フランシスコ・ザビエルの苦悩か?

 NYタイムズで「2024年に世界で行きたい観光地」の第2位に「山口市」が選ばれました。確かに山口は雰囲気のある良い街です。瑠璃光寺五重塔などの歴史的建造物やすてきなカフェ,湯田温泉もある。しかし,当の山口市民自身は戸惑っている様子が報道されました。日本旅行と言えば東京,京都,大阪,福岡,札幌,広島・・という人気の地の訪問を終えた外国人が,2巡目に地方の小都市や田舎に目を付けたという意味だったのかもしれません。
 とはいえ,山口はフランシスコ・ザビエルが主に布教を行った(1550~1552年)由緒ある古都であり,「日本で初めてクリスマスが祝われた町」であることも重要に思えます。毎年12月には山口市内で多彩なイベントが開催されているそうです。
 現安芸高田市吉田にある郡山城の毛利元就は,山口の大内氏と東出雲の尼子氏の間に挟まれ,大内氏に臣従する国人衆でした。1552年の大内義隆が陶氏の反乱で滅亡後の1555年10月16日,主家の弔い合戦”厳島の戦い”で,陶晴賢を滅ぼします。その時代はフランシスコ・ザビエルが山口で活躍した時代に重なるのです。義隆はザビエルの講義を聞いたといいますので,元就はザビエルに会っていたかもしれませんね。

 

              

   フランシスコ・ザビエル(十字架の上の字は ”INRI”)

            

           フランシスコ・ザビエルのサイン
 

 私はザビエルが単なるイエズス会の一宣教師と誤解していたのですが,貴族でパリ大学神学部卒,哲学修士でインド管区長という,言ってみればイエズス会でも広い教区を任されたトップ宣教師で,何人もの宣教師に対し様々な命令を発することが出来た人でした。ザビエルの書簡集を見ると,イエズス会の人事や推薦,駄目な会員は退会させることが頻繁に出てきます。


 私は,仏教の毛利家が元就墓前祭を神道で行い,奇兵隊が招魂社を神様で行う等,水戸学の影響ありや無しやに興味があったのです(2022.5.3長州藩って神葬祭だけ?)。これに毛利元就がザビエルに逢っていたか?という観点から,仏教ー神道ーキリスト教の関係に興味をもちました。


 江戸時代,我が奥州泉藩は水戸藩の隣にあって水戸学の強い影響をうけ,明治になって廃仏毀釈を行いました。だから,旧藩内の人たちは生まれた時から意識しないで冠婚葬祭を執り行ってもらっていました。ところが川向うの隣町天領小名浜は仏教でした。小名浜にあった工場の社宅に住んでいた家内の親は,泉に引っ越して来た途端,神道の方が経済的(金がかからない)と言って仏教(曹洞宗)を捨て,鞍替えしました。逆に私の叔父(父の弟)は,叔母の実家のある小名浜に引っ越して神道を捨て,将軍家綱朱印状をもつ臨済宗の寺(禅長寺)に鞍替えし,檀家の世話役をしていました。当時父方の長老から叔父は何かと鞍替えを詰られていました。ところがその娘(従妹)はキリスト教で洗礼を受け,夫は牧師,子供も牧師です。だから一昨年12月の叔母の家族葬は不思議な葬式でした。喪主の従弟は曹洞宗,従妹はキリスト教,私は(無)神道でした。住職の読経の中,神道の私は仏教に合わせて焼香しましたが,キリスト教の従妹は生花一輪でした。

 そんな訳で,私は宗教が分からない半端者なのですが,知識としての興味はあるのです。昔の日本人はキリスト教にどんな反応したのだろうか? 領主の大内義隆はキリスト教に理解を示したが,仏教に対する先祖代々のお布施が無効果になるからと,仏教信仰を捨てることをしませんでした。それは,ザビエルの書簡集に記録されています。江戸時代の毛利家が仏教信仰なので毛利元就も捨てなかったでしょう。

では,民衆はどうだったか?

河野純徳訳「聖フランシスコ・ザビエル全書簡」(平凡社)の書簡96 ヨーロッパのイエズス会員にあてて (1552年1月29日)に書かれています。以下に状況を要約引用してみましょう。

 ザビエルは亡くなる10か月前の書簡96で,

日本から帰国した際,肉体的には大変元気だが,白髪で覆われ,精根は尽き果ててしまった』と告白しています。

なぜか? 

 ザビエルは,イエズス会に対し,日本に派遣するべき宣教師は,第一に学識のある人でなければ駄目,第二に危険を何度も乗り超えてきた経験のあるタフな宣教師でないと駄目,と何度も何度も繰り返し要請しています。それは逆に考えると,天地の創造,太陽,月,星,天,地,海,その他全てのものの創造について鋭い質問をする日本人を説得できるのは,この両者の条件をもつ宣教師でないとできないと言っているのです。

直接日本人に接したザビエルは,日本人が深く鋭い質問をすることを身に沁みて経験し,説得に苦労したからだと思われます。書簡にはこの質問の具体的な内容と,ザビエルがこれに腑に落ちる十分な説明が出来なかったことが書かれています。勿論私の勝手な解釈ですが,イエズス会本部に対し,組織人で下位者の報告の(歯切れの悪い)ニュアンスが感じられるのです。後で述べる問答の下線部です。

その具体的な問答は書簡96にあり,次の通りです。

 

ザビエルの認識:日本人達は(仏教の)聖人と仰ぐ人たちの教えの中に,創造主について述べられていなかったから,これら全てのものには始めがなかったのだと思っています。

そして,キリスト教では霊魂はそれを創造した造り主がいるのだというと深い感銘を受けていました。

日本人の問(以下問):しかし,日本人達は,創造主は善であったか悪であったか?

