東日流(内外)三郡誌の真偽(2):英国からの手紙

 私は高校時代「日本史・世界史」が大嫌いでした。あの年代と歴史的事件・事項の丸暗記が身にコタエたからです。歴史的な事件の存在,通説,真相。様々な学説があるので,受験用にとりあえず通説を覚えろと。これでは興味が湧くも何もありません。だから受験は地理学を選びました。空想の旅行・物見遊山・探検が出来るからです。
 東日流(内外)三郡誌のような前代未聞の話は,真偽論争があって当たり前です。東日流外三郡誌に「紅毛人聞取世界史」という一文があります,そこには寛政5年8月17日長崎出島にて,英人史学教師エドワード・トマスの博物学あるいは自然史の講義を彼から直接秋田孝季(たかすえ)が,李慶民通訳で和田長三郎が聞いたとあります。その博物学は,たとえば,『進化論』や『ビッグ・バーン』の講義だった等という自体が大きな驚きです。

 

            

                            天地創造

    

            進化論

     

          ビッグ・バン


我々視聴者はまず本当か~!?と疑い,自分のわずかな知識で考えてみます。それで理解できないと,どちらの主張が合理的かを知ろうとします。日本の "専門家”だけの内輪の論争だけでは限界があり,ここは,本場の専門家の意見を聞く必要があると考えた『古田史学の会会員』が『エラズマス・ダーウィンの進化論』の著者である英国科学史委員会の会長で物理学者のキング-ヘレ氏に,書簡を送り,意見を求めたのです。それは,秋田孝季等が聴いた『進化論』が時代的にチャールズ・ダーウィンの『進化論』より,祖父エラズマス・ダーウィンの『進化論』が対応していると考えたのと,『東日流外三郡誌』に書かれている「進化」が生物の始まりを海中の見えない菌に求めているのは,後者の説であったからです。詳しくは,『新・古代学 第一集(P.90-95) 』を参照願いたい。

【往信】
デズモンド・G・キング-ヘレ博士殿
 貴殿がErasmus Darwinについて研究されていることを,著書『DOCTOR OF EVOLUTION 』で知り,大変感動しました。実は十八世紀末の日本に,Erasmusの理論が紹介されていたのではないかと思われる文献が,1986年に日本で刊行されています。書名を「TUGARU 6GUNSI TAIYOU」と言います。1790年頃に書かれたという本です。「TUGARU」は日本の東北地方の古い呼び名です。著名は「TUGARUにあった六つの郡の歴史の概要」という意味です。
 現在日本では,この本は後世に作られた偽書であるとされています。なぜなら,本の中で「Darwin」の説と紹介されている「進化論」や「宇宙の創成」に関する説が非常に現代的であり,Erasmusの説とは考えられない。孫の有名なチャールズ・ダーウィン以後の説であり,そうであれば,「十八世紀末に書かれた」というのはおかしい,という理由です。
日本のある研究者は偽書である理由を次のように述べています。
(1)本の中で宇宙が始まった年代を「1兆憶年」,星座の大分裂を「二百億年」などと書いているが,少なくとも十八世紀のヨーロッパではこんな数字は語られていない。フランスのビュフォンが「30万年以前」という数字を出している位だ。
(2)人間が祖猿獣から進化していくプロセスを絵で表わしているが,Erasmusの時期は人間の祖先は巨人であると考えられていた。原人という概念はなかった。
(3)宇宙の爆発についてはErasmusは,本の解説や絵のようなハッキリした考えは持っていなかった。
(4)「オランダのボナパルト」が講義したというが,Erasmusuのグループはイギリスの田舎の小さなグループであり,オランダ人が彼の考えを理解したり,外へ伝えたりしたとは考えられない。

以上のような理由から,この本が18世紀末に書かれたというのは嘘であると言います。
私はこの本を他の記載から見て,偽書ではない,と思っています。ただ,18世紀末に書かれた原本は現在公表されておらず,現在公表されているのは1900年頃から1930年代にかけて書写されたものです。書写する段階で,あるいは新しい理論で書いたものを挿入した可能性もないことはないかもしれないと,迷っています。
貴殿の研究でその辺のことがはっきり出来ないか,と考えて,手紙を書きました。
もし,Erasmusの理論が,当時鎖国をしていた日本に,18世紀末に伝えられていたならどんなにか素晴らしいことでしょう(本に書かれている「長崎」は当時の日本で唯一外国に開かれていた港です)。
 該当箇所のコピーと英訳したものを送ります。お手数をかけますが,本に書かれていることが「Erasmusuの理論」と考えてよいなら,そして,日本の研究者が言っていることが正しいものかどうかを,教えて下さい。コピーなど証拠を添えて教えて頂ければ幸いです。Erasmusの理論と考えてよいということでしたら,ビッグニュースになると考えています。よろしくお願いします。

