮して寝れなくなってもうたので、ぽちぽちiPhoneでブログなど書いてみる。

今週は阿呆ほど飲んでしまって、その間に物凄く唸る話を聞いた。なんだかボロボロ泣いていた気もする。けれど、その時は何か閃き、納得し、ガッツに溢れたのに←死語 今なんだか、ぼんやりとしか思い出せない。もう一回話してくれるかな。

人に何かを与えようと挑む人は魅力的だ。
そういう人と話している時は、とても楽しいなあ。一方通行でただ闇雲に伝えたいだけってのは与えようとしてる事になってない。←私がよくやりがち。はは。

お互いが反応を感じながら、呼応すること、だ。
おお。なんか性的よ!セーックス!

この、何かを与えようとする人が魅力的であるというのは、どんなジャンルでも当て嵌まることよね。

価値観も信条も好みも多種多様で、人が人と解りあえるなんて幻想。
解りあえるなんて幻想だという事さえ、解りあえない訳だけれども、それでも尚、伝えようとする人に、それだから尚更、魅力を感じるのだろう。

別の話。

私の大好きなロボットの研究者石黒浩先生は、
「僕は美味しいものを食べたいから生きているんじゃない。
僕は楽しいことをやりたいから生きているんじゃない。
僕は「人間とは何か」という事を知るためにロボットを研究し、「人間とは何か」という事を知るためにだけに生きている」
と言っていた。むちゃくちゃ素敵だ。

うまく、自分の中にあるものを言語化出来なかった。烏滸がましいにも程があるけれど、私は知るために研究する何かや、知るために模索するツールも持っていないけれど、「人間とは何か」を知るためにだけに生きている。

んなもん、死ぬまで、死んでも解らないだろう。探し続けることしか出来ないのであっても、野山を駆け回りながら、やっていくしかないでしょうが!と思っていたりする。
また、自分語りでちゃった…懲りない人ですね。私も。

そうそう。大阪に出張に行って、合間に念願の太陽の塔を見て参りました。
色褪せない物凄いパワーと存在感。圧倒されて泣きたくなった。
よく見たら、太陽の塔も泣いてた。
photo:01









「たとえ誰がどう見てもインモラルなものであっても、フィクションの表現を法で規制することが間違いなのです。」
@videobird
とり・みき TORI MIKI twitterより

今、お仕事が忙しいし、体調も激激悪いし、twitterをお休みして色々集中しようと思っていたのだけれども、
「非実在青少年」の条例改正に反対する意見表明が今日あったらしいのでばーっと関連サイトとtwitterを読んだ。
まさに、皆が騒いでいるから自分も騒ぐみたいな、にわか「非実在青少年」反対派に何が書けるのかと躊躇もしたよ、でも厭なものは厭なので書こうと思う。
(2月24日に提出されたこの改正案は何も運動しなければ19日の都議会総務委員会で採決が予定されており、通る可能性が高いという※この通る可能性が高いの「高い」の根拠が見つけられなかったので、そう「伝聞」されていると私は書いておく)

私の書くことなんぞ、非論理的で所詮感情論になっちゃうからどうしようもないのだけど、書く。

東京都議会の条例 改正案と現在の比較ページ
↑文字落ちが私の環境ではあったので、原文pdf↓を読んでいただく方がよいかと思う。
「東京都青少年の健全な育成に関する条例」)の改正案

よく読むと「非実在青少年」の他にもインターネット利用に関することが、なんだこれ!なんだけど、それはまたいつか。

◆改正部分抜粋

第三章 不健全な図書類等の販売等の規制

(図書類等の販売等及び興行の自主規制)
第七条 図書類の発行、販売又は貸付けを業とする者並びに映画等を主催する者及び興行場(興行場法(昭和二十三年法律第百三十七号)第一条の興行場をいう。以下同じ。)を経営する者は、図書類又は映画等の内容が、次の各号のいずれかに該当する青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認めるときは、相互に協力し、緊密な連絡の下に、当該図書類又は映画等を青少年に販売し、頒布し、若しくは貸し付け、又は観覧させないように努めなければならない。

