人に知られたくないこと、誰にでもあるものだ。
くつ下の穴は、まさにそのひとつ。
子供の頃、
おばあちゃんはくつ下に穴を見つけると、黙ってつくろってくれた。
ものを大事にする気持ちを知ったし、
おばあちゃんの手縫いの感じは妙にうれしかったが、
学校でそれを友達に見られたりするのは恥ずかしかった。
おばあちゃんはそれを察したのか、
私が小学校低学年の頃にやらなくなった。
大人になると穴はおろか、
指先の布がちょっとでも薄くなったらくつ下は捨て時になった。
会社員だった頃、
よく本国(アメリカ)のスタッフが日本のオフィスにやってきた。
その中に、
とっても身体の大きい、というか、巨体を持つ同僚男性がいた。
カリフォルニアのヘッドオフィスでは結構皆カジュアル。
でも日本に来ると一応スーツ。
ちょっと苦しそうだ。
いつものように皆で夕食を、となったので、六本木の日本食の店を予約した。
タクシーで店につくと、席は座敷だった。
あ!と玄関で思ったが既に時遅し。
座敷だと、靴を脱ぐことと座り方が
外国人にとっては気になることなのだ。
「事前にお伝えできなくてごめんなさい」と小さく心の中で謝りつつ、
日本には大分慣れているから大丈夫かな、と祈った。
彼は何の躊躇も無く、玄関口で靴を脱いだ。
「よかった・・・」
すると彼は、巨体をちょっとかがめて、自分の足元を見るそぶりをした。
片方のくつ下の穴から足の親指が出ている。
その指をピコピコ動かしながら
私を見て小さく笑った。
「あ・・・」
一瞬固まった私におかまいなく、
大きなスーツの背中は、座敷に向かって歩き出していた。
このときから、
私にとって「くつ下の穴」は恥ずかしくないものに変わった。
自分と違う考え方や生き方に触れて、なんだか嬉しいのは、こういうときだ。
その「違い」に、ちょっと憧れたり、共感したりする。
スピーチプレゼンで
「なるほど」
「そうだよね」
と感じさせてくれる話し手は、
くつ下の穴を人前で見せるようなものなのではないか。
くつ下に穴が開くまで履くことは、悪いことではないがちょっと貧乏くさいし、かっこわるい。
そして、誰かに見られたら恥ずかしい。
なのに、
「穴が開いてていても、くつ下としては充分。だからいいじゃない。」
そう言い切れる勇気が、
人前に出て自分の意見を言う人には必要なのだと、
私は思う。
森 裕喜子