【返信】
  2月20日付けの貴方のお手紙と,エラズマス・ダーウィンに関する私の本についての貴方の親切なお言葉に対して感謝しています。
 貴方のご質問についてお答えします。エラズマス・ダーウィンの進化に関する思想(ideas)が「TUGARU・・」という本に用いられていたということは可能ですが,あまりありそうに思えぬことです(I think it is possible,but not very likely)。
エラズマス・ダーウィンの思想について申しますと,私達が現在それを読んでいるような,生物学的進化に関する思想は(その名前〈that name〉)は,1790年代(in the 1790S)にはその意味で使われていなかったのですけれど),1794年に出版された彼の本「ズーノミア」において始められました。
それはその本の巻の1の39節(482~537頁)にあります。また,私の本の第二章(日本語版の380~386頁)で論じています。
私はここで明確に回答を提起することはできませんけれども,貴方が貴方のお手紙に引用されていること,すなわち日本の学者によって提起されている諸理由が間違っていること,それは確実に申し上げることができます。
(1)エラズマス・ダーウィンは,生命の進化にたいして "millions of ages" という,時の物差しに言及しています。もし一つの "age" が 100年であるならば,「1億年」(hundreds of millions of years )を意味しています。そして地球それ自身は,なおそれより古いことでしょう。これは「ズーノミア」(第一巻509頁)にあります。これは私の本(384頁近辺)に引用しています。
(2)エラズマス・ダーウィンは,魚類や爬虫類や両生類を経て,「人間的動物」(the human animal)に至る進化を彼の詩「自然の神殿」(The Temple of Nature,1803)において描写しました(私の本の454~469頁参照)。
彼が人間を猿から由来したものと見ていたことは,一般に周知のところでした。そして彼はこの問題に大変熱中しました。たとえば,私が私の本の中で言及した「三角関係の愛」(The Loves of the Triangles,414頁近辺)などもそうです。
(3)エラズマス・ダーウィンは,宇宙の創造を,飛散する物質によって,ハッキリと描写しました。それは現代に於いて天文学者が信じている「ビッグ・バン」のようなものでした。私の本の336~338頁とエラズマス・ダーウィンの「植物の秩序」(Economy of Vegitation)の第1編97-112行をご覧ください。
(4)エラズマス・ダーウィンの仕事(著作)は,ヨーロッパ全体に大変よく知られていました。そして彼はゲーテに影響を与えました。「ズーノミア」は,1795~1797年においてドイツ語に翻訳されました。そして後にイタリア語やフランス語に訳されました。私の本の533頁をご覧ください。
 私はこれが何らかのお役に立つことを望んでいます。
もし貴方が私の辞をお読みに出来なければ,私はこの手紙をタイプにしましょう。しかし,手書きは何一つコストがかかりません!
                              真心をこめて (敬白)  デズモンド・キング-ヘレ
                              
以上の書簡から見るに,秋田孝季が受けた講義の寛政5年は1793年に当たり,1794年に出版された彼の本「ズーノミア」の1年前に当たります。そのことが 往信の中の”進化論”』の語句の使い方や,出版前に講義を聞いたということに歯切れの悪い返信になっているように見えます。