※以下改正案で上記の消している部分に追加される「各号」の一部

一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの
二 年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの


…(略)

都民の責務まで追加で入っておる!みだりに所持って「正当な理由や資格もなく行う」ってことの「みだり」?そうなると単純所持禁止という事と考えればいいの?協力や理解を深めなきゃ都民の責務を果たせてないこととなるのね。

(児童ポルノの根絶及び青少年性的視覚描写物のまん延抑止に向けた都民等の責務
第十八条の六の四 何人も、児童ポルノをみだりに所持しない責務を有する。
2 都民は都が実施する児童ポルノの根絶に関する施策に協力するように努めるものとする。
3 都民は、青少年をみだりに性的対象として扱う風潮を助長するべきでないことについて理解を深め、青少年性的視覚描写物が青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害するおそれがあることに留意し、青少年が容易にこれを閲覧又は観覧することのないように努めるものとする。


創作物に対して規制をかけるのです。それも「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」に対する規制をね。重要なので二度書いた。

表示とはどこまでなのだろうか?テキストも表示ではないのだろうか?想起させるとはなんて曖昧な定義だろう。
現行法の「性的感情を刺激するもの」って事だって私にしてみれば、人のエロを決めようとする人がいるだなんてと鼻で笑う勢いなのに、18歳未満を想起させる創作物という曖昧な括りまで追加だなんて!どこまで規制したいのだろう。被害者なき表現の規制。

既に二次元表現の良い、悪いを決めている所はあるのよね。不健全図書と今も誰かが決めている。現行法は粛々と追加されているのだけれども、今回は随分とはみ出していて、曖昧で、拡大解釈がいかようにも出来る自由度を持ったものが追加されているのは問題だと思うのです。

でも、この運動をしている人たちは、本気で何かを守りたいと思っているんだろう。
本気に近くの子供を自分の子供を守りたいと思っているんだろう。
自分の良識を、自分の考えるエロを守りたいと思っているんだろう。
だからこそ、ここまでのスピード感でどうにか条例を通そうとするパワーがあるのだ。
何かを守ろうとする人にバカじゃね?とは私は言えない。

バカじゃね?とも言えないし、推進派の意見が理解出来ない訳じゃない。私も子供が傷付けられたり、モノのように扱われる性的描写のみを好んで見たい訳ではない。
でもね、それを表現する自由は認めるべきだし、とり•みきさんも書いているけれども、人はインモラルな側面を元から持つ生き物だよね。そういった側面を隠し通す事が健全な育成に繋がるとは、どうしても思えない。
見たくない。見せたくないと思う気持ちは解るのだけれども、人間は業を持って生きていて、業を受け入れて生きていくものではないの?インモラルな表現を閲覧、もしくは観覧するという事は人間を受け入れ、見つめる機会だとも思っているのだけれども、違うのだろうか?
インモラルなものと、モラルのあるものを両方見ながら人は自分の、そして他人の両面を捉えながら成長していくのではないのかしら。
(単純に自らの性的感情を刺激する為に閲覧、観覧する人間が多くいるのも十分承知です。それが悪いとも思わない。性的感情を刺激したいと思うのは人間として元来の姿だと思う。それを被害者なき創作物において、満たす事が何故規制されないといけないのか?頭の中を規制したいと?)

うーん。インモラルな表現は有用であるという言い方は、なんか違うかも。
いかなる表現でも表現そのものに対する規制には一切反対が私の基本姿勢で、
今回は表現そのものに対する規制ではない。だけれども、実質的に扱いが停止されるという事は、表現の幅を狭めようとする動きがクリエイター、出版社共に生じる。この条例では「文脈も何も加味されず」に「18歳以下に思えるからNGよ。」がまかりとおる可能性がある。

表現とは人間らしさであり、人間の尊厳。精神的な営みの領域に法や条例が入るだなんてあってはならない。(既にたくさん入ってはいるけどね。だから私は現行条例にも反対のスタンスです。)

