論理的、が身につく本 | 社長のスピーチコーチ 森 裕喜子のプライベートブログ

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経営者やトップアスリートのスピーチコーチ、森裕喜子が日々のプライベートな出来事などを綴ります。(2021年8月よりプライベート版に改定)

当ブログで4回にも渡ってまとめを書いた「ニッポンには対話がない」に引き続き、
北川達夫氏の本を読んでみました。

フィンランド流「伝える力」が身につく本 (中経出版)/中経出版


本の装丁や、ぱらっとめくった感じは、とっつきやすさ満載!のビジネス本。

ですが、

外交官という仕事で世界を相手にコミュニケーションされてきただけあって、
「同じ人間、誰でもわかりあえま~す」的な、あまっちょろさがありません。

中身はシビアです!!!

実際、やはりわかりあえないものはわかりあえない。世界は広い。
この厳しい前提に立ちながらも、誰にでもわかるように書いてある、ソフト装丁ハードな中身本!!!

例えば・・・


◆なぜ?は論理的思考の入り口。いつでも、なぜ?を問いかけるべし。

「論理的思考」というと、ロジカルシンキングとかいろいろありましたが(過去形)、
私個人的には「ロジカルシンキング」の研修を会社員時代受けたりしましたけれども、
全然脳みそに残っていません。というほど、全然ロジカルに教えてくれなかったなあ。

「なぜ?」を持つこと!これが、論理的思考の第一歩!!

明快ですねえ。

・・・一体なんだったんだ、あの研修は。
(研修というのは本当にそういうのが多い。私の仕事は、研修ではなく「トレーニング」と言っている)



◆人の意見は「主張、価値、信念」に分けられる

そういわれれば、そうです!
言いたい事、そしてなぜそう言っているのか、なぜそう考えるのか。
それらは、その人の価値や信念に通じているわけです。

主張に対しては意見してもよいが、
その人の「価値観や信念」に対しては攻撃してはいけない

と続きます。

そりゃそうですねえ。
価値観や信念は、その人が大事にしていることですから。
そこを攻撃すると、その人そのものを否定したり攻撃することになります。

その人が何かに対して主張している意見と、その人の人格そのものは、別なのであります。
(同じ場合もある。それは、相当に感情的な件でしょう)


◆頼みたいことを伝えるとき、できるのは「お願いする」ことだけ

これは勉強になりました!!

例えば、たばこの煙が煙いとき。(私は煙草が嫌い)
煙草を吸うのを止めろ!とは、さすがに言えない。
じゃ、どうするのか。

「煙草の煙が苦手なので、止めていただけませんか」というお願いすることしか、できない。
そうなんです。

お願いしたあと、結果は相手に任せる。
とてもヨーロッパ的ですね。こういう考え方、好きです。

この「お願い」のときに大事なのは、自分の思いを伝えること。
決して、ルールとか常識を出してはいけない、とあります。
ルールや常識を出すと、上から目線になるんですね。

だから、個人的なお願いで済ませる。
こちらには、お願いする権利はあるが、相手を強制するまでの権利はない、のです。

「お願い」も権利なわけです。ああ、考え方がシャープだなあ(大変好み)

これは私、身につまされます。
電車で、
目の前にお年寄りが立っているのに、優先席に座って化粧しているようなアホな若い女性を見ると、
「あなた、席譲りなさい」とついつい言ってしまう私ですが、
強制してました。

今度からは、お願いするようにします。

ちなみに、過去のシチュエーションですと、若い男性は席を譲りますね。
若い女はだめです。
ゆずりません。
なんでだ?

人の行動は「感情/理性/利益」で決まる


つまり、人を動かすには、この3要素が含まれていないとだめなわけです。
シャープですねえ(これ口癖です私の。好きだという意味)

スピーチプレゼンでも、人を動かすためには、ファクトをメリットにまで落とし込んで言葉で伝える必要がある、とトレーニングではお伝えしています。
ファクトをメリットにまで落とし込む、というのは、広告のコピーを作成するときの考え方でも
同様です。

結構難しいですが。

非常に簡単な例で考えてみましょう。

「しかたなく会社に行く」という行動は
*会社に行きたくない(感情)
*社会人だから行かなきゃいけない(理性)
*行かなければ給料がもらえない(利益)

というようになりますね。
下手な例でしたかね、

いずれにしても、この3要素をわかっていると、非常にいろんな場面で使えるでしょう。

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私にヒットしたところを抜き出してブログアップしました。

コミュニケーション本は、本当にいろいろあって、
なんちゃって的な論理で書かれたものが多く、普段私は読んだりしません。
が、これは、実践(臨床?)から導きだされたものだったので、納得感がありました。

まだの方がいらしたら、お読みになるとよいかもしれません。

森 裕喜子