  ここに,吉原賢二先生という方がおられます。新潟県出身で福島県いわき市に住でいましたが,昨年2022.11.27に亡くなりました。放射線化学のホットアトム化学と呼ばれる領域では国際的にも有名な東北大理学部化学科の元教授です。越後弥彦神社の元総代。
定年退職後では,東北大学の元総長小川正孝が明治41年(1908年)に発見報告したもののその後顧みられなくなっていた,新元素ニッポニウムの実在を突き止め,それが現在でいうレニウムであったことを立証し,2008年(平成20年)化学史学会学術賞を受賞したなど,科学史についても大きな功績を挙げています。
 福島原発事故の際,放射能で動揺するいわき市民に対し,専門の放射能化学からみて,人体に与える線量の閾値から現状では安全であることを話されて,動揺を鎮めた方でもあります。
彼の東日流内外三郡誌に関する科学史的記述の考察を挙げています。以下,コメント付きで主要部を編集転載。
最近(2010年当時)では偽書説が勢力を伸ばし,インターネットのウィキペディアまでが偽書説に軍配をあげたようにように見える。すなわちこの古文書は100%現代人の和田喜三郎氏が捏造したというのである。しかし,寛政原本の電子顕微鏡写真による日本国際文化センターの笠谷教授の鑑定によると,江戸期のものと確認したという。偽書派の原田実氏は異議を唱えているが,古田武彦・竹田郁子『東日流(内外)三郡誌』(2008)に掲載された写真を見れば,偽書とすることは無理があると見える。
 秋田孝季の経歴の詳しいことは分っていない。生まれは長崎で父はロシア語通詞だったが,早く亡くなり,母子は秋田に帰ったという。母は(秋田藩時代後の)三春藩主秋田千季に見出され,その側室のような立場になり,子の孝季はその利発さで愛でられたためか,準養子のように遇せられたらしい。秋田千季は孝季に焼失した秋田家の歴史を調査するよう依頼した。孝季はそれにしたがって日本中の諸国行脚をしたという。長崎に行ったのは恐らく(秋田家の先祖)安東水軍の調査が念頭にあったためであろう。しかしここでオランダ商館に来ていた紅毛人(西洋人)に接し,その進んだ文化・文明に驚異の念を持ち,記録を残すに至った。
 記録によれば,寛政5年8月から長崎で36日間,英人史学教師エドワード・トマスの博物学あるいは自然史の講義を聞いた(Ⅰ巻227-228頁,Ⅳ巻538-545頁,Ⅵ巻27-30頁)。
それは宇宙の始まりから生物の進化にいたる壮大なものであった。日本が中国文化圏にあった長い期間こんな話は誰からも聞かれなかった。それだけに孝季の感動が紙背に感じられるのである。なお講義については寛政7年(1795年)孝季がオランダ人神父から聴いたという記録もある(Ⅳ巻470頁)
 英人エドワード・トマスは肥前長崎出島来船駐在公司とある(Ⅵ巻28頁)他は記載がない。しかし周囲から相当尊重されていたらしいことは,和田長三郎が「大学御影」と記していることから推察される(Ⅵ巻28頁)。
『東日流外三郡誌』の記事には,ヨーロッパの博物学者の名が何人か出てくる。ダーウィンの名が出てくるが,『種の起源』で有名なチャールズ・ダーウィンでなく,その祖父のエラズマス・ダーウィン(1731-1802 )である。彼は医師,自然史学者,生理学者,奴隷廃止論者,発明家,詩人など多彩な顔を持つ人であった。彼はルナー・ソサイエティ(月の会)という会を始めたことで知られる。ルナー・ソサイエティは,科学者,教育者,実業家などの情報交換の場となり成果を挙げたと言われる。ダーウィンの他,蒸気機関のワット,牧師であり酸素発見の有名な化学者のプリーストリー,ウェッジウッド(良質陶器),音楽家で天文学者のハーシェルなども参加していた。彼等は1789年のフランス革命を公然と支持したといわれる。
 生物の進化論の先駆的なものについては,フランスの博物学者ビュホン(1709-1788)
やエラズマス・ダーウィンによって唱えられている。これは英人エドワード・トマスが長崎で秋田・和田に講義した内容となったことはほぼ間違いない。このことからこのエドワース・トマスはエラズマス・ダーウィンと何らかの関係があったか,あるいはルナー・ソサイエティを通じてダーウィンの思想を知っていたかであろう。今後より詳しくエドワード・トマスを特定する研究が進むことを期待する。
 こうしてみると秋田孝季が長崎で紅毛人に博物学の講義を受けたという記事は確実とみられる。素人の偽作者がこんなことまででっちあげるのは無理というもので,まず不可能と言ってよいだろう。『東日流外三郡誌』を和田喜八郎氏の100%偽作とする偽書説は荒唐無稽といってよいだろう。

 この膨大な『東日流外三郡誌』は200年前も昔の古文書であるために,虫食いや破損が生じて,明治期以後に書写が行われた事実がある。その際間違いや余計な付加が起こらなかったか? これは吟味する必要がある事項である。
 とくに昭和も戦後になって和田喜八郎氏が大量の文書の複製を行う必要に迫られた時に,間違いがなかったことを証明することが,偽書という疑い晴らすうえで必要になるのではないだろうか。その点科学的な事項の検討は有力な手段である。
『東日流外三郡誌』には次の記事がある。

「まづは宇宙学にして,銀河系大宇ちゅう都は,多数なる恒星及び星雲の集いにて,その広大なること,光速なる計にて直径ぞ二十万光年,厚さ一万光年なる円盤状なる大宇宙にて,日輪は銀河系宇宙なる端に存在せる天体と曰ふ。
「地界も球状にて,日輪をまはる星なれば,今より四十五億年前に誕生せしものと曰ふ。」

