この世界は「私の想念」の具現化である。

故に「他人などないし、私でないものは存在しない」
しかし、所有とは違う。つまり、私のものではないのだ。

この感覚が生まれたのは、「私は誰か?」との自己探求の答えとしてである。

人は全て内側に「神」をもつ。形のない神である。その計画により、我々が人として成長することが、神が人を誕生させ、人生を送らせている理由である。

我々の目の前に展開するこの世界は、我々が成長する上で最適であり、不必要なものは何一つない。

こういうと「戦争は?」「殺人は?」「悪を正当化するのか?」と始まる。

まず、視点が違う。

私が言うのは「学び」という視点に於いてである。

「学びに善悪はない」

私はかつて、裁判で有罪判決を受けた経緯がある。では、その逮捕され、収監されている間に、何も学ばなかっただろうか?

答えは「否」である。

私はその間に神の言葉により目覚め、今に至っている。私の人生に於いては不可欠な学びだったのだ。

ただ、私の行為は許されないし、反社会的行為として裁かれた事実は紛れも無いことである。既に刑期を終えた今でも、懺悔し続けている。

それもまた、私の学びである。

つまり、「いかなる選択をするかが問題なのではなく、いかに学ぶかが大切」なのだ。

我々はそのステージを目の前にしているのだ。