私の,哀しくも困った部下(1):最後の現場

  会社の部下というものは,上司によって当てがわれて,選ぶことができません。子が親を選ぶことができないように。要領のいい人はそれをスルー出来るのですが,愚直な私にはできませんでした。だから,彼らを使いこなすのは君しか出来ない!等といって逃げる上司に押し付けられ,私は困り者を扱う部署を任されてきました。

 平成3年4月に本社から北海道支社に配属された技術者がいました。得意先の大手ゼネコンの重役から紹介された甥と言う人で,『会社でどう扱っても私は知りません』という変なコメント付いていました。支社長はその言に対し,何か引っかかりを感じたようで,とりあえず私の部署に配置すると告げられました。彼の略歴は次のようでした。当時34歳独身。北海道の進学校を優秀な成績で卒業,都内の一流私大卒業後,石油会社に就職。石油探査のソフト解析に手慣れた技術者でしたが,Uターンを機に,本社採用で支社勤務となったとのこと。
 翌日出社しましたが,身長167㎝程度,腹が出ていて太り気味,黒縁眼鏡をかけ,髪は直毛で量が多く,時々片方の目を細めるクセがある。服装は最初はキチンとしていましたが,インテリによく見られますが,慣れるとややだらしなく,ノーネクタイのワイシャツのボタンが外れていたり,ズボンが腹の下にずり下がっていたり。
 とはいえ,社長の後輩なので大いに期待されました。しかし,結果的に退職するまでの5年間,札幌支社全員が数々の出来事に振り回されました。
 彼は社会に適用できなかった哀しい男だったのです。

 彼は気が良い人だけに,私は付き合ってみると,気の毒になりました。
まあ,万事アバウトな私は,では何とかするか!と付き合ったのが,彼との始まりです。
 彼はこういう同僚たちが被った被害と反感には全く無頓着でした。
そして相変わらず,服装も髪の毛もルーズでむさ苦しいのです。
ある日彼が近づいてきて,言うのです。
 『へっへっ,今度お見合いをするんですよ』
 『それはいい! お母さんも安心するだろう。所でどこの人~!』
 『大学の音楽の先生です』
 『それはすばらしいではないか! それならちゃんとネクタイをして,鼻毛くらい切れ  よ!』と私。
 鼻毛が固まって筆の先のようになっているのです。だから,安いネクタイを買ってきて与え,逃げる彼の首に手を回して顔を上に向け,近くの女子社員のハサミを取り上げて,彼の鼻毛を切りました。 
『キャー』という女子社員の悲鳴。
ハサミを洗って返しましたが,『そのハサミは要りません,買って返して下さい』だと。
大した出費でした。
その後,お見合いの結果を聞きました。 
 『へっへっへ,デブは嫌いだと断られました』と陽気に答えるのです。

 

       

                                      現場の位置昆布岳

 彼が在職した最後の仕事は,私の仕事で,北海道新幹線ニセコ町昆布岳(1045m)の雪中の地質調査でした。掘進深度150mのボーリング一本は外注に頼みました。10月末頃の発注で工期は翌年の2月4日でした。施主の鉄道公団は雪が来るからと心配し,12月中に早く現場を終わるよう矢の催促でした。しかし,当時ボーリングの外注会社は当社の別部門の資源探査を北海道で行っていてトラブルが頻発し,そちらが終わらないとニセコには行けないという。だからその状況変化で何度も予定表を書き換え,役所に持って行きました。役所はカンカンで,もし工期を割るようなことがあったら,二度と発注しないと迄宣言されました。正直,年越えても現場に機械が入らない時は退職も覚悟しました。結局,機械が現場に入ったのは1月15日でした。だから通常の方法では工期を守れないので,仕様外のワイヤライン工法を認めて貰い現場にかかりました。(通常のボーリングは2m程の岩盤のコア試料を採取するために,毎回9m長ごとにロッドというパイプを毎回引き上げなければならない。深度150mの場合17回引き上げ採取後,次の掘削のために17回ロッドを継ぎ足して引き下げる。ワイヤライン工法は一々引き上げなくてもパイプの中を通して試料を取り出すことができ,ボーリングの深さが深くなるほど引き上げの手間がなくなる分時間が大きく節約できる)
 ニセコでは当時2m以上の雪が降りました。昆布岳中腹の現場まで大型の除雪車で一回50万円かけて除雪し,道を作りました。ボーリング掘削は昼夜二交代で行いましたが,雪は降り止まず,更にもう一回除雪しました。除雪後の現場へは,立山の観光道路みたいになった深い雪の溝の中を,ボブスレーのように壁面に車をぶつけながら往復しました。結局二回分の除雪代はみて貰えませんでした。遅れたのはそっちの勝手だと。
 ボーリング掘削は1月末日に終わり,報告書は3日で徹夜で作成し,間に合わせました。

 彼には現場管理を任せましたが,例によりトラブルが発生しました。
一つは,現場に必要な調査機材を外注の倉庫から無断で持ち出して一騒ぎになったり,途中雪道でのスリップと本人の申し立てが,警察の事情聴取で本当は薬を飲んだ居眠り事故で,夕闇近くで片目が見えなかったことが露見したり,いろいろありました。

 結局,それまでのトラブルもあって,会社を辞めて貰いました。
退職数年後の彼の便りです。
北海道支社の若手が桑園の競馬場に行った時,彼の名を呼ぶ場内呼び出しの放送があったそうです。ああ,相変わらず陽気で元気にやっているなぁ,という,彼の陽気さと当時の騒動を思い出し,懐かしく思えたそうです。
                                                                 おわり