まず第一の銀河系宇宙について検討する。これには和田末吉(喜八郎氏の曾祖父)の但し書きがついていて,「右の書上巻のみにして原漢文なり。下巻ありとぞ探したるも未だ得ず。明治十五年十月 和田末吉 再書」とある。
寛政5年(1793年)にこのような書物が書かれたとは驚きであるが,当時の状況を調べてみる。エラズマス・ダーウィンは1761年に英国王立協会の会員に選ばれ,ルナー・ソサイエティを1775年に始めている。有名な音楽家で天文学者のウイリアム・ハーシェル(1738-1822)は,1781年に天王星を発見し,1786年頃銀河系宇宙論を始めた人で,やはりルナー・ソサイエティの会員になった。彼は円盤状の銀河系の中に太陽が含まれていると考え,銀河系の直径を1000シリオメーター,その厚みを100シリオメーターとした。1シリオメーターというのは太陽系と恒星のシリウスとの間の距離で,当時はよくわかっていなかった。現在分ったところで8光年だから,これを換算すると,直径8000光年と厚さ800光年となる。現在の知識では銀河系の大きさは直径が約10万光年,厚さ1万光年(中心部は厚く1万5000光年)といわれている。この値は1930年代にとランプラーが与えた値である。その少し前まではオランダのカプタイン(直径5万光年,厚さ1万光年)やアメリカのシャプレー(30万年と3万光年)など20世紀になってからの説があったが,不正確であった。
したがって『東日流外三郡誌』に書かれた直径20万光年,厚さ1万光年は寛政5年(1793年)の時のものではなく,明治15年(1882年)の末吉再書のときのものでもないことが分かる。和田喜八郎氏か父の元市が書いたものということになるが,書体などの検討が必要になる。この数字はどの文献にも合わないから,現代的ではあるが,信頼性に乏しい。ただし寛政原本には光年単位ではなく,シリオメーター単位で書かれていたかもしれない。
時代的にはハーシェルの説をエドワード・トマスが知っていた可能性は十分ある。エドワード・トマスという人物がハッキリすれば大きな発見となろう。
第二のパラグラフの中の地球の年齢であるが,45億年は文句なしに現代のものである。寛政のころにはもちろん,明治15年にもこんな知識はなかった。鉛同位体(鉛同位体による絶対年代決定法の開発は,本ブログ2023.10.15 地質学者アーサーホームズを参照)を使って決めた数字であるからだ。科学の発展は一歩一歩踏み固めつつなされるものである。同位体の概念は20世紀に入ってから確立し,その応用などは遅れて発展したものである。
ところで何故こんなことになったのか。偽書派は偽作して金儲けする卑しい動機に違いないと決めつけるだろうが,まず『東日流外三郡誌』(Ⅰ巻54頁)の文を見てから判断することにしても遅くはないであろう。

「けだし,子子孫孫にて本書の増補記事事項訂正なし,世の安泰世襲の改む世に至らば,本書頒布の需めに応ずべし。而るに現生の如き王朝幕藩の地整にしてっは罪障の書物なりせば,日本一統治安民政相互の権を得るまでは秘密とし,他見無用,門外不出と心得。蓋し編者が老婆心に他ならざるなり。」

この分に従えば子孫は誤りを発見したら訂正し,増補せよということになる。そしてしかるべく良い世の中の来るのを待って頒布の求めに応じてよいということである。和田喜八郎氏が古文書の銀河系の大きさを書き換えてもなんら問題ないことになる。彼は先祖の言いつけに従ったとして弁解できる。
もちろんこれは学問的に問題だし,常識的でもない。古文書は古文書なるがゆえに尊いのである。勝手に訂正し,付け加えるのは古文書の破壊であると言わざるを得ないが,これは全体に比べて小さな部分である。
 少し心配なのはこの文の冒頭の部分である。普通の古文書は他見無用とだけいうことで終わりなのに,丁寧にも訂正,増補まで言及していることである。『東日流(内外)三郡誌(古田武彦・竹田郁子著,2008)』では秋田孝季の筆跡の写真版に「他見無用 門外不出」とだけで,増補・訂正の勧めがない。これについて鑑定にかける必要があるかもしれないと吉原先生は心配している。
 この本は全体としてみれば偽書だと決めつければよいような本ではない,と私は思う。(中略)物事をマイナスばかりに捉える傾向は時として日本人にありがちな悪い癖だが,それを乗り越えることが新しい時代には必要と思う。
                                                        おわり