茨城空港と芹沢鴨の生家

  2024.3.24(日)は所用があって,小美玉市にある茨城空港に行きました。
沖縄那覇,宮古島直行便がでているからです。なお,札幌,福岡,神戸,台北便もあります。我が福島空港からは札幌,大阪伊丹便しかなく,山を削って作った飛行場なので滑走路も駐車場も狭いのです。その点,茨城空港は広い台地に作ったので,駐車場も広くとれ,晴れ晴れとしていました。一寸見では福島空港より繁盛しているように見えました。残念です。
 航空自衛隊の百里基地と併設されていることから,基地から借用してきたファントム戦闘機をベースにした偵察機と要撃戦闘機の実機が展示されていました。

 

    

    茨城空港            

  

    空港内部

   

    奥:要撃戦闘機 手前:偵察機

       

       F4EJ改要撃戦闘機の説明

 

  

         広い駐車場

 帰りに丁度近くに新撰組初代局長芹沢鴨の実家があるので,立ち寄ってみました。
2004年のNHKの大河ドラマは「新撰組」が放映されました。あれから20年も経ちました。当時,三谷幸喜の斬新な脚本とSMAPの香取慎吾他若手の有望俳優を多数起用した,人気番組でした。芹沢鴨役は佐藤浩市さんでした。

 

        水戸派の新撰組隊士たち

 

これまで小説などでは芹沢鴨は悪逆非道で残忍なチャラクターで描かれていましたが,番組では不器用実直な田舎者として描かれ,好もしい描かれ方でした。評判が悪かった富裕商人に対する多額の金銭の押し借りも,守護職公認の行動でした。権力を握った方が描く敗者は,どれもこれも非道な悪人と描かれるようです。
 元々,浪士組は,文久三年(1863年)徳川家茂が和宮降下のため上洛を行う際,警護に当たる者を身分問わず市井から広く募ったものでした。幕府側に余るほどの武士がいるのに,なぜ市井から広く募る必要があったのか。そして,清河八郎という市井の浪人の提案が幕府の最上部で受け入れられたのか? とても疑問です。それも,武士の身分を問わないとか,犯罪の前歴があれば免罪する等という破格の好条件がついているから尚更です。
 これには色々諸説があります。清河が神田に開いた「清河塾」は,文武の最高の塾と目されていたこと,当時の状況が幕府内ばかりか諸藩内でも攘夷でもめていて,尊王か佐幕かに巻き込まれると幕閣さえ命の危険があることは,桜田門外の変で分かっていました。だから,幕府や各藩内から警護の士を出すことにためらいがあったことという説があります。打開するために,清河八郎と山岡鉄舟は幕府の政事総裁松平春嶽に「急務三策」建白書を提言し,受け入れたわけです。幕府としては,好条件で大勢採用し,いつかの時点で一斉に大量処分すれば,ことは簡単,と思ったのではないかというのです。
 たしかに,伝通院で募集された「犯罪は帳消しにする」という条件は,筑波山の天狗党反乱の幹部だった芹沢鴨にとって渡りに船だったでしょう。ほとんど事件の関与者はほぼ全員処刑されたのですから。

 

        案内図(20年前のもの)

 

      芹沢鴨生家(20年前の屋敷)

 

     芹沢鴨生家跡(現在)

     芹沢鴨生家(20年前の塀と左の石造りの蔵)

 

     芹沢鴨の生家跡(現在は塀の内側は撤去されて何もない)


 佐藤浩市さんが演じた芹沢鴨は,私にとっては好ましい人物像でした。そんな芹沢鴨の実家が茨城空港の近くにあるのです。放送後20年経っても当時の面影を観たくなるのは人情でしょう。


ところが,大河ドラマであれほど喧伝されていて,石造りの大きな蔵があった家屋敷は,今回ありませんでした。撤去されて外側の塀だけが残ったままでした。


あれから20年何があったのでしょうか? 残念です。
                                                              おわり