性能と信頼性について(3):疾風整備士官の証言

 前回(2)は陸軍の戦闘機「疾風」の試作段階から量産機までの(良し悪しの)評価について述べました。一般的に「疾風」のエンジンと機体の設計と試作に直接関わった人たちは,黙して語らずでした。終戦後,舞台は自動車(や新幹線)産業に変わったけれど,その方面でそれぞれが大いに活躍しました。
 機体の主任設計者がぽつりと語った。
『「疾風」が日本における最優秀機と評価されたということを聴いていたが,多くの散華された方々を想う時,疾風のことはそっとしておいてやりたい気持ちが,私達には強かった』と。

 

          

                         陸軍 疾風戦闘機

 


 しかし,一線で疾風を支えたベテラン整備士官は量産機について,別な見方を持っていました。
 優秀な性能を持っている飛行機でも,地上にあっては無用の長物で,当然であるが,飛ぶこと,飛べる状態にあることが,その実力を発揮しうる第一です。飛べない存在は厄介な存在となり,戦力としてはマイナスになるのである。その第一条件をも満足させ得なかった実例がいかに多かったか。これでは,全力を挙げて生産に従事し成果があがっても,宝の持ち腐れであり,大いなる浪費と考える。
 その原因は広くかつ深い。
  大にしては,日本の技術力の底の浅さであり,これに加えて熟練工を一般兵科に募集し,製造には学徒,あるいは徴用工が主力とならなければならないような行政の不手際,小にしては,部隊における整備力の不十分等である。根本的な原因は,まず性能を第一義とし,信頼性,取扱性を第二とした当時の技術行政および,一般の風潮の罪に帰せなければならない。

では,軍航空機の性能と信頼は,どちらを選択すべきなのか。
戦争相手国の状況,軍事目標,作戦,開発性能を探り,それを見抜いて先手あるいは互角に対応しなければならない発注者の技術責任者であるが,そういう戦略眼のある人はいなかった。だからといって,最初から相手国より下の性能では,いくら信頼性が高くても,航空兵の損失を増大させ,ジリ貧となるのではないか,と私は思います。彼の第二義というのは,少なくても性能は同等という意味だと思うが,間違っているだろうか?
 戦闘機開発では性能の良い「試作機」という言葉に世間は多大なロマンを感じると思います。異常な性能をもって,戦局を一変させるほどの発揮する機械に皆あこがれますが,本当に世界を変える機械というのは大量に作られ,所定のスペックが保証され,誰でも扱えるものではなくてはいけない。そして,ある程度乱暴にでも簡単に扱え,万一壊れても次があるという冗長性こそが大事である。それを整備士官は言っているのだと思う。
 疾風の場合,量産機段階になって,試作のスペックがダウンされた,という。それも,燃料や材料のスペックダウン等,根本からの設計し直し事態です。
だから,何度も手直ししたエンジンは無理が現れた製造だったようです。
では,具体的にどうするか。
  かの整備士官は,八方ふさがりの環境で出来ることは,熟練整備士を緊急に養成して,整備に当たるというのです。
 実際に成増にあった疾風部隊の稼働率は米国の99~100%を目標とし,100%(複数部隊からなる戦隊の稼働率は87%)だった。完全無欠の量産機が欲しいと駄々をこねても果たされないのは分っている。それなら,各自自分の整備技術を向上させて,その欠点をカバーしなければならないのではないか! 少なくても命を預かる整備兵なら。
当時の一般部隊では稼働率が,良好な所で40%,悪い所で20~0となっていた。だから,緊急に各隊の整備隊長の教育を成増の飛行部隊で実施した。しかし,整備隊長は自分よりの階級者ばかりで整備技術向上は期待が持てなかった。一般に疾風は飛ばないと定説のように宣伝されていたが,それは整備隊長の怠慢であり,責任逃れの言に過ぎない。
 実際に教育部隊の稼働率は100%だったのだから,完全無欠の飛行機が欲しいと駄々をこねても果たされないのは分っているなら,自分の整備技術を向上させて,その欠点をカバーしなければならないのではないか! 勿論一朝一夕で稼働率を100%にする練度に到達するのは至難なことはわかっている。
 疾風のエンジンは,燃料とオイルだけ入れれば準備が完了する「隼」のような「百姓エンジン」では無い。疾風のエンジンは信頼性の無理が表面に出がちであるので,隼のようにはいかない。しかし,相手は機械であることには変わりがない。適当な取扱い,整備により,十分その性能を発揮して,戦闘の要求に応え得るのである。

整備の神様と言われた中尉の言葉です。
                                                            おわり