剣聖飯篠長威斎を再訪:香取神宮
かつて,剣聖飯篠(いいざき)長威斎の墓を香取神宮に訪ねたことがあります。
もう何十年前の話です。現在,昔仕事で関わった現場や史跡を再訪したい年齢になってしまいました。今回,神武天皇の時代に創建された古代東国三大神社(鹿島神宮,香取神宮,息栖神社)の由緒について少し確かめることがあり,再訪したのです。
香取神宮大鳥居
表参道の砂利道,石灯篭,モミジ
大鳥居から拝殿に向かう表参道の道は,広い砂利敷の両側に数多くの大きな奉納の石灯篭が整然として配列され,これらを明るく新緑のモミジが覆っています。他の神社とはまた異なった清冽な雰囲気が漂っていました。総門,楼門をくぐると,拝殿前の広い庭に多くの人たちが集まっていました。何かとみると,拝殿の中では結婚式が執り行われていたのです。
拝殿の前の人だかり
拝殿の中は結婚式が執り行われている。
結婚式を斜めに見て本殿,宝物殿の他色々周り,何度か探したのですが,剣聖飯篠長威斎の墓を見つけることは出来ませんでした。もう何十年前のことで,すっかり忘れていました。そこで拝殿横の授与所の巫女さんに場所を尋ねたところ,旧参道の途中,奥宮に向かう道の途中にあるとのことで,案内図を頂きました。
剣聖飯篠長威斎墓の案内図(奥宮の途中)
奥宮の入り口の八重桜 入口の道しるべ
飯篠長威斎墓の墓域
飯篠長威斎の墓石(上が欠けた石板)裏に破損した小さい五輪の塔
旧参道に確かに見覚えのある剣聖の墓域が見え,壊れた小さな五輪の塔の前に,緑色変成岩の板状の墓石がありました。
飯篠長威斎については,墓所の説明書きにある通りです。
流派の流れでいいますと,天真正自顕流善吉和尚,薩摩藩の示現流東郷重位,鹿島神流松本備前守,新当流塚原卜伝,林崎夢想流・・・,天然理心流近藤勇につづきます(「完全保存版 剣豪の流派」,宝島による)。
「完全保存版 剣豪の流派」(宝島)より
本ブログ記事(2021.8.30)「昭和の武蔵:国井善弥」は,松本備前守の鹿島神流の正統ですね。
おわり