「オグリ」の故郷を訪ねて

 

  「オグリ」は梅原猛先生が創作した歌舞伎で,平成三~四年,スーパー歌舞伎役者市川猿之助さん(俳優香川照之さんの父親)が演じて評判になりました。「オグリ」は小栗判官のことで,照手姫とのその物語は後述するように複雑怪奇です。最初は「ロミオとジュリエット」に倣って「オグリとテルテ」だったけど,この歌舞伎の最大の見せ場の曲馬から,営業サイドで競馬のオグリキャップ人気をあてこんだのでは?という話題もありました。

 

              i市川猿之助『スーパー歌舞伎』         

 

  「オグリ」の故郷小栗城は栃木県真岡市と茨城県筑西市(旧協和町)境の小貝川の畔の丘にあります。私はかつて二宮尊徳の桜町陣屋を訪れた時,近くにある偶然「オグリ」の小栗城を知りました。後に岐阜県大垣市墨俣にある秀吉の墨俣一夜城を訪ねた際,通り際の西町八幡神社の由緒書きを見て,そこが小栗判官が祀られている場所そのものであることを知りました。

 なお,小貝川は今でこそ台風時に氾濫する川で普段は至って大人しい川なのですが,徳川家康の利根川流路改修以前は,幅が4㎞ほどの渡良瀬川と同じ大きさの利根川大支流でした。だから,小栗城は大河に突出する半島に突き出た難攻不落の城だったのです。

 

      小栗城と二宮尊徳の桜町陣屋の位置関係

     

      小栗城遠景(手前の川は暴れ川で有名な小貝川)

     

         岐阜県大垣市墨俣にある正八幡神社

         


 小栗判官の怪奇話の結末は,小栗・照手夫婦がやがて常陸に戻り末長く長者として栄え,小栗は83才で大往生をとげたというものでした。神仏は大剛の者小栗をたたえ,末世の衆生(しゅうじょう)に拝ませようとしてと,美濃国安八郡墨俣(すのまた)に正八幡荒人神として祀り込め,また照手はそれより十八丁下に契り結びの神として祝い祀られたというのです。

 

      

     城址入口の案内石碑       城址大手道の入口

                          小栗城址前の説明板

 

 

      

       説明板の拡大(左:系図,右:小栗判官の顕彰由来) 

            

           

                     小栗城平面図

 

しかし,小栗城の現地に残る案内文では小栗判官=小栗助重公というのですが,説明板の中の小栗助重の物語と「オグリ」物語との間に相当の開きがあり,墨俣の正八幡神社に伝わる「オグリ」物語は,父親の小栗満重の横山氏館での毒殺事件,などの説話の継ぎ接ぎではないかと感じました。伝説のオグリ判官が二条(藤原)兼家の子,史実の助重は桓武天皇の流れ一族ということも異なります。これも矛盾です。なお,小栗判官の祖平国香は平将門の叔父にあたり,小栗判官はその子孫です。
長くなりますが,ここに両者の話を併記してみますので,比較してみてください。

【小栗城の案内説明文】

『 第十五代城主小栗判官平助重公の顕彰由来板 並びに小栗城周辺の案内図
桓武天皇の曽孫上総介高望公から七代の子孫と伝えられる平重家公(平上総ノ介重幹公)
の四子)は平安時代の久寿二年(1155)にこの地方の伊勢皇大神宮小栗五厨(神領)の保司(管理人)となって要害の地であった小栗山(筑西市宮本)に築城し,地名の小栗を称して小栗氏となり,その子孫は15代まで300年余の間,栄枯盛衰の歴史の中にこの地方を統治されました。
 その小栗14代小栗孫次郎平満重公は,室町時代の応永30年(1423)の激戦で敗れ小栗八月二日,関東公方足利年持氏との激戦で敗れ城は落城しました。
 伝承によれば,この落城により満重公親子(助重)と家臣10名は,一族の小栗貞重等(美濃,岐阜県大垣市)を頼って落ち延びる途中,応永33年(1426)3月16相州の豪族(神奈川県横浜市)横山氏館での歓待宴酒によって,満重公と家臣十名が毒殺され,上野ケ原(神奈川県藤沢市)にすてられたが,幸いにして時宗総本山遊行寺(神奈川県藤沢市)の,遊行寺14代,他阿太空上人のご高配によって境内墓地に厚く埋葬されました。

  幸運にもこの大難を逃れ九死に一生を得た小栗助重公は,一族の小栗貞重の元に落ち延びた後,十四年を経た嘉吉元年(1441)の結城合戦に,幕府軍の将として大活躍をなし得た論功により再び小栗城に復しました。
なお助重公は旧領に復した嘉吉年間(1441~1443)の頃に,ご先祖供養のため菩提寺であった天照山太陽寺(筑西市井出蛯沢)を再び新しく建立なり,毒殺という非業の死をとげられた父満重公と十勇家臣の追善供養のために,境内墓地に大九重層塔と家臣の住人原五輪供養塔十基を建立されたと伝えられております。
この施主助重公が天照山太陽寺中興の開基であり,世上有名な小栗判官と称された室町戦国の武将で,小栗十五代城主,小栗彦次郎兵助重公であります。
      御戒名。(天照院殿前金井太陽宗源大禅定門) 
(伝)桓武平氏小栗系図
〇桓武天皇―葛原親王(天皇の四子常陸太守)―高望(賜平姓上総介)―国香(常陸大掾鎮守府〇〇)―貞盛(陸奥守,鎮守府〇〇)―〇幹(常陸大掾,多気大夫)―為幹(常陸大掾,陸奥守,鎮守府〇〇)―重幹(上総介)―重家(小栗の祖,小栗五郎)―重義(五郎)―重成(十郎)―重満―重朝―重信―頼重―重宗―重政―重貞―詮重―氏重(五郎)―基重(小次郎) ―満重―助重(彦次郎,判官)
注)国香は平将門の叔父,貞盛は従兄です。 』

