Chère Musique
二月の週末講座CSMは、 いつもの“音楽瞑想”から始まりました。
これは私が勝手に考えた瞑想もどきで、ここでも何度か話題にしたことがあります。
私は本物の瞑想とは?という哲学的なことや心理学的なことはよく知りません。
ですが、たぶんこのようなものを瞑想と言うのではないか、と勝手にそう呼んでいます。
心と体を普段モードから音楽をするモードに切り替える、というつもりでやっています。
講座ではほとんど毎回、個人レッスンでも頻繁に、始めに行なっているメニューです。
二月の講座では、その瞑想もどきが終わってそのあと、聴いた感触などの軽い話題でディスカッション的に感想を言っていただく時間を作りました。
その時に、一番初めに発言した方がいきなり結論を、顕微鏡的な見方で「これは誰それさんの演奏ですよね」というようなお話からスタートしようとしたのです。
そのお言葉は正解でした。さすがに見抜く力がおありです。
ですが、その方は無意識に頭を使ってしまっていて、「正解」を言おうと無意識に意気込んでしまっていたのかなと思います。
皆さんは、音楽を聴くときにどんな聴き方をされるでしょうか。
時と場合によりますけれども、くつろぎたい時や今回のように音楽と自分を一体にして何か影響を受けたいというような時には、私のおすすめは、まず一番広いところから音楽にすっと入っていくという聴き方です。
無心になって(難しいですが)、その音楽に心も体も浸すというところからではないかなと思います。
ですからこの瞑想もどきの感想も「ああ、気持ちよかった」「キレイだったわね」など、漠然としたところから始まるといいなと思うのです。
実際にはそのあと、「教会の音楽のようだった」とういう発言から始まり「女性の声ですね」「アカペラかな」などの範囲の広い感覚から始まり直しました。
そして「何だか終わった時に不思議な気分になったのだけど、この終わり方はなんなんでしょうね?」「この歌詞はもしかしたらこういう歌詞ですか」などという漠然とした気分の話から、少しずつ音楽の実態へ近づいていくようなディスカッションに。
私が少し交通整理をしたら、そのような感じになっていきました。
心、つまり頭の中の目が、初めは例えば光の強さや、色合いや温度感や、そういう無意識の感覚的なものをとらえて、そして少しずつ音楽の姿が見えてきて、だんだんその形を捉えていく、だんだん近づいていくような味わい方。
もちろんコンサートで聴いたり、目的を持って音源を聴いたりすることとは違います。
そうではなく自分の心と体の健康のために聴いたり、気分を切り替えたい時に聴く、そういう時のおすすめの聴き方です。
少し余談かもしれませんが、とても昔、古代の時代は、音楽のスケールが大きかった。
音楽を作ったり奏でたりする人が国を司っていた時代もありました。
なぜかというと、音というものが人間の頭の中に及ぼす影響、作用する力ということが、古代人の方がたぶん現代人よりも分かっていたのではないでしょうか。
天文学が政治の中心でした。星がこうなってきたから農作業をこういうふうにしましょう。月がこういうふうになってきたから家をこういう状態にしましょう。皆さんこういう心積もりで過ごしましょう、などとね。
そのようにして天文学が政治を司っていた。
古代はその天文学というのと音楽というのがほとんどイコールの価値でした。
ですから、天体が奏でる音楽、人間の耳には聴こえない音楽というようなものも政治では語られ、今よりそういう意味ではとても高度で、感覚の範囲が広かったのですね。
Musique, Elle a des ailes.