令和元年台風19号の堤防決壊

 その時,私はモスクワ空港のロビーのベンチでゴロ寝の寒い一夜を過していました。
令和元年10月の大型台風19号が成田空港を直撃し,空港が使えなくなったのです。台風は海岸線をさらに北上し,東北南部のいわき市も直撃しました。阿武隈山地の奥地を源とする夏井川が氾濫して9ケ所で堤防が決壊し,高さ3m以上の洪水がいわき市の中心街平地区を襲いました。下流の浸水域は約1210haで,8名の死傷者と広範囲の家屋の流出がありました。決壊箇所のうち図1の④は,昔炭坑の陥没事故があったの鉱区内にあったため,炭坑の陥没による原因が疑われていました。その原因調査を県から委託されたのです。調査結果は県の許可を得て,福島県地質調査業協会「創立50周年記念誌」の短報に投稿しました。

 

 図1 令和元年台風19号 夏井川の堤防決壊箇所(福島県HP)

 

  写真1 夏井川と堤防決壊箇所④

 

       写真2 決壊箇所④の空中写真 (堀江工業(株)提供)

【調査計画】
 決壊が炭坑の陥没ならば,復旧対策が大規模になり困難となります。だから原因の追及は納得いく迄の検討が必要です。決壊跡地には地面に大きな穴が残され,通常の堤防決壊のような形をしていません。穴にはニセアカシアの大木が倒れ込み,応急復旧を担当した建設会社の担当者によると,大量の土砂を投入しても次々に穴に吸い込まれたというのです。
 決壊直後の上空写真(写真2)をみると堤防箇所の地形は,川表側は水面から3m程の高い高水敷で真竹林と雑木が生い茂り,洪水時の通水能力が大きく阻害されて,河川水位が上昇していたことが見てとれます。堤防の土質は砂質土で,高さが3.5m程,破壊を免れた堤防上にはニセアカシアが生えていました。堤防の川裏側は幅40m位の荒地で洪水による土砂流出の流水跡が残され,間の排水路を超えて土砂は田圃の縁迄及んでいました。

 

   図2 炭鉱陥没の模式図


 堤防決壊の原因がもし炭坑の陥没だとすると,何かの原因で陥没が最初に起きて,そこに元々あった植生や,乱れてルーズな崩壊土砂が落ち込んでいると考えられたので,穴底の地質が分かれば陥没の有無が判断できます。反対に陥没でないなら周囲の土質と地質が繋がっていなければなりません。また,陥没は炭層の採掘跡の空洞崩壊で生じます。地下深く広い範囲で起きた陥没ならば,地表の穴も広域になるし,陥没範囲が小さい場合は地表に達しないので,当時の稼行炭層の深さも問題になります。このことから,川表側に岩盤中の石炭層確認を目的の深い鉛直ボーリングと,同じ位置から穴の底の土質を知る斜め方向のボーリングを計画しました。さらに,稼行炭層の深度を調べるため既往ボーリング柱状図や,坑道配置,昔の坑道陥没事故の新聞記事等の資料調査,岩盤の地質踏査,決壊周辺の地表踏査を実施しました。

 

  図3 既往資料調査による坑道位置と決壊箇所(図では被災箇所)

     △は新期炭層探査中の陥没事故現場

     稼行石炭層はN60E10Sの走向傾斜を示す。

     坑道配置図と柱状図は,須貝・松井(1957)

      :常磐炭田地質図ならびに説明書による。

【調査結果】
(1)ボーリング結果(図4)
 ①穴の底の地盤:陥没による木片や草等の有機物を含む土砂が発見されず,
  地盤は乱れていない自然地盤で,鉛直ボーリングと連続する地盤が確認されました。
 ②河床堆積物:砂礫層,砂層,シルト層からなり,厚さは約25m弱で岩着。
 ③地下水位:夏井川の水位と連動していました。
 ④鉛直ボーリングで,岩盤に約40㎝の石炭層が現れた。この石炭層は薄いので稼働石
  炭層ではなく,また,空洞ではないために,陥没の原因にはなり得ない。

   図4 ボーリング調査結果(基盤の表層に約40㎝の石炭層確認)

      河川堆積物の厚さは約25mの薄いシルトを挟在する砂礫,砂層

(2)岩盤の地質踏査と資料調査結果
  最下部に厚い石炭層を挟む基盤の硬質の石城砂岩層はNE-SW方向の走向で南側に10度程度傾いていました(図3)。炭坑の既往柱状図(図3の右図)から,鉛直ボーリング位置の稼行炭層は河床堆積物の最下部から90~100m(地表から115~125m下)と深い位置にあり,地表の陥没を齎すような浅所陥没原因とはならないことが確認されました。
なお,鉛直ボーリングの稼行炭層の深さについては,石炭層探査中の事故(図3の△)が地表から40mだったことと地表踏査で確認される傾斜から同定できる。

(3)陥没穴周辺の地表踏査結果
  ①川表側の壁面の高水敷より約2.2m付近に複数のパイピング穴が見つかった。
  ②更に3.2m下に現れた穴の底は細粒礫の自然地盤で,地下水の通った褐色に汚染
  された水みちが確認された。
 ③川裏側の荒地に,真ん中に砂が噴出した円形の砂地が複数見つかった。

  

写真3 パイピングの位置    写真4 パイピング

 

    
写真5 自然地盤の褐色水みち  写真6 円形の砂噴出箇所

【検証】
 以上から,堤防決壊は坑道の陥没が原因ではなく,夏井川の水位が高水位敷の植生のため河積が阻害されて急に上昇し,これがパーピングによる堤防破壊となったと推定された。しかし,そういう現象が本当に起きたか,砂層のクイックサンド公式により可能性を検証した(図5)。自然地盤の砂層の間隙比eを複数想定し,川裏側でパイピング深さ2.2mの土荷重が川の水位を抑えることができる水位zを計算した(表1のゴシック数字)に求めた。結果,河川水の水位が高水敷より2.5m(即ち堤頂の高さ付近)を越すと,後背地の砂層にパイピングが生じることが分かった。

 

 

    図5 クイックサンドの式

    表1 計算結果


【採られた対策】
  対策工法として,堤体の決壊区間では,部堤体表面のコンクリートブロックによる浸食防止,堤体下部の鋼矢板による地下水侵入防止の対策が行われた。決壊区間の上下流にあり,同じような自然地盤の土質構造をもつ長い流域区間においては,夏井川の水位上昇を抑えるため,河積拡幅(植生除去,河床・高水敷の掘削)が採られた。なお。一部堤体,川裏側の盛土による土圧増強も行われたようである。
 写真7は施工完了である。写真のコンクリート部分は決壊箇所である。

 

写真7 施工結果

    堤体対策(白い部分)と河積増対策(植生除去,高水敷・河床掘削)


                                                              おわり