映画「オッペンハイマー」:アカデミー賞受賞作品

 


  自動車事故の事務処理で,ブログアップが滞る昨今,昨日アメリカ映画「オッペンハイマー」をみた。勿論,原子爆弾開発した責任者の開発ドキュメントだと誤解して鑑賞した。
しかし,日本人の私は,”やはり”多くの場面で複雑な気持ちになりました。
広島に以前住んだことがあり,原爆投下の練習台にされ死者を何人も出した,我がいわき市(本ブログ2023.8.19,模擬原爆を落とされた町)の住人の私,さらに原発事故の修復のために次世代迄対策真面目に取り組もうと,今も放射能で苦しんでいる米国ハンフォード市の関係者と意見交換し努力しているいわき市(本ブログ2021.11.05,福島の放射能復興対策に不足するもの)。なのでその気持ちは尚更感じます。

 

   

  そういう個人的な気持ちを別として,映画としてみれば,上映時間3時間8分の長尺ものでした。私の映画の良し悪しの判断基準は,鑑賞中眠たくなるか,お尻が痛くなるかですが,今回は両方とも起きませんでした。理由は,映画の中盤に中だるみ(ハリウッド映画によくある不必要な濡れ場)がなく,終始緊張が持続できたからです。それは,単純なドキュメントではなく,ナチスドイツと原爆開発競争,時間的な読みと目の前でくり広げられる原爆実験の実際,情報漏洩,誰がスパイかのスリル,上司の個人的なやっかみと密告陰謀,口裏合わせの責任の追及,窮地,赤狩りの旋風,スタッフ追放,復活・・が次々に現れる重層的な緊張の連続だったからです。
 しかし,冒頭,自分は国家意思の1歯車で原子爆弾を作ったという台詞が出てくるが,将にアイヒマンの論理ですが,敗者には直接手を下した本人の処刑理由として使われ,勝者にはその非を問われない(むしろ名誉とする)論理です。

  舞台はニューメキシコ州のロスアラモス研究所,実験所。ウラン濃縮所のテネシー州オークリッジ,プルトニウム精製所のワシントン州ハンフォードと複数の州を巻き込んだ国家の大プロジェクト。アメリカインディアンが住む過疎地のロスアラモスを取り上げ,実験後放射能にまみれた土地を彼らに返せばいいという身勝手な発想に辟易します。

 そして,米国首脳は優秀な科学者(ユダヤ人が多い)を全米から集めるのに,ナチスが原爆をユダヤ人虐殺に使おうとしているという殺し文句と愛国心を使った。ナチスドイツの降伏により,ドイツの原爆開発が頓挫し,マンハッタン計画の当初の目標を見失った時,自国軍兵士を救うためと,未だ降伏していない原爆を持たない日本に攻撃目標を切り替えたのです。そして,敢えて民間人の殺戮を目標としたのは,スターリンが日本に使えと言ったからだと言い逃れのシーンが何気なく挿入されている。
 ポツダム会議に合わせて実験を成功させ,それを大統領に報告した後のシーンで,実験所から大小2つの原子爆弾が運び出される場面があるが,悲しい。勿論大は広島用,小は長崎用の爆弾である。 
 余りに重大な過酷な実験に怖気づき計画から脱落する科学者に対し,口封じに暗殺しようとする軍,元々ナチス対応の原子爆弾を日本に使うことに否定的な意見を言う主人公に対し,完成させるのは貴方の役目,それをどう使うかは軍の役目という軍の責任者。更に
核分裂の原爆に対し,核融合の水爆(原爆の1000倍以上も強力)は戦後の開発となるが,その計画を進めるのには逡巡する主人公。大統領に呼ばれた席で逡巡する主人公に向かい,お前は後世非難されない。落としたと非難されるのは自分(大統領)なのだ。この泣き虫,二度と前に出てくるなと罵られる主人公。

 実験成功を手放しで喜ぶ研究所のスタッフ達。その場所が研究所のキリスト教の教会。主人公がその祭壇上で喜びの演説をするのだが,終わると原子爆弾の閃光と黒焦げ死体を踏んづける幻覚に襲われる。
 彼らは人道の罪の祝賀を,何とキリスト教の教会で行ったのである。

 主人公は量子力学の天才理論物理学者である。ストーリーには,ボーア,ハイゼルベルグ,アインシュタイン等多くの著名な物理学者が出てくるので,私の頭がくらくらする。
あの時代,そういう天才たちがあふれていたのですね。


 原子力委員長に推薦された頃の鼻息が荒い若者の主人公は,素粒子物理学者のアインシュタインを量子力学を理解しない古典的な物理学者と口に出す傲岸なエリート物理学者。プロジェクトに重要な数式と計算書をアインシュタインが一目で誤りを見破るシーンで,量子力学的(ほぼ統計的)に確実という主人公に(厳密解)を求める。また,原爆開発で苦悩する主人公に,ユダヤ人の自分はナチスから同じ苦悩を受け国を捨てた。同じユダヤ人の貴方も国を捨てたらどうか,と言われる。そして,プロジェクトの成功について「結果について責任を背負うことになる」と予言するアインシュタイン。

赤狩り旋風の中,ソ連に流れた実験情報と流した仲間の追及,大統領への密告。上司の裏切りの策謀と仲間内の口裏合わせにより,主人公は窮地に陥る。共産主義と活動家への迫害,厳しい追及。しかし,主人公の愚直さを証言する同じ苦労をした仲間が多く出て真実を話救われる。

 どうも話がオカシイと疑問を発し無罪と判定したのは,マサチュウセッツ州選出の若い上院議員ジョン・F・ケネディだったという,とってつけたような台詞が出てくるが,私は不自然に感じた。

ラストシーンは,あれほど苦悩した主人公であったが,後に国家から讃えられ,仲間たちから祝いを受け,満面の喜びをたたえた,主人公が写り出されたのだ。
私は,ああ何だかんだと言ってもアメリカサイド(勝者)の映画なのだと痛感した。

                                                                以上