線文字Bの解読者:マイケル・ヴェントリス

 

 

              クノッスス宮殿(クレタ島,GoogleMap)

 
  今回,長々と文章を書いたのは,私が本ブログでシバシバ指摘していることですが,世の中には知られざる超二流の「地上の星(スター)」がいるということです。家庭環境から群を抜く優れた人でも,上級の学校に行けず,与えられた環境の中でも最善を盡している人がいるのを,我々は忘れてはいけない。そして,その一点に情熱を傾け成功している。超二流,恐るべしです。
 いわゆる専門家でも,分野の細分化や成果の秘密主義,権威主義,学閥,学者間の葛藤等から知識が他分野に近視的になりがちで,自身の研究実績を失うような飛躍的で大胆な仮説を構築することができないことも大きな原因と思われます。実績のない素人~超二流者には失うことがない分,大胆な仮説で研究をせめ続けることが出来るのではないか?

 その最も顕著な例の一つが,マイケル・ヴェントリスの線文字Bの解読の功績だと思うのです。線文字Bの解読は,1952~1953年という同じ時期に発見し,ノーベル賞を受賞したクリック&ワトソンのDNA構造に匹敵するともされています。

 

       

         文書を作成しているヴェントリス(参考文献)

 今からほんの200年前には,世界最古の言語はギリシャ語とラテン語とヘブライ語だとされていました。世界の歴史とは,記述された読める記録という意味では,紀元前6~4世紀頃(ソクラテスの時代)からやっと始まるものでした。それ以前はホメロスの詩で知られる伝説の神話の時代だった。だから,紀元前4世紀ごろの古典期ギリシャ以前のギリシャ語はなかったと考えられていたのです。
 シュリーマンが1870年にトロイ遺跡とミケナイ遺跡を発掘し,出土物から考古学的にトロイ遺跡は青銅器時代の紀元前3000年ごろ迄遡れる古代都市であることが分かった。しかし,残念ながらトロイ遺跡とミケナイ遺跡からは文字が出土しなかった。そして出土物は美術的に非ギリシャ的だったから,トロイは実在しない神話上の伝説都市と考えられたのです。
 その後1900年,考古学者エヴァンズがホメロスに詠われたクレタ島の中央部北側のクノッソスでミノス王の宮殿と粘土板に描かれた線文字AとBを発掘した。今日では線文字AはBより古く,紀元前1750~1450年ごろ,線文字Bはトロヤ戦争より2~3世紀古い1450年頃の文字とされています。エヴァンスは,線文字Bは粘土板の表面をひっかかいた原始的な文字で,楔形文字や後のギリシャ文字のアルファベットとも全く似ていなかったため,表意文字と解釈し,ギリシャ語のはずはないと信じた。そして出土した粘土板を独占し,公開しなかった。だから,エヴァンスの見解が通説となり,紀元前4世紀ごろの古典期ギリシャ以前のギリシャ語はなかったと考えられていました。

 線文字Bを解読して,実際には古いギリシャ語の方言であることを証明したのが,マイケル・ヴェントリスでした。エヴァンス死後約10年の1952~1953年のことです。1952年にクノッソスの粘土板が出版されるまでは,彼が利用できた素材はごくわずかでした。
いうまでもなく,それまで線文字Bが全く読めなかった。どんな言語が隠れているか,手掛かりになるものが全くなかった中,分析が続き,恐らくギリシャ語だ,としての解読法が提案された。1953年5月以降はギリシャ本土から得られた手つかずの素材で解読法の確認が行われ,成功したのである。2~3年で大方解読が確認できたというのが凄いです。その時期は,私が4~5歳の頃なので,つい最近(笑)のことなのです。
ただ,線文字Bが直接古典期のギリシャ語に繋がったわけではなく,異なる異民族の文化や言語に取り巻かれ,影響されて成立したのであろう。

  

          

           少年時代のヴェントリス(同)