それって違うんではないかと果たしてそれは法や条例で規制するものなのか?と反論があるならパワーを持って言わないといけないのだと思った。
表現を規制するという事に対してしょうがないんじゃないかなぁって思って何もしないというのは表現に対して不誠実ではないかと思ったので、意見をフォームから送ってみました。

フォームからの意見はこちらだよ。でもみんなやろう!という所まではいかない。
意見は様々で然るべきと思うので、思う所があったら自分の考えにおいてやればいいと思う。
都民の声総合窓口
民主党窓口

※昨日の夜書いたので、意見表明が「今日」となってるけど、正しくは昨日です。


一回だけお食事した事ある@akhkがTwitterで紹介してた記事
ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

一番下まで読んで、なんだかぼろぼろ泣いたりしていた。
アラフォーにもなってさ、こういう事が自分の身として解るというのはおっせーんですよね。
幼児か!私は幼児なのか!

「自分が好きなことだけしてたい」
「楽しいことだけしてたい」
「思い通りにならないことを怒ったりすぐ諦めたりする」
そういえば、「あなたは」という冠が付いて、親や人から言われてきた言葉なのだけれども、
(それも、たぶん私を大切に思ってくれた人たちから)
私は強烈に「自己中心性」や「自我」みたいなものが強かったのだろうな
全くピンときてなかった。
「どこが?なんで?」的な所で、「そうよ!それでいいじゃない!」的な事では無かったのだけれども、
結果としては同じ事だろう。

私は私利私欲に塗れた汚い人間だけれども、そんな自分でも人の為に何ができるか。
人に熱を与えるには、自分が歩き続けて熱を貯めていくしかないこと。
自己啓発的な文言は自己啓発セミナー&ネットワーク商売でやられた経験があるので心が拒否る傾向があるのだけれども、当たり前のことを解っていなかったというか、軸にしていなかったのね。
随分と自省やあんまりにも自分が解りにくすぎて、自分に向ってばかりいたのだと思う。
この記事もまた、そうなのですが。

枠を外に置くことをチャレンジしてみよう。
いかんせん自我が強いので、出来るかわからんがな。

まずは、ロボットの事だけ考えること。
ロボットの開発者の人たちが嬉しいと思う姿を考えて動くこと。
今、目の前にある私を必要としてくれている仕事に取り組むこと。
から、始めよう。

てえ、ことで、自分について足掻くのは一切やめやめ!
そんなんしても何も変わらないもん。
自己に向いている限りは自己は変わらないのだ。
根拠、私!


長いけれども引用。

体も心も、人はいつも程よい熱が必要です。
体は熱を作り出して動き、
気持ちは熱を伝え合って動きます。

そしてその熱は、与えあって増幅するものだと
気付かずにはいられません。

社会から温めてもらうには
自分が社会を温めようという気持ちが必要なのだと
働く中で気付きました。

人と人も、企業と人も、社会も人も、
温めあうことで互いに活性化する

温めてもらうことだけ求めれば、
その人は熱を奪う存在となってしまいます。

発熱することを止めた体を温めるのは
まるで死体を温めるようなもので、

そうそう温まるものではないのは確か。
温めてもらうには自ら発熱し続けるしかなく、
発熱し続けるためには歩き続けるしかない。


かいじゅうたちのいるところ
という映画があるんだよ。
監督はスパイクジョーンズ
wikiはこちら

そう、あの下品極まりない(大好きな)ジャッカスの総監督。マルコヴィッチの穴も面白かった。数々の素敵なPVも撮ってる人だよ。
でも、「かいじゅうたちのいるところ」は評価されてない(ように私は見える)

でもね。とても素敵な映画だった。

孤独、家族、コミュニケーション、断絶、個別、フラストレーション、衝動、自己承認、そんな言葉に触発される人は是非見てもらいたい。

画、音楽、本、全てが言うべきものに向かっている。
画がかっこよすぎるのはあるけどさ。でもそれがいい。
どうにもいい映画だよ。カールじいさんも良かったし、昨年のNO.1は見ていない中でもアンヴィル!だけれども、やーやべえな。2月だけども今年一番なんじゃないかしらと思うほど「かいじゅうたちのいるところ」は良かったです。

