人は共存することを望んでいる:ワールドカップサッカー関連番組 | 社長のスピーチコーチ 森 裕喜子のプライベートブログ

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経営者やトップアスリートのスピーチコーチ、森裕喜子が日々のプライベートな出来事などを綴ります。(2021年8月よりプライベート版に改定)

久しぶりに感動した。

テレビ番組である。

NHKスペシャル「民族共存へのキックオフ~“オシムの国”のW杯~」


肚の底から命をかけて生きている人の言葉には力がある。


番組中の、オシムさんの言葉。


「サッカーは、なんというか、人と人を結びつけるものだ。

人は共存することを望んでいる」



ボスニアという国の中で民族同士の対立があっても、
それを越えて
サッカーを通じてみなが共存しようと、して
いる。

試合に勝つこととは別に、サッカーを通して
共存することを経験しようとしている。


政治では出来ないことも、サッカーには出来るのだ。


スピーチプレゼンでは「共感が大事」と言っているのだが、

もはや、「共感」では言葉は足りないのだ。

「共存」なのである。

リアルに、生きるということなのだ。


がつんと、来ました。



この番組、

内容がよかったのはもちろんなのだが

ナレーションが秀逸だった。


堤真一さん!!


最近、いろいろな映像や番組を見ても、なんだこのナレーション、全然よくないじゃん、

と不機嫌になることが多かった。


ナレーションについては専門外なので単なる一視聴者として

厳しい好みを言っているだけなのだが、

専門性を駆使して「なぜよかったのか」を分析すると


①声がよい

②抑揚が最小限で映像を邪魔しない

③どの音(言葉をつくっているひとつひとつの、音、語。)も、さらに子音も母音も息がよく出ていて言いモレがなくよく響く


③については私の分析の仕方なのでちょっと理解に苦しまれるだろうけれども、

とにかく一音一音息がしっかり出ている声というのは俳優さんでもなかなかいない(特に日本は)

安定感があるのだ。落ち着きが出るのだ。迫力が出るのだ。


②だが、あまりにも豊かに表現しすぎると、映像の上にもうひとつ別の表現媒体を見せつけ、いや、聞かせつけられているようになって、見ているほうとしては、うるせ~!となる。

さらに、わざと癖があるような語尾だったり、逆に語尾に意識がなくて乱雑だったり、

最近そういうナレーションが多くて頭に来ていた。


だから、今回の抑えがききまくった堤さんのナレーションっぷりに、

もう、大きな軍配!!!!!!!!!!!



そのほか、画面に登場してきたボスニアの皆さんの

声の吹き替えの当て方も、バリエーションに富みながら抑えが利いててとってもナイスだった。

ちなみに「青二プロ」のみなさま。

超老舗。


ああ、いい番組だった。


オシムさんの言葉をもう一度書いておく。


「人は共存することを望んでいる」



森 裕喜子