ザビエルの答(以下答):唯一つの創造者であって,それは善であると答えた。

問:すると彼等は悪魔がいること,悪魔は人類の敵であるのに,もしも神が善であるならば,こんなに悪い者どもを造るはずがないではないかと言ってきた。

答:それに対し,神は善を作ったのだが彼等が勝手に悪くなったので,神は彼等を懲らしめ,終わりにない罰を科すのであると答えた。

問:神がそれほど残酷な罰を科すならば,情け深いものではない。そして,もし神が人類を造ったというのが真実ならば,それほど悪い悪魔が人間を悪に誘うことを知って居ながら,どうして悪魔の存在を許すのか? 神が人類を創造したのは,神に奉仕するためだから,悪魔の存在を許すのは矛盾であると彼等は言う。また,もしも神が善であるとするならば,人間をこんなにも弱く,また罪に陥りやすく創造しないで,少しも悪がない状態に創造したに違いないではないか。神はこれほど酷い地獄を作り,地獄に行く者は永遠にそこにいなければならないのだから,慈悲の心を持つ者でなく,したがって万物の起源である神を善であると認めることはできない。また,もしも神が善であるならば,これ程遵守しがたい十戒を命じなかったであろう。神の聖教えでは地獄に陥った者には何の救いもないのは大変な無慈悲なことで,神の聖教よりも仏教の方がずっと慈悲が富んでいると言った。

答:ザビエルはこれらは神の御助けによって罪の償いができると説明した。

が,日本人は理性に従う人々であり,今まであった未信者には決して見られなかったことだと思ったという。

 

神の全善について山口の人達の疑念は次のようでした。
ザビエルたちが日本に行くまで日本人に神のことを御示しにならなかったのだから,神は慈悲深くはないと言った。もし神を礼拝しない人がすべて地獄へ行くということが本当ならば,神は日本人の祖先たちに慈悲心を持っていなかったことになります。祖先たちに神についての知識を与えず,彼等が地獄へ行くに任せていたのではないか,と。


これは神を礼拝しなくなる危険をはらむ大きな疑念で危険だとザビエルは感じた。

そして次のことを話して疑念を解いたという。

中国から日本へ仏教が渡来する以前から,日本人には人を殺すこと,盗むこと,偽りの証言をすること,その他十戒に背く行いが悪いことであることを知っていたし,行ったことが悪いことであるとして,良心の責めを感じていた。これは全人類の創造主の掟を誰からも教えられずに知っていたからだ,と。

それは山の中で育てられ,仏教の教えも知らず,読み書きを知らない人でも,先程の十戒めに背くことをすれば罪になるかどうか,もし順守すれば善であるかどうかを尋ねてみればわかると説明した。

もしも少しでも分別のある人ならばなおさらで,法律が書き記される以前に神の掟があって,人々の心の中に刻まれていたのだ,と。
 

 ザビエルたち宣教師はキリスト教では地獄に落ちた人は救いようがないというと,日本人の信者たちは深く悲しみます。亡くなった父や母,妻,子,そして他のひとたちへの愛情のために,彼等に対する敬虔な心情から深い悲しみを感じるのです。多くの人は死者のために涙を流し,布施とか祈祷とかで救うことが出来ないのかと私に尋ねます。

 

私(ザビエルのこと)は彼らに助ける方法は何もないのだと答えます。
彼等はこのことについて悲嘆にくれますが,私はそれを悲しんでいるよりもむしろ,自分自身の内心の生活に怠ることなく気を配って,祖先たちとともに苦しみの罰を受けないようにすべきと思っています。彼等は神がなぜ地獄にいる人を救うことが出来ないのか,そしてなぜ地獄にいつまでもいなければならないのかと,私に尋ねます。私はこれらすべての質問に十分に答えます。彼等は自分たちの祖先が救われないことがわかると泣くのをやめません。私もまた地獄に落ちたっ人に救いがないことで涙を流している親愛な友人を見ると,悲しみの情をそそられます。

私(ENDO)は上の下線部について,キリスト教からの説明になっていないと思う。だって,仏教はキリスト教より前に伝来したのに,仏教伝来以前から日本人は善を知っていたとは,即ち,善は何もキリスト教に教えられたものではないことを示しているではないか!

さらに言えば,仏教と同じ古い時代に伝来したネストリウス派のキリスト教は,広まっていないではないか。
 

以上から,室町時代の山口の信者になった人達の深い理性と,それでもなお,心の奥から納得できない心情が分かる気がします。宗教に対する当時の人たちの深い洞察に対し,私など現在の自分の考えの浅薄さに,大いに恥ずかしさを感じた次第です。

そして,縄文時代以来祖先や身近な人達の墓をストーンサークル内に造り続け,一緒に生きてきた文化がずっと続いていたのではないかと感じます。
                                                                      おわり