一般の評はひどい。「暴力的」「共感するところがどこにもない」「子供がわがまますぎ」「ファンタジーか現実か意味がわからない」「暗い話」「大人しかわからない」「今まで見た中でNo.1の駄作です。」
ぜんぶ、ファックオフ!だ。

映画会で行ったので周りに友達がいた訳だけれども、私はどうにも泣いてしまってどうにかみんなに解らないように雫を拾ったりした。(と、いっても子供だましの泣き映画ではない)

私が特に素が不器用な人間なので、仕事をする時は逆に器用になる。
なので、器用な人と思う人もいるかも知れないのだけれども、
心の中はマックスであり、キャロルであるので、もう最初から抉られるようにのめり込んだ。

たぶんもう間もなく公開は終わってしまうかも知れない。
映画館でも一日に二回位しかやってない。
でも、良い映画なのでこれを読んで少しでも見ようかなと思った人は見て欲しいなと思う。


「音楽と人」MO'SOME TONEBENDER百々さんのコラム「泥酔ジャーナル」にオルフェでの出来事を載せてもらいました。
「音楽と人」に少しでも出たいバンドが日本中に物凄くいるのに!って話も聞いて恐縮なのだけれども、1Pも触れられてます。ひょっとこ顔と共にな!
特集は千葉さんのバースデイと追悼フジファブリック志村くんです。
そんな回に私も載ってしまって恐縮だ。人生はわからんな。音楽雑誌に自分が載るってのが中学時の人生夢ファイルに記した事でもあったよそういえば。形は随分と違うけれどもチェックボタンを押すべきだ。
「君は自分が好きだねえ」と最近言われる。
だから臆面もなくこんな事を告知出来るのだろう。自分のナルシシズムに辟易としながら、
たぶん出たがり、喋りたがりは治らない。やだねーきしょくわるいねー
なんつって、だからこそ楽しい素敵な人たちと少しでも関わる事が出来ているような気がして、私がなんと思われても、そっちのが楽しいからええじゃんか。
と開き直ることにする。
な。こういうとこが、きもいんじゃ!



1月29日(金)阿佐ヶ谷ロフトA
「tweet or beer」~twitterのオモシロさって何だろう?
OPEN18:30 / START19:30
前売¥1,500 / 当日¥1,800(飲食代別)

前売予約は下記WEB予約にて受付け中
http://www.loft-prj.co.jp/lofta/reservation/reservation.php?show_number=276

というイベントを週末やります!ヤリマス!やります!
なので、フライデーナイツに是非ぜひゼヒ遊びに来て下さいませ!
ついったーって最近聞くけどよくわかんない。って人にも優しい感じにするつもりです。
でも、時折、ついったー話で盛り上がってしまうかも知れませんが、そこは「楽しそうだなー」と感じてもらえればいいな。

とにかくtwitterが好きだ。
好きじゃないけどつぶやいてしまう。
流行っているみたいだからやってみた。
なんか有名人もやっているらしい。
面白い!いや、面白さがわからない、、、
twitterの使い方やタイムラインはひとそれぞれ
とりあえず、みんなで飲んでtwitterについて喋ってみよう。
そんな企画が「tweet or beer」です。

出演者と会場の参加者、そしてtwitter上のつぶやきが集まって、自由できままでゆるい交流空間で遊びましょうというイベントです。
アカデミックなものではありませんのであしからず。

#TWOEBEというハッシュタグを壇上モニターでリアルタイムに流し、気が向いたらそれについてお話するかもしれません。

フライデーナイトでもありますので、会社帰りに飲んで食べてゆったり過ごして下さい。
色々な所で開催されている「twitterはどうビジネスに生かせばよいのだろうか」的なガツガツした感じのイベントにはならないと思います。
週末、飲みたいけど一人じゃなあ~なんて気分で来てください。

■ 出演者は誰がでるの?