【小栗伝説概略】(筑西市HPを簡略化)

(1)出自                                                    
 小栗伝説の小栗は,二条大納言兼家が鞍馬の(くらま)の毘沙門(びしゃもん)から授かった申し子です。知勇兼備の秀れた武者で,十八歳のとき,兼家夫妻が妻を娶わせようとしたのをすべて撥ねつけ,ある時鞍馬(くらま)に参詣の途次,深泥池(みどろがいけ)の大蛇に見染められてこれと契り,都中の風聞の種となる。父兼家はわが子なれども心不浄のものは都に置くことはできないと常陸国玉造に小栗を流す。小栗は常陸に住んでも大剛ぶりを発揮し,多くの武士を配下に従えて威勢を振う。
 後,照手姫の噂を聞き,今でいうラブレターを書く。

(2)照手姫との契りと,父親の相模郡代横山の殺意
 照手は下野国(しもつけのくに)日光山の申し子で,観音が常に影身に添うように守護する女性である。照手姫は小栗の文を破るが,使いの後藤に返書を強要され,やむなく小栗に返書を書く。小栗は十人の臣人を従え横山の館に入り,強引に照手と契る。
 父横山は理不尽な小栗の婿入りに腹を立て,七十騎の軍勢を向けて殺そうとし,ついに小栗は毒殺されてしまう。そして臣下十人は火葬に,小栗一人は土葬として葬られる。

(3)照手姫の災難
 横山は,「人の子を殺しながらわが子を殺さねば,都の聞こえもあるから」という理由で照手を殺すことにするが,照手は相模国(さがみのくに)の浦の太夫(たゆう)に拾われて助けられる。太夫の妻は照手に嫉妬し,照手姫を人商人に売りとばす。これ以降照手は転々と諸国を売られ歩き,北陸道から近江の大津へ,さらに美濃国青墓(みのくにあおはか)の遊女宿の長のところへ売られていく。遊女宿の長は照手に遊女となって客を引くことを命じるが,照手は頑固に拒み,常陸小萩,念仏小萩とよばれて苦しい労働に明け暮れる生活を送る。

(4)小栗の復活
 冥土に堕ちた小栗主従は閻魔大王の前でその罪を裁かれる。
臣下達はたっての願いといって,土葬にしてある小栗の身体を今一度娑婆(しゃば)に戻してくれと頼む。閻魔は臣下の忠節に感じて願いを聞き入れ,やがて小栗は物いえぬ餓鬼阿弥(がきあみ)の姿のままで,閻魔直筆の「この者を熊野本宮,湯の峯の湯に入れて本復させよ」という胸札をつけられ,小栗塚を破って出てくる。
 小栗は餓鬼阿弥仏と名をつけられ,自ら先頭に立ち熊野本宮湯の峯目指して土車を引いて,東海道を上り,やがて,照手姫のよろず屋の長のところへ着く。

(5)再会
 照手は小栗のなれの果てとは知らず,餓鬼阿弥と対面する。そして,夫の小栗の供養のために長から三日の暇をもらい,狂女の風躰となって土車を引いて,青墓より近江に入り,大津,関寺とたどり,玉屋の門前にまできて止まる。そこで餓鬼阿弥と一夜を明かすが,後ろ髪をひかれる思いで土車を捨てて,約束の三日の期限を守るため,照手は長のところへ帰る。
 土車の道行きはなおも続き,新しい車引きの旦那を得て,住吉明神,堺の浜とコースをとって引いて,本宮湯の峯の近くで道が無くなったので,やむなく餓鬼阿弥一人,大峯入りの山伏にかつがれて,目的地の峯の湯に着く。小栗はそこで七七四十九日の間湯治に専念し,ついにもとの小栗に本復する。

(6)照手姫との対面
 小栗は,熊野権現の加護を受け,金剛杖(こんごうづえ)を授かって山伏姿に身を変え,まず京の二条にある父兼家の館を訪れる。そこで一旦館を追放されるが,兼家は実子小栗とわかり,親子は久々の対面で涙を流す。小栗は次に帝と対面し,五畿内五箇国を与えられ,また美濃国も馬の飼料としてもらい受ける。小栗は昔の奉公人三千人を従え,青墓の宿の長の君のところへ赴く。そこで水仕となって働く照手と対面し,すべてが明らかになり,二人は喜びの涙にひたる。
 小栗は長者夫婦を罰しようとしたが,照手の取りなしで恩賞を与え,また横山に対する報復も同じく照手の言を入れて思い止まる。反面,人買いに売り飛ばした姥や毒殺した横山の三男三郎は極刑を下す。

(7)墨俣の正八幡荒人神社の由来
 小栗照手夫婦はやがて常陸に戻り末長く長者として栄え,八十三で小栗は往生をとげる。神仏は大剛の者小栗をたたえ,末世の衆生(しゅうじょう)に拝ませんと,美濃国安八郡墨俣(すのまた)に正八幡荒人神として祀り込め,また照手はそれより十八丁下に契り結びの神として祝い祀られる。
                                                                 おわり