『チェ・ゲバラ』を巡る中南米一人旅 
                                                 
本文は,福島県地質調査業協会だより投稿文(No.273,令和6年3月1日)に一部手を加えたものです。


 『チェ・ゲバラ』は,昭和30~40年代,左系の学生には英雄でした。ノンポリの私はあの汚い髭面を嫌っていました。ところが,JICAで派遣されたボリビア最南のタリハ市で,度重なる偶然にであい,ゲバラの足跡の地を訪ねることになったのです。


 タリハ市には「こんなところに日本人」に出て,現在ウユニのガイドをしている元JICA青年海外協力隊(JOCV)の友人O氏が住んでいました。その家は3階建で2階の部屋を借りており,私は時々夕食に訪れていました。3階の住人とはそこで挨拶を交わしていました。ある日O氏から緊急の電話がありました。午後看護学校でやる「ゲバラの講演会」を聞けというのです。訳を聞くと,1階の大家が言うには,3階の住人は実はゲバラ隊で唯一生き残った証人アルニ氏で,講演後タリハを離れるという。私は驚き,同じ職場のJOCVを連れて講演に駆け付けました。こんなチャンスは滅多になく,ゲバラの好き嫌いは言ってられません。写真①は講演後撮影したアルニ氏夫妻,O氏宅の大家(左端),私と同じ職場のJOCVです。

 

     写真① 左より,O氏宅の大家,私,アルニ氏,JOCV,奥さん
 

  ボリビア東部サンタクルス県(面積は日本とほぼ同じ)にはオキナワ移住地等の日本人移住地があります。2011年6月,南米各国の沖縄出身者が移住地に集まり,念願の国際エイサー大会が初めて開かれました。エイサーは江戸時代我が現いわき市能満寺の袋中上人が伝えた踊りです。その熱演をボリビアで観れるとは意外でした。移住地の真ん中には神社があり,親日家で「オキナワ移住地の父」ビクトル・パス大統領の銅像②が祀られてあります。パス氏は私の赴任地タリハ市の地主で,ボリビア経済を建て直した偉大な大統領です。私の派遣先の創立者でもあります。若きゲバラはキューバへ赴く2度目の旅の途次,わざわざラパスに立ち寄りました。尊敬するパス大統領が推進するボリビア革命を確かめるためでした。だから私の旅の始めを,タリハ市の共同墓地にあるパス大統領の墓参にしました。その時,案内の墓守女③が「大統領,日本人が来たよ」と手を振ってくれました。

 

写真② オキナワ移住地:ビクトル・パス像前にて

 


写真③ タリハ市共同墓地:手を振ってくれる墓守女

 

  タリハの私は士官学校を首席で卒業した退役将軍の屋敷に部屋を借りて住んでいました。将軍は私より数歳年上で茶目っ気の多い人物です。毎月部屋代を支払う私に直立不動の敬礼を呉れたのです。普通の人は恐れ多くも将軍からは敬礼されないので,当時の私は変な意味で特別でした。邸宅のホールには,ゲバラを捕えたレンジャー部隊の一際大きい盾を中心に,全部隊の盾が飾ってありました。ある時,近くのボリバール公園で,お前は日本人かと聞く中年男に会いました。自分はパス大統領の甥で,オキナワ移住地の人達が大統領に会いに来た時,接待したというのです。請われてすぐメル友になりましたが,その後億円単位の広い土地を買わないかというメールが頻繁に入るようになりました。怪しい男だったのです。だから,将軍に写真を見せ相談しました。本物だよ,奴は大食漢なので写真のように太っちょだ!と大笑いしました。彼はタリハ出身のもう一人の大統領ハイメ・パスの従弟でもあったのです。
 

 こんなに身近にゲバラ関連の人達がいるのに驚き,私は是非彼の地を訪れようと思いました。現地に行ってみると,ゲバラは実は喘息持ちで体が弱い真面目な男でした。学生時代親友と南米の貧乏旅行をして初めて,南米が抱える問題に目覚めたのを知りました。処刑されたイゲラ村の小学校に展示された若い頃の写真④は,世界各国の女性ファンの写真や手紙に囲まれ,後の怖い面影がありません。

 

写真④ サンタクルス県イゲラ村の小学校に展示されているゲバラの写真


  旅の最初の頃,無断で旅をして将軍の奥さんに怒られました。何日も留守にした部屋が暗く静かなので,もしや死んでいるかと心配した!と。後半キューバ行を将軍に話した時は,是非フィデルに会いに行け! 彼奴は面白い男だぞ~!と言われました。将軍みたいに友達ならいいけど,私みたいなケチな男は相手にされないよ,と冗談話を断りました。代わりにカストロの知られざる奇行の数々を教えてもらいました。そういう暖かい人達でした。

 

写真⑤ サンタクルス県バジェ・グランデ市の飛行場脇の埋葬地

 

 


写真⑥ キューバ サンタ・クララのゲバラ廟にて:中央ゲバラ立像,右「最後の手紙」

 

 最後に訪れたゲバラ廟には,ゲバラの立像の右に石造りの大きな「最後の手紙」⑥があります。その真下に埋葬地の穴⑤を模し,冷房でキンキンに冷した真暗い撮影禁止の部屋があります。一番下にスポットライトがあたるゲバラの一つ星(少佐,納骨箇所)があり,私は瞑目し,タリハでアルニ氏に会ってきたことを報告しました。

 

                                                                           おわり