@toiimasunomo http://twitter.com/toiimasunomo 枡野浩一
 (文字数は百四十もいらないとミソヒトモジでつぶやく歌人)
@titanhappy http://twitter.com/titanhappy
(最近、社長も始めました。(株)タイタンの中の人)
@kensuu http://twitter.com/kensuu 古川健介
(ネットサービスの大好きなnanapi [ナナピ] の社長)
@okadaic http://twitter.com/okadaic
(botを人間だと思っていた会社員。140字を超えてもつぶやき続けるぞ!)
@daichi http://twitter.com/daichi
(編集者。というのは世を忍ぶ仮の姿。「黙ってフォローするんだ。君のTLを俺色に染め上げてやる」)
@takeori http://twitter.com/takeori
(関東クラスタの高等遊民。某上場企業の社員からtwitterでネットストーキングを受けています。まぁ今年入社する会社なんですけど…。)
@fukuyan http://twitter.com/fukuyan ふくやん
(大好きなプロ野球とサッカーのことを勤務時間帯につぶやく「いちごびびえす」の人)

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ということで、あけましておめでとうございます!

近況をば。
オルフェのお手伝いを終了しまして、只今、10月にアナハイムで行われるロボット展のお仕事をしています。ロボット業界の人にお知り合いがいたら、飛んでいくのでこっそり教えてくださいな。
あと、妄想でもなんでも書いておけー!と伝えているのでとんでもない記事になるかも知れませんが、MO'SOME TONEBENDER の百々さんがオルフェに来てくれて、来月5日発売の「音楽と人」の中の「泥酔ジャーナル」というコラムでオルフェと私の事を書いてくれるそーです。
楽しみ。機会があったら読んで下さい。ひょっとこみたいな私の写真も見れるよ。ひょっとこだよ。





ぼーっとすると、フジファブリック志村は死んでしまったんだなぁと、考えてる。
今年は好きな人がたくさん死んだ年だった。
毎年、毎年、たくさんの人が死んでいくのだけれども、今年は特に好きな人がどんどこ死んでしまった年だった。

元バタ犬の池ちゃんのブログ

「楽しいことは、忘れない。


悲しいことも、忘れない。


まずは栄養補給だよ。」


という言葉があった。ありきたりな言葉かも知れないけどさ、
「悲しいことは忘れちゃってさ、楽しいことだけ残るんだよねー」なんて書いたり言っていた自分ですので、そんな事だから反省も生かせなかったし、何にしても浅はかだったんでしょうが!が!と思いました。いや、忘れてないんだよね。封じ込めてるだけだったのだ。だから、忘れないという意思。
2010年は「悲しいことも、忘れない。」

強くないと人に優しく出来ないんですよ。
弱い人が人に優しくできると思ってたりするのはゴーマン(notコーマン)なんですよ。
だから、体力をつけなければ。

私のアイドル伊集院光様のインタビューがやっぱり「人間のバカさ加減を笑い飛ばして肯定すること」話になっていたので、リンク。
自分はストイックさが皆無で馬鹿だから馬鹿にしか出来ないことをしようと中学校の時から思っていたのに、下手なプライドが自分がストイックであると勘違いして邪魔しているんですけど、こういうの読むと、「ほうらごらん。ストイックさがあると思うなよ!ばーか!」と言われている様で、我に返れてよいことです。

伊集院光さんの至言「結局、うんこを食うしかない状況になるんです」(前編)

伊集院光さんの至言「結局、うんこを食うしかない状況になるんです」(中編)

伊集院光さんの至言「結局、うんこを食うしかない状況になるんです」(後編)


フジファブリックは赤黄色の金木犀とか、茜色の夕日とか貼る人が多かろうと思うので
こんな曲もあったよと。このギター好きなんだよな。志村くんは意外にAC/DCとかも好きだったんだよな。
時々ちょっぴり片鱗のある曲がある。

モノノケハカラダ/フジファブリック



映画会では着々と映画を見続けております。
年末年始のオススメは「アバター」「2012」「カールじいさんの空飛ぶ家」「キャピタリズム」「アンヴィル!」です。どれも話し出すと止まらない。オルフェで話すとみんなが多少げんなりする位喋ってしまう位の映画。どれも!