 驚くのは,彼はプロの学者ではなく全くの素人だったということです。線文字Bの解読は少年時代からの趣味で,本業は(大学まで行かないが)優れた建築家でした。ただ,語学の才能が抜群で,10ケ国以上の言語を短期間でマスターして自在に駆使できる才能をもっていました。また,建築技術者が建物の外観から建物の間取り,更に家具の配置を見渡すようにして言語構造をみて,大胆な仮説を考え,検証できたようです。語学の才能はシュリーマンにも通じる才能ですね。そして,解読途中の結果を他人にすぐ説明できるように,文章と図を明確なドキュメント(以下文書)でまとめ,各国の専門家(考古学,金石学,文献学,言語学)へ手紙で公開し,解読の批評を求めたのです。この方法を彼は「国際協力による面白い実験」と言いました。こんな方法はプロの古典学者が思いつかないし,考えたとしても,ヨーロッパ全土やアメリカからくる回答を翻訳する語学力はなかった。それは学問的な行き詰まりを打開しようとする,ヴェントリスの私欲を離れた努力でした。
 この方法は,土木・建築が総合学であるための使われる方法です。現代のプロジェクトは,トップのスーパーゼネコンが専業中堅ゼネコン・コンサルタントを組織のピラミッドを構成したり(A),専業ゼネコンをチームとしてJV(ジョイントベンチャ―)を組んだり(B)します。ヴェントリスはBの方法で仲間と建築の仕事をしていたので,チームの仲間と同じセンスで実験送付したのでしょう。送られた方は,その内容が余りに先を行っているものだから理解できなかったり,専門家によっては,自分の成果を横取りされるかもしれないとの秘密主義や,一々アマチュアを相手の返信を拒絶した人もいました。

 

   

           (参考文献による)  


 ヴェントリスの解読法の詳細内容は,論文の原稿段階で書かれたことがあったようですが,(学問の飛躍的な大発展は往々にして細々とした論理ではなく)直感的な方法であったため,一般読者に分かるように,レベルを下げて合理的な説明にする必要がある,との共同研究者の強いアドヴァイスにより割愛したのだという。結果,線文字Bの解読法を論理的に割り出されたの説明することには成功していない。
彼は言う,「ヴェントリスは相手が口を開く前に何が言いたいか全部わかってしまう人で,いわばシャーロック・ホームズで,自分はワトソンの関係だった」と。
大切なのは方法ではなく結果だというのが,支持者の大方の意見でした。

 

       

           解読された線文字B(参考文献による)  

ヴェントリスにとって,幸運だったのは,優秀なアドヴァイサー・共同研究者(ケンブリッジ大学の言語学者チャドウィック講師)がいたことでした。解読結果の意味が分かる言語学者だったのです。線文字Bが古典期のギリシャ語に続くことや,言語学的な問題は彼が処理してくれました。訳語が辞書にない奇妙な語が出てきて,ギリシャ語として解釈できるか?というテーマに当たった時は,数多くの古代ギリシャ方言についての深い専門知識と日本語の「かな」を知っていたことで解決しました。「かな」はキプロス語(キプロス島で紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけて使用された,主にギリシア語を表記するための音節文字)ととてもよく似た文字というのです。例えば,Lにあたる文字がなくてrで発音し書かれるし,定冠詞はない・・・等々。


ここに,線文字B解読の合理的な説明に日本語が貢献していたということに私は驚きました。

マイケル・ヴェントリスは,自分にとって本当に面白かったのは線文字Bの謎解きであって,粘土板が何を語るかではなかった。そして,線文字Bに未来はない,自分としてはもう終わったと思っている,と言った。それは,オックスフォード大学から講義を頼まれても,自分の興味は言語構造の末梢的専門的な解読であって,考古学者,歴史学者,ホメロス学者のような広範囲の知識を持つ学者のほうが適任ではないか,と断っているからです。

解読を終えた2年後の1956年9月5日,退避車線に停車していたトラックに全速力で突っ込み即死した。
イギリス,ノーサンプシャ―,ウェルフォード村に彼の簡素な墓がある。


        マイケル・ヴェントリス
     ミノアノの線文字Bを
         初めてギリシャ語として
         読みし者
        1922-1956
 

私が小学校2年生の時でした。

 ギリシャ周辺の日本の(領海を含めた)国土くらいの狭い地域に多種の文字文化があり,その一つ粘土板に書かれた線文字Bが古典期ギリシャ語に引き継がれ,ギリシャ神話の世界が現実だったことがわかりました。我が国だって神話があり,多種多様な民族が渡来していたと言われています。我が国の神話の時代に文字がなかったのであろうか?
神武天皇の場合近畿で戦った神話が記紀という文書に残っており,地名比定も地形地質学的に確実なのであるが,その文書はどういう文字で何に書かれていたのであろうか? 神武以前の神話は弥生・縄文時代である。多種多量の渡来人が来ていて,土器が発達していたから粘土板はたやすく作れたはずです。だから多種の言語が何かの粘土板に残されていてよさそうだが,その報告はないし,文字など報告されていない。
奈良時代以前には木簡や一部土器からの漢字が発掘されているが,神代文字は当時何に記述されたのであろうか? 日本書紀に出てくる数種以上の一書の原本は何に書かれて,どんな文字だろうか,興味が深いものがある。
                                                                おわり

 

参考書:線文字Bを解読した男 アンドルー・ロビンソン著 片山陽子訳 創元社(2005)