思い出の歌手:江美早苗

 

    

 1988年(昭和63年),ラジオ放送で江美早苗さんが元夫により殺害されたことが放送されました。私より3歳年下ですから,生きていれば71才になっているはずです。

  1969年(昭和43年),仙台市駅前のホールで空手部主催のダンスパーティを開きました。反省会は市内の音楽喫茶でやりました。すると,その喫茶店のゲストで出てきたのが江美早苗さんでした。私が大学2年の時でしたから,江美さんは高校3年の年齢だったでしょうか。その店にはステージがなかったので,我々は江美さんが歌う目の前にいました。西野バレエ団の最も年下の娘なので,踊りながら何曲か歌いました。なお,もうずっと昔の話になりますが,西野バレエ団は,金井克子,原田糸子,由美かおる,奈美悦子,江美早苗の5人娘で全盛時代でした。彼女は,「江美早苗」の名で,1967年(昭和42年),ダンスグループ「レ・ガールズ」に参加,1968年(昭和43年)にはフィリップスレコード歌手として専属契約し,同年ソロ歌手としてデビューしました。その頃の話です。
 我々はむさ苦しい武闘派ですが,根は純情なのです。想像してみてください。
私は,これを逃したら二度と機会はないと思い,恥ずかしながら駆け寄り,教科書の裏表紙にサインを貰い,握手をしてもらいました。
そして,その日一日嬉しくて,自分の手を見ていました。

 

               

                                  江美早苗さんのサイン

 卒業後は地質調査のコンサルタントに入り,島根県北部~鳥取県西部の広域地質調査をした際には,実家の旅館を訪ねて行きました。高級な老舗旅館なので,我々の宿舎の木賃宿とは全く異なりました。憂き世のことで,その落差に驚くばかりです。

 1971年(昭和46年),長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』の初代司会に満19歳で抜擢されましたが, その後,芸能界から身を引いた噂を聞きました。
 それ以後消息が分からくなりましたが,1973年(昭和48年)9月,東京に戻り中里綴・神田エミとして,作詞家としての再スタートを切っていたそうです。最近知りました。
以降,作詞家として,数々の有名歌手の楽曲の作詞を手がけたといいます。云々
結局,ストーカーの元夫による殺害・36歳で死去。
生きていれば,あれから54年後のサインを貰えたのに,残念です。(合掌)
                                                              おわり