西洋と東洋の「あべこべ」雑感

 ヨーロッパ人は二度日本を発見したと言われます。一度目はイエズス会,二度目は江戸末期の黒船です。「ヨーロッパ人が自然で当然であると考えているものと全く逆なやり方で,日本人は多くのことをあべこべにやる」と語ったのは,お雇い外国人の東大教授チェンバレンでした。しかし,それより以前に宣教師ルイス・フロイスが「日欧文化比較」で数多くの違いを指摘していました。「日欧文化比較」はチェンバレン死後11年目に発見されたので,チェンバレンが最初だと思われていたのです。
 チェンバレンはあべこべの例として,日本の女性は針に糸を通すのではなく,糸に針を通すことや,着物の上に針を走らせるのではなく,針をじっと持ったままで,着物を走らせる,と指摘しています。レヴィストロース「月の裏側」によると,西欧人が馬を左から乗るのに,日本の6世紀古墳時代の埴輪?では,右から乗っていた。陶工がロクロを廻すのに,ヨーロッパや中国と異なり,左足で蹴って廻すという例も挙げています。私が思うに芸術的な美についても,細緻をこれでもかと重ねて完全を追及する西欧と,無駄を出来るだけ省いて簡素な美,不完全な美を追及する日本で,同じではないか。

 中でも最も特徴的なものは,ヨーロッパや中国と異なり,日本人は鋸を引いて使う『鋸』でしょう。日本で鋸が登場するのは(鉄の伝来以降の)4世紀から5世紀頃といわれ,小型で長方形の鋸身のものが主流でした。古墳時代はまだ建築部材を加工するノコギリは使用されておらず,7世紀には少し大きめのノコギリが登場する。現在日本のノコギリは引き使いですが,中世に入ると歯道が湾曲した弧状のノコギリが主流になり,中世の絵画にもノコギリで部材を(横挽き)切断する職人の姿が描かれています。引き使いが定着したのは中世後半といわれる。縦挽が普及するのは,十四世紀に入ってきた押し切る汎用鋸も,百年後の十五世紀には日本式の引いて使う鋸が取って代わったという。ルイス・フロイスが見たのはこの頃になります。
 
  昨今,隣国が日本の技術は,彼の国々のもの真似だと非難する事例が増えている。しかしそうだろうか? 
 日本人は「ものまね」したものは,性能やデザイン,素材を改良したりして独創的に一変して,世界に貢献したものが多い。
  鋸に関していえば,その境界線は日本列島と大陸アジアの間であるという。伝来した当初は確かに押し刃だったものが,その後一時的に押し引き刃が共存して使われ,最終的に引き刃に全て変わられた。常識的に曲がりやすい線材や薄板材は,引き刃のほうが使い易く,ルーツの西洋が変え得なかった使い方を合理的に変えたのです。戦後,中国でもノコギリが引きに変わったという。
 それは,伝来した漢文を訓読み(日本語読み)して理解し,幕末に新しい日本式漢字や熟語,科学用語を発明し,今度はそれを大陸に輸出したのと同じです。だから現在中国人が使っている漢字の70%近くは和製漢字で,和製漢字がなければ中国会話が成り立たないという。

 

           

  女性用立ち小用便器「サニスタンド」(TOTOミュージアムより)

 ユーラシア大陸内でも,そういうことがなかったのか?
ギリシャの地理学者ヘロドトスは言っています。「エジプト人は,・・・ほとんどあらゆる点で他民族とは正反対の風俗習慣を持つ。例えば女は市場に出て商いをするのに,男は家にいて機織りをする。機を織るにも他国では緯(横糸)下から上へ押上げて折るのに,エジプト人は上から下へ押す。・・小便を女は立ってし,男はしゃがんでする」と指摘した。私は,最後の小用に対し特に興味をもった。そして日本はどちらの大陸に近いか少し調べてみた。
 平安時代は十二単を着たまま小用の容器の中で用を足したのが,江戸時代に下るに従い立ったまま用足ししたことを知った。私の祖母の時代,福島県の田舎では立って用を足した人がいたという。さらに我が国の戦後,TOTOから女性の立小用の容器が販売された,という驚きの事実を知った。そして,最近,男もシャガンデ小用を足すことが多くなった。これ,我々は古代エジプトのようではないか?
 ヘロドトス,フロイス,チェンバレンにとって,異なる文明のあべこべにに向き合った時,一方が一方を劣った文明と判断したのではなく,対称な文明という見方をした。だから,十九世紀半ばに西洋は,日本が示した美的,詩的感性の形式の内に自らを再発見する思いを抱いた,というのです。
                